磨消縄文と霊的存在
前代では、繊維土器とか羽状縄文がキーとなっていることを話したが、おなじようなも
ので磨消縄文(すりけしじょうもん)という手法がある。磨消縄文は、縄文施文後に意図
的に磨り消す文様のことで、あたらしい書き加えた装飾が目立つようにする。

(縄文時代研究事典 戸沢充則編 106p 東京堂出版)
磨消縄文例
モノクロ写真では少々わかりにくいかも知れないが、左側に薄く写っている装飾が磨
消縄文である。縄文を磨り消したあとで区画線を引く場合と、区画したあとで区画内を
磨り消す方法があり、いずれにしろ縄文を先に施すので、充填文のように区画の形状
による施文具の進行方向に乱れが生じない。
中期後半ごろに日本各地でつかわれるようになり、後期、晩期へと継承されていく。
ただし西日本では、後期後半に消滅する。土器そのものが無文化するからである。磨
消縄文の意味は、背後にほのかに見える≠ニいうことであり、先祖祭祀を後追いし
ながら普及していったものと思われる。日本は湿度が高く、霞(かすみ、春)や霧(き
り、秋)が立つので、遠景がぼんやりすることが多い。アイデアのヒントは、そのあたり
にあったのだろう。
また、背後に後退するということでもあり、時間の意味も合わせもつ。死者を埋葬した
墓地と生者の生活する集落が分かれるということは、死者は背後に後退すると理解さ
れていたことを示す。ひとりの人間が墓地と集落に、同時に存在することはできない。
墓地を中心につくられた環状集落の場合、これが可能だった。死者と生者が共に生き
ていた。墓地と集落が分かれると、死者のための時間と、生者のための時間に分か
れざるを得ない。いわば聖と俗が分離した状態が出現する。いわゆるハレ(晴)とケ(
褻)である。時間を区分するようになる。磨消縄文は空間の区分でもあるが、時間の区
分でもある。
これは仮面儀礼、その背後にある精霊信仰における肉と霊の分離から派生する。前
に土偶を打ち壊して送る話をしたが、肉と霊が分離していない状態では、物そのもの
を送る。肉と霊が分離すると、送るのは霊であって肉ではない。土偶を壊すことによっ
て、土偶は死ぬ。死ぬから肉と霊が分離し、霊を送ることが可能となる。外面行動はお
おなじながら、一段複雑な理解に到達する。このことによって時間差を生じる。死ぬこ
とと霊を送ることを、同時に成立させることができない。だから集落で死に、墓場で送
る。集落が日常ならば、墓場は非日常であり、集落で死を悼み、墓場で送るための儀
礼をおこなう。もちろん、死体が墓場まで勝手に歩いて行くはずもなく、人々によって葬
送される。この葬送とは意味が違うが、送りが終われば、墓地から集落に戻る。日常
へと回帰する。墓地から帰ってくるのは、生者に他ならない。
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褻(け)の原意がよくわからないが、おそらく、もののけ(物の怪)のけ≠ニおなじな
のだろう。もののけは、物質としてのもの≠ニ、霊的存在としてのけ≠ェ接続され
て成立する。このけ≠ェ打倒されたときに、霊的存在としての神聖さを失い、死霊や
生霊に転落するのだと思われる。褻は、もともと物質と霊に分離したときを示していた
らしい。これが拡大解釈されて、日常ということになったのだろう。一方の、晴れはズバ
リ天候のことであり、再生を司る太陽神が、台風や雷雨などに勝利した瞬間である。
別のいい方をすれば、アニミズムは自然のあらゆるものに霊的存在を認めるのだか
ら、け≠ノ満たされた世界だともいえる。穢(けが)れという表現があるが、本来は
け≠ェ枯れた状態を指すのだと思われる。つまり墓地で太陽神がすべてのけ
に勝利し、浄化されたこと意味する。ところが、弥生時代になると、太陽神が日常の世
界に入り込む。太陽神が墓地から抜き取られ、主祭神として祀られるようになると、穢
れの意味が反転する。墓地は浄化された、けが枯れた場所ではなくなり、穢れた場所
に転落する。
冷静に考えてみれば、一種異様な風景ではあるが、環状集落の中心に墓地があっ
たのは、聖なる場所だからである。墓の分離は、聖地と俗地という空間概念の変容を
もたらすことになる。
*
後期になると、特別なときにつかう精製土器と日常でつかう粗製土器に分化する。ハ
レとケが意識されるようになれば、公的と私的なものを分別するようになる。おそらく、
服や装身具などにも波及し、聖と俗をわけるようになったと考えられる。この聖と俗を
分けるようになれば、最終的に人間に到達するだろうことは、容易に想像ができる。
前期ぐらいまでは、個人それぞれが祭祀をおこなっていて、いわば万人祭祀といって
いい。中期になると仮面儀礼がおこなわれるようになり、秘密結社が存在するかどうか
断言できないが、儀礼をする人間と鑑賞する人間にわかれていく。もちろん、専門化す
るということではなく、集落の構成員のなかから数人が選ばれ、数年でつぎの世代に
継承されていく。とはいうものの儀礼する側と見る側にわかれたと解釈していいだろ
う。
前述のレウェレンは、首長制には正式な司祭が存在するという。それとともに非公式
だが、法や罰があるとも指摘する。別な表現をすれば、万人司祭でなくなれば、組織と
しての要請と個人の行動が対立することがあっても不思議でない。聖と俗が分かれれ
ば、首長ないし司祭による調停がおこなわれることを当然として理解されるようになっ
ていく。このことが中央集権的な権力集中を促すが、絶対的な権力ではない。首長は
集団の利益代表者だからである。
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