比較文化史の試み 298


  土偶と太鼓

  山梨県鋳物師屋遺跡出土のものは、いわゆる鳴る土偶≠ニ呼ばれるが、現在で
 は、なかに入っていた鳴子(なるこ)が失われている。おそらく、子供をあやすときにつ
 かったりもしたのだろう。

(日本の美術2 土偶 原田昌幸著 3p 至文堂)

  いままで土偶を神像として説明してきたが、それはひとつの見方にすぎない。民俗例
 でも、神像がときによって、子供のおもちゃだったり、みやげものだったりもすることが
 報告されている。神の絶対性がないので、この神像が偶像崇拝の対象となることはな
 い。そもそも偶像崇拝の対象になっていれば、火にかけたりはしないだろうし、煤で汚
 れても平気などということはあり得ない。

  旧石器時代編でも調べたように、もともと弓は太陽神の神託を聞く装置であり、狩猟
 とは関係のない存在であった。これが矢と合成されることによって、イノシシやシカなど
 を招く道具としても、つかわれるようになる。ふね≠ニいうことばがあるが、水の上に
 浮かべているときは舟であり、陸地にあるときは水をいれる器でもある。湯船(ゆぶね
 )は、お湯のはいった舟という意味に他ならない。舟と水の関係が逆転しているという
 ことでもあるが、道具としての絶対性をもっていないということであり、いわば多目的な
 存在でもある。この正反対が合目的的ということであり、機能別の分化が促進されるよ
 うになっていく。機能性が高くなるが、それ以外に使い道がないということである。

  これらの土偶は、最終的には破砕されて、捨てられる。アイヌの伝統では、遺品を一
 部破壊することによって死者に手向ける。物は割れたり、欠けたりすることによって、
 役目が終わって、向こうの世界にいくのだと信じられていた。別のいい方をすれば、遺
 品を破壊することによって、向こうの世界に送ってやることができる。大文字焼きという
 表現を京都人は嫌う。あれは焼くのではなく、送り≠セからである。多少意味性が変
 質しているが、基本的にはおなじものと考えていい。

  この土偶は、いままでの土偶とは違う、非常におもしろい情報をつたえてくれる。一
 見、奇妙とも思える装飾だが、口と臍(へそ)までが渦巻きによって結ばれてる。

  口は循環思想を表現することは前に述べたが、これと臍が接続される。胎児の時は
 臍の緒と胎盤によって母親とつながっている。出産時に、子宮から胎盤が剥がれ、臍
 の緒と一緒にでてくる。これを人間は繰り返してきた。口は、もちろん栄養を取り入れ
 る器官でもあり、母親の栄養を胎児はもらい受けて成長する。性の発見により、こうい
 ったことが再評価されるようになったと考えていいのだろう。

  とくに先祖祭祀をするようになると、先祖の反対に位置する子供が再認識されるよう
 になってくる。ままごと道具や鳴る土偶の出現は、子供に対する意識変化がおきてい
 ることを示す。先祖祭祀をするようになると、先祖祭祀が継続されなければならない、
 という要請がうまれてくる。なぜなら、自分もいずれそのなかに入っていくからである。
 それとともに、子供に対する教育という発想が成立するようになる。

  焼畑による植物栽培は、種をまいて成長したら刈り入れる、といった程度の作業しか
 ないが、家畜の飼育や子供の教育と、本質的にはおなじ。さらに自然環境に働きかけ
 て環状集落をつくるという人工的な操作をやっており、子供に対しても人工的な操作が
 波及している。具体的には、年長組などの組織による教育などであり、おそらく、この
 時点で、いわゆる口伝が整備されはじめている。だから、口と臍が接続されている。

  また、前出の長野県目切遺跡出土の土偶は、太鼓を抱えている。

  伝承を語り継ぐとき、合の手(あいのて)を入れることもあるが、何らかの楽器をつか
 うこともよくある。手にもっている太鼓は、おそらくイノシシの皮を張ったものであり、も
 ともとイノシシの神託を聞くための装置だったのだろう。それはイノシシの神の話をす
 るときに欠かせない楽器でもあり、イノシシ神が人間に語りかける唯一の手段でもあ
 る。とくに大きな問題となったと考えられるのは、@イノシシ狩りで死亡事故などがおき
 た場合と、Aイノシシが獲れなかった場合だろう。何度か経験しているうちに、徐々に
 理由を説明するような物語が整備されていったのだと思われる。

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その72


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最終更新日2007年8月18日