比較文化史の試み 309


  8字形付点文と双口土器

  後期になると三内丸山遺跡のような大型集落はつくられなくなる。ひとつは寒冷化に
 よる自然環境の悪化により、分散化した方が生活しやすいことが改めて認識されたこ
 とがあげられるだろう。一部に焼畑や栽培農法による食料の生産、あるいは海洋生
 物、サケなどの捕獲などが、狩猟採集民の人口密度をはるかに超えて人口増加してし
 まい破綻を招いたことは事実である。

  しかし、本質的には墓地を集落から分離させたことが影響している。墓地を中心とし
 た環状集落を形成させると、墓地の大きさによって集落の大きさが決定される。集落
 が大きくなると墓地も比例して大きくならざるを得ない。その結果、大型集落に発展し
 ていくが、一方で極端に集積されるようになる。この環状集落から墓地を抽出すること
 で、ネットワーク型の社会を構築することが可能となる。ひとつひとつの集落は小さくと
 も数が多ければ、ひとつの大型集落より構成員は増える。広域に分散することでリス
 クもある程度は回避できるだろう。

  ところが、実際は減少傾向に歯止めが掛からず、文化的にも衰退へと向かいつつあ
 ることは否めない。少なくとも、前期や中期がもっていた活力が失われ、変質していく。
 それまで自分達がやってきたことへの懐疑であり、いわゆる縄文文化への不信だった
 のだろう。

  下図は十腰内式土器だが、装飾の要素としては、あたらしいものは出現していない。
 ただ表現方法として、V字型などの要素を直接描くのではなく、縁取りであらわす。磨
 消縄文と相通じる思想だと考えて問題ない。

縄文時代研究事典 戸沢則編 335p 東京堂出版 一部改変)

  前に話したように壺の定義がよくわからず、丸い胴に細い口という、いわゆる壺の形
 状もかなりあいまいなところがあった。このフラスコ形の土器は、もっとも壺に近いもの
 といっていい。これなら壺と言っても、誰もが納得するだろう。壺は農耕と関係が深く、
 弥生期の主な土器のひとつといっていい。数は少ないが、農耕の顔がチラリと見えは
 じめている。壺は穀物などを保存するための土器であり、蓄積するという役割をもつ。
 このことは時間に対する意識が変化していることを示す。失われるから、保管するので
 ある。

同上 328p)

  綱取式は東北南部の後期初頭に出現する土器型式であり、注口土器や蓋(ふた)な
 ども共伴する。蓋の発生プロセスはよくわからないが、目的でいえば、@虫や埃(ほこ
 り)などから内容物を守る、A乾燥を防ぐ、B内容物を隠す、といったところか。形状は
 鍋の蓋のように円盤に把手(とって)をつけたものが一般的だろう。あるいは急須(きゅ
 うす)の蓋のように、傘状に傾斜したものか。これらの場合は、C熱を逃さない、D蒸
 すという役割がある。思想的に壺と近い関係にあると解釈してもいいのかも知れない。

  装飾的には、右側の土器の口縁部に、ふたつの丸を線でつなげる、というのがあ
 る。これはあたらしい。U字型あるいはJ字型を上から見おろすと、穴がふたつになる
 だろう。もちろん、人間が死んで地下世界から裏の世界に生まれ変わるプロセスであ
 り、これが上から見えるというのは、天から見おろした場合に成立する。天に視点があ
 る。では、見おろしている者は誰か。太陽神などの神々だろう。

  下は堀之内2式土器に特有と考えられている8字形付点文(はちじがたふてんもん)

同上 154p)

 と呼ばれるものだが、綱取式の口縁部にある装飾は、ひとつのバリエーションと考えら
 れる。また、中期中葉ぐらいから双口土器(そうこうどき)という奇妙な形状の土器がつ

茨城県陸平貝塚出土

(土器の造形 71p
 東京国立博物館)

福島県三貫地貝塚出土

(土器の造形 72p
 東京国立博物館)

 くられるようになるが、器の全体形状がU字型ないしV字型の特殊な形態のものは後
 期になってから登場する。双口土器(ものによって双子土器と呼ばれるものもある)
 は、側面から見ることが多いが、上から見れば穴がふたつになることは明白だろう。も
 ちろん、穴がふたつ開いているだけでなく、つながっていることが肝要だが。

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その83


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最終更新日2007年8月31日