十字型石器・埋甕
この時代の土器装飾の多くが縦方向に描かれ、胴部の最下部でプッツリ切れている

のは、地下で消えていくという意味らしい。3分型の典型的表現であり、口縁部から
天、顎部の地上、胴部の地下がそれぞれに割り振られる。U字型あるいはJ字型を立
体的に見れば、途中まで線がこちら側にあるが、やがて離れて向こう側に行く。
例外は、北部九州の鐘崎式だろう。

3分型であることは間違いないが、U字型あるいはJ字型の要素をもっておらず、し
かも装飾が走る方向は、縦ではなく、横である。情報の欠落によってそうなっているの
か、再解釈されているのか即断できないが、おそらく、それ以外に解釈のしようがない
からなのだろう。いわゆる縄文文化は、中部・関東地方で、旧石器時代からの伝統を
継承しながら発展していったという経緯(いきさつ)がある。影響下にあったのは、東北
南部や北陸、東北北部から北海道南西部までの範囲と見ていい。もちろん、これらの
地域が中部・関東に影響を与えなかったということではない。西日本は総じて縄文の
色彩が薄い。とくに九州では、旧石器時代からの伝統という素地がない。だから、発見
したのは、空間を分けるという考え方であり、上下なのである。
このことは別のもので、裏書きすることができる。

(縄文時代研究事典 戸沢充則編 90p 東京堂出版)
長崎県内
十字型石器は後期の九州でも限られた場所でしか見つかっていないが、上下左右
をわける、あの十字である。何で今ごろ、という感じがしないでもないが、素地がなか
ったからで、十字はあたらしい思想なのだろう。中部・関東では、すでにキ字型に移行
しており、しかも十字の本来意味するところは、宇宙樹(ユッグドラシル)であるにも関
わらず、材料に石を選択する。破天荒というか、誤解というべきか。少なくとも、この時
点では、宇宙樹という思想は抜け落ちている。
ただ、石は死者を向こうの世界に送り届ける役割を担っており、その意味で十字型
石器はオーソドックスな解釈でもある。

(同上 127p)
これは多頭石斧(たとうせきふ)と呼ばれるものだが、突出部の数により、三頭石斧
や四頭石斧などとも称することがある。後期の中部地方に隆盛するが、東日本からも
出土する。尖底土器文化期に出土例がある環状石斧との関連が指摘されているが、
はっきりしたことはわからない。あるいは十字型石器の影響を受けたのかも知れない
が、三は三角形でもあるし、どうも木のキ字型とは別に、継承されてきたようだ。環状
石斧も多頭石斧も、弥生時代まで存続し、環状石斧は全国から出土するようになる。
死者を送ることと、死者にして送ることには、皮一枚の違いしかなく、どこかに破れ目
があるような気がしてならない。
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肉と霊に分離し、死の意味性が変容すると、徐々に埋葬法に影響を与えるようにな
ってくる。そのひとつに、甕棺(かめかん)をつかった埋葬がある。前期末に初出し、中
期以降、後・晩期に全国に普及する。弥生時代の甕棺墓と違うのは、一部の例外を除
き、単体での使用になり、蓋ないし蓋の役目をもつ甕との合成(合口甕棺)による空間
の維持がおこなわれない。従って、土が甕棺内に入り込み、遺体が保持されない。

(同上 53p)
もともと甕棺につかわれている土器そのものが小さく、胎児とか幼児ならともかく、大
人では入りきれない。実際、一歳未満のケースが多いとされ、大人の場合は、頭骨な
どの一部分が入れられており、改葬されていることを伺わせる。沖縄では近年まで洗
骨がおこなわれていて、骨が魂の座というような考え方だったようだ。肉と霊が別々の
ものとして理解されるようになると、生きているときに霊はどこにあるのかとか、いつ分
かれるのかといった疑問が生じるのは当然だろう。埋葬して肉を腐らせてから、洗骨
などをしたあと、再度埋めなおすという手法がとられたらしい。
竪穴住居内の入口に埋設された場合を、埋甕(うめがめ)という。ちなみに入口以外
のところにあるときは、屋内埋設土器として厳密につかいわけられているようだ。

(同上 35p)
この埋甕には、@死産児の胎内回帰を促す説と、A新生児の成長を祈願する胎盤
収納説があるが、嬰児・幼児の骨が出土した例がないことや、土壌の脂肪酸分析での
検出結果などから胎盤収納説が有力であるように思える。その多くが、中期後半から
後期初頭の限られた時期に、中部・関東地方に隆盛するという、特異な様相を呈して
おり、あるいは自然環境の激変が背後にあるのかも知れない。いずれにしろ、甕に限
定せず、器の形状をもつ土器一般が子宮と類縁にあると解釈されていたようだ。鍋も
食器も女性原理に基づくものであり、女性が独占することは当然という理解だろう。
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