土偶の装飾
上黒駒遺跡の土偶をよく観察すると、細かなしるし≠ェ施されていることがわかる。

像の右頬(向かって左になる)にある装飾は、上下に対になっている双極文様であり、
北白川式土器の装飾とおなじでもある。一方、左目は何らかの特殊な意味合いをもっ
ているらしく、丸と、おそらく渦巻きで飾られる。

また、頭頂部にある出っ張りは、文字通り山≠意味する。世界を上下にわける
考え方が基調にあれば、つねに高いか、低いかという判断が意識化されるようにな
る。雲も、山も高いものとして、天に近いものとして神聖視されるようになる。山といっ
ても、ひとつの山ではなく、三つの頂(いただき)をもつ連山であり、中央がもっとも高
い。右と左の比較では、おそらく右の方が高いだろう。ただし、誤差の範囲内であり、
断定はできない。

この装飾は冠と考えていいのだろうが、問題はそこではない。上下にわける考え方
が成立することにより、比較するという思想が派生しているということである。比較すれ
ば、相違を発見するようになるのは、当然だろう。彼我のちょっとした違いが、大きな
文化間の壁として立ち上がってくるようになる。いや、違いを発見することにより、自己
防衛的に文化間障壁をつくりだすようになる、とうべきかも知れない。
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前述の坂井遺跡・目切遺跡出土の土偶も、頭頂部は山なり(山形)になっていて、全
体として三角形を表現したものであることがわかる。山と3という要素はおなじだが、組
立が異なり、比較するという表現は含んでいないようだ。


それから、眼と口の2:1と、耳がない代わりに鼻の穴がふたつある。鼻の穴がよく
みえる生き物は何だろうか。鼻が印象的といえば、ブタだろう。もちろん、ここではブタ
でなく、イノシシだが。そう考えると、ハート状の指の表現はわかる。イノシシは偶蹄目
であり、足跡に二本の指が残るからである。ハート形は、もちろん双極文様のバリエー
ションのひとつでもある。

このふたつは、(イノ)シシ神の神像と解釈して問題ないだろう。
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さらに、長野県目切遺跡から出土した土偶の左目をよく観察すると、縦方向に小さな

切り込みがはいっていることに気づくだろう。左目は十字型になっている。この十字は
円筒上層式の装飾とおなじだが、もちろん意味合いは異なる。木の要素をもたず、羽
状縄文から生まれた神聖なものということなのだろう。いずれにしろ、右目の横棒(一)
と、左目の十字が、一対として理解されていることがわかる。そして、古代日本人にと
って、左目は特殊な存在である。
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古事記には、伊邪那伎命(いざなきのみこと)が死んでしまった伊邪那美命(いざな
みのみこと)を黄泉の国に迎えにいく話がある。ところが、変わり果てた伊邪那美命の
姿をみてびっくり仰天し、伊邪那伎命は逃げだしてしまう。伊邪那伎命が、けがれを落
とすために川で禊(みそ)ぎをすると、つぎつぎに神々がうまれてくる。
ここに左の御目(みめ)を洗ひたまふ時成りし神の名は、天照大御神(あまてらすお
ほみかみ)。次に右の御目を洗ひたまふ時成りし神の名は、月読命(つくよみのみこと
)。次に御鼻(みはな)を洗ひたまふ時成りし神の名は、建早須佐之男命(たけはやす
さのをのみこと)。
(古事記上 次田真幸 68p 講談社学術文庫)
弥生・古墳時代編でも説明したように、ネコの目は夜、光を受けて反射する。これは
少ない光量の夜間でも、光を集中させて獲物を探しだすためで、ネコに限らず、多くの
狩りをする動物にみられる。まるく輝く目と、まるく輝く太陽と月は、類型として扱われる
ことは不自然ではない。そして重要な左目から太陽神である天照大御神が生まれ、右
目に月が位置づけられる。また、ナウマン象やマンモスからイノシシ、イノシシから須佐
之男命(すさのおのみこと)へと畏怖の念が継承されていく。だから、須佐之男命は鼻
から生まれる必要がある。
もちろん、この時点で古事記の話が整備されていたというのではない。前段階、ある
いは前々段階としての原初的な発想が形成され蓄積されつつある、ということであり、
ようやく、ひとつの謎が解けたにすぎない。
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