河童形の土偶・立像土偶
下の写真は、中期前半北陸地方に出現した河童形の土偶≠ニ呼ばれるもので、
頭頂部が平らになっている。頭頂部を平らにする理由はわからないが、胸部あたりが
板状土偶とおなじように薄くなっていて、下腹部ないし臀部(でんぶ)に丸みをもつ。

(日本の美術2 土偶 原田昌幸著 4p 至文堂)
富山県長山遺跡出土
両眉と鼻筋(はなすじ)が一体化され、曲線のV字型として表現される。これは同時に
双極文様でもあるらしく、ふたつの眼と口で、2:1(計3)となり、さらに耳の穴がふたつ
で3:2(計5)ということらしい。これで、ひととおり顔のパーツが表現可能となる。

また、写真の中央にある土偶の亀裂から、頭部、両腕、腹部、両脚を組み立てて構
成されていることがわかる。このことを分割塊製作法≠ニ呼び、立像土偶への転換
点になったとされる。ただし、パーツ数は頭部(1)・両腕(2)・腹部(1)・両脚(2)の計
6個になる。これは、頭部・両腕で1:2、腹部・両脚が1:2でもあり、ペアと解釈された
ようだ。どうも、土器の装飾が立体化するのとおなじように、土偶の立体化も進んでい
るらしい。つまり空間を上下左右、前後の立体として捉えるようになると、概念の立体
化も進展している。
ちなみに、この本は美術誌であり、どちらかといえば情報の正確さより、美的に捉え
ようとする傾向がつよい。写真の発色がかなりおかしく、実際の土器がもつ色調から、
ずれている可能性が高い。ところで、なぜ、美術誌が考古学的史料を研究しているの
かといえば、縄文文化を再評価したのが、太陽の塔などで有名な洋画家の岡本太郎
だったためで、言論界とおなじく、歴史・考古学会を左翼思想が席巻したからに他なら
ない。美術界は歴史・考古学会とは別であり、官僚の縄張り意識を逆手に取ることで、
研究を進展させてきたという経緯がある。
このねじれた構造が生じた責任は、歴史・考古学会にあることは否めない。歴史・考
古学会より、美術界の業績を高く評価すべきだろう。よく、「戦前は右翼の弾圧があっ
たが、戦後は自由な雰囲気で学問ができるようになった」という歴史学者がいるが、あ
れは嘘である。戦後に自由になったのは左翼だけであり、右よりの発言は無視され、
封殺されてきた。これを打開したのが山本七平であり、岡本太郎である。上述の歴史
学者が左翼主義かどうかは知らないし関係ないが、少なくとも、学問としての歴史に対
する真摯な態度をもっていないとはいえるだろう。情報源としても、人間としても、信頼
に値しない。信頼すべきではない。もどろう。
写真は長野県姥沢遺跡出土の土偶だが、十字型の土偶とおなじように腕をまっすぐ
に伸ばす。

(同上 7p)
前述の土偶とおなじように、両眉と鼻筋(はなすじ)が一体化され、曲線のV字型とし
て表現してある。中部高地での立像土偶の成立は早く、北陸地方の土偶と多少なりと
も関係があるようだが、はっきりしたことはわからない。この土偶も胸の部分は板状に
なっていて、東北の板状土偶と無関係とは思えない。富山県長山遺跡出土の土偶とお
なじように下腹部が大きく張りだしていて、足は極端に短い。この下半身を形づくる何
らかの思想と、板状土偶を無理矢理に接合したような感じがある。

下腹部の装飾をみると、顔面の曲線のV字型とおなじような形態をしており、上下を
あわせるとX字型になるように考慮されているようだ。もともと前期に性の発見がおき
ており、さらに先祖祭祀や子供への関心が高まっているのだから、女性が、とくに子宮
が意味のあるものとして理解されるのは、当然かも知れない。岩手県蒔前(まくまえ)
遺跡出土の土偶には、下腹部に丸い石を埋め込んだ胎石の例もある。石がこの世と
死後の世界を結ぶ装置であるなら、子宮が再生のためのゆりかごであろうことは、容
易に想像がつく。丸い形を強調しているのは、そういった理由からかも知れない。
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