比較文化史の試み 307


  寒冷化と社会変化

  この社会的転換には、自然環境が変化したことが深く影響している。後期になると、
 寒冷化がおきて多くの植物が枯れた。食物としてクリの栽培をしていたと考えられてい
 る三内丸山遺跡は、壊滅的打撃を受けて1500年の歴史を閉じる。関東でも、植生が
 変化したことがわかっており、クリからトチノミへの転換を主張する学者もいる。気候変
 動が直接的要因かどうかは判然としないが、北海道東北部では遺物がほとんど発見
 されなくなり、無人化をおこしている。中期にピークだった東日本の人口も、晩期に向
 かって、坂道を転げ落ちるようにして激減、同程度に回復するのに弥生時代を待たね
 ばならなかった。西日本では、東日本ほど大きな動揺は見られず、むしろ一時的に人
 口が増える。晩期になると安定して、元通りになったというところか。

  東日本では、焼畑や栽培などを含め、狩猟採集民以上に食料開発が進んでいたこ
 とを示す。だからこそ、大きな人口を支えることができた。ところが、ひとたび寒冷化に
 襲われると、焼畑や栽培などの植物は不作となり、自然にある動植物を乱獲し、狩猟
 採集にも破綻をきたすようになる。

  一方西日本は、いわゆる縄文時代を通して人口が少ないまま推移している。前期に
 釣り針や錘などが東日本とおなじように出土しているが、人口増に結びついていない。
 理由はよくわからないが、狩猟採集民以上の人口密度をもっていないから、寒冷化に
 よる深刻な打撃を受けずに済んだようだ。上述のように、後期ではかえって人口が増
 えるという現象が起きており、自然増加というより、東日本からの流入を想定した方が
 賢明だろう。とくに九州では前期に非縄文地のまま残っているような断絶した地域であ
 り、後期に、いわゆる縄文文化的な要素が普及する。寒冷化という厳しい条件が出現
 したことで、関東や中部、あるいは東北の縄文文化の南下を促した面があることは否
 めない。九州も縄文文化圏に組み込まれ、列島内での文化的な格差を埋めた、という
 積極的な評価をしたいと考えるが、どうだろうか。

  ちなみに自然環境にもよるが、狩猟採集民の人口密度は1平方キロあたり0.1〜
 0.3人程度で、ドングリ採集をおこなう狩猟採集民では0.5人程度、漁撈との併用で
 約3人という例があるようだ。中期の関東や中部では、1平方キロあたり3人程度(異
 論あり)と推定されていて、狩猟採集民としては、ほぼ限界に近い。関東や中部は人
 口密集地帯といっていい。西日本では、1平方キロあたり0.2〜0.3人程度だったら
 しいので、順当なところなのだろう。

  後期の土器は、天・地上・地下の三層構造を発見することにより、口縁部・頸部・胴
 部に3分される。立体的な装飾は一転し、簡素化・簡略化の様相をみせる。頸部は無
 文帯となり、ほとんど装飾が施されない。

  北海道南西部と東北北部では、十腰内(とこしない)・入江(いりえ)式がつくられる。
 これは2分型の土器であり、三層構造の思想が波及していないことがわかる。もとも

十腰内・入江式

(日本の人類遺跡 71p 東京大学出版会 以下略)

 と、関東・中部地方で登場した思想であり、この地域が様式として整備されているのは
 当然として、北陸と北九州までの西日本が分布圏になる。東北南部にも存在するが、
 西日本に影響が強くでていることが興味深い。

  東北南部は綱取(つなとり)式、新潟県に南三十稲場(みなみさんじゅういなば)式、
 石川県に気屋(きや)式、関東と中部に堀之内(ほりのうち)式、近畿・中国・四国では
 北白川上層(きたしらかわじょうそう)式、北部九州には鐘崎(かねざき)式がそれぞれ
 分布する。

綱取式

南三十稲場式

気屋式

堀之内式

北白川上層式

鐘崎式

  こうやって並べて見てみると、東北南部の綱取式と九州北部の鐘崎式は、やや違う
 ことがわかる。鐘崎式は、胴部に横方向の装飾をもっているが、南三十稲場式・堀之
 内式・北白川上層式では、縦方向になっている。つぎに、綱取式では、装飾が途中で
 切れるようなことがない。器形も南にいくにつれて平べったい形になっている、鐘崎式
 では上げ底になっている、などなど。

  南九州から奄美まで出土する市来(いちき)式は2分型に属する。十腰内・入江式と
 おなじであり、海をあいだにもつ地域では、2分型が選択されているようだが、偶然か
 も知れない。

市来式

  蛇足になるが、作家の荒俣宏がいっていたことだが、「博物学は数」だそうである。
 収集したものをガーと並べて、ジーと見ていると、「ああ、これは違う」とか、「これとこれ
 は同じものだ」とか、突然わかるという。土器もやはりおなじで、ガーと並べると、違い
 がわかるようになってくる。熟達した考古学者が、破片から土器型式を言い当てること
 ができるのは、数をこなしているからである。土器片は、装飾の断片や焼きの程度、
 厚み、そり具合(器形の判断ができる)、胎土の質、風化の程度などさまざまな情報を
 与えてくれると思われる。思われるが、門外漢なので、詳細なことは知りようがない。
 知りようがないが、比較文化史も似たようなところがあり、文化間の比較経験が多けれ
 ば多いほど、気づくことが多くなる。 

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その81


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最終更新日2007年8月29日