比較文化史の試み 311


  壺棺・石組石棺墓・盤状集積墓

  この甕棺とおなじようなものに壺棺(つぼかん)がある。壺棺は後期初頭の東北北部
 で見られるもので、成人の骨を改葬して収納する。こういった埋葬法が特定の階級に
 属する人物に限られたのか、思想によるものかハッキリとはしない。ただ、豪奢な副葬
 品などが見つかっていないし、墓域の構成要素としての違いがあり、川上や川下などと

(縄文時代研究事典 戸沢充則編 134p 東京堂出版)

 いった出自の違いを表現するためにつかわれているようだ。

  甕棺や壺棺と真逆にあるのが、石組石棺墓(いしぐみせっかんぼ)だろう。石組石棺
 墓は組石棺墓(くみいしかんぼ)とも呼ばれ、平らな石で四方を囲む。石蓋をともなうも
 のや、底に石を置くものもあるが、古墳時代の石室とは違い、土から完全に分離するよ

(同上 30p)

 うなことはない。大きさによっては屈葬ということもあるが、多くは伸展葬であり、あきら
 かに再葬を前提にしていない。中期末から後期中葉ごろまでつくられる。東北北部で
 はじまったようだが、後期前葉に中部や関東、北陸まで広がる。石は向こうの世界に
 送り届ける役割をもっており、石で囲うのは了解できるとして、石の蓋をするのは、や
 はり戻らないようにするためだろう。どうも、このころは死霊のようなものが信じられて
 いたらしい。もっとも現代でも信じられているが。

  向こうの世界に再生できなければ、地下に留まるか、戻ってくるか、魂の永遠性を信
 じるなら、どちらかしかあり得ない。地獄のようなところにいるか、死霊としてこの世に
 彷徨(さまよ)い出るか。

  ただ、古事記を読む限り伊邪那美命(いざなみのみこと)が行った黄泉の国は、割と
 ふつうに生活していて、紅蓮地獄、剣林地獄などといった描写はでてこない。こういっ
 た仏教の勧善懲悪的な価値をもっていないが、伊邪那伎命(いざなきのみこと)が逃
 げだすぐらいの恐ろしい形相をしていた。伊邪那美命の体には蛆(うじ)がわき、八種
 の雷神が成り出でていた。これは墓の話と考えて問題ないだろう。

  追いかけてきた伊邪那美命は、一日に千人絞め殺すと呪言を投げかけ、伊邪那伎
 命は、一日に千五百の産屋(うぶや)を建てると答える。本来、女性格の女神が産むこ
 とを司るはずだが、ここでは位置づけが逆転する。集落と墓地が分離すると、墓地は
 器(うつわ)とおなじ女性格に、集落は男性格に割り振られるからである。

  屈葬から伸展葬に変化するのは、出産がおこなわれるのは裏の世界であり、地下の
 世界ではないということらしい。地下世界が存在しないときは、こちらで死んだ人間が
 裏の世界に生まれ変わるということであり、体を折り曲げた屈葬にするのは、胎児の
 姿そのままに、裏の世界で再生する。その準備作業とも言えようか。

  それが間接的に地下世界を通してのみ、裏の世界に行けると理解されるようになる
 と、そのままの姿で一度地下世界に行かざるを得ない。古事記の話は、ここに由来す
 る。そして地下世界を経て、裏の世界に再生する。

  いずれにしろ、甕棺や壺棺と石組石棺墓は、思想的に対立しているとはいえるだろ
 う。埋葬方法の並立は、死後観の混乱であり、人生観の混乱でもある。また、世界を
 どのように捉えるかという問題でもある。配石遺構や大規模な環状列石などは、ひと
 つの回答である。

  一瞬ギョッとする写真だが、愛知県刈谷遺跡で見つかった盤状集積墓(ばんじょうし

(同上 157p)

 ゅうせきぼ)で、土葬した肉体を完全に腐らさせて掘り起こし、骨だけを集めて再葬し
 たことがわかる。時期的には、つぎの時代になるが、奇妙な埋葬法だろう。他には、家
 に葬(ほうむ)る廃屋葬や、二体以上の遺体を埋葬した合葬、頭蓋骨を向かい合わせ
 にした円形の墓、100体以上を一緒に埋葬した例、10数体の頭蓋骨を丸く並べた
 例、特定部位だけを選んで埋葬した例などの集骨墓もある。

  こういった埋葬法が特例といえるのかはっきりしないし、思想的な背後がわからない
 ものがある。後期以降の埋葬法には、謎が多い。事例の整理を含めて、これからの研
 究課題だとはいえるだろう。

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その85


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最終更新日2007年9月2日