環状土籬
環状土籬(かんじょうどり)は、北海道中央・東部に出現する墓で、後期後半につくら
れる。竪穴住居とおなじように穴を掘り、その土を周囲に積み上げて盛り土にする。こ
のことから、周堤墓・環状周堤墓、あるいは竪穴墓域などとも呼ばれることがある。

柏木B遺跡第1号環状土籬
(縄文時代研究事典 戸沢充則編 55p 東京堂出版)
もともと竪穴が洞窟からの変転であり、仮の死(睡眠)と死を分けるという思想から発
展したことを思い起こせば不思議ではないだろう。ただ、周囲に巡る素材として石では
なく土をつかっていることが興味深い。石をつかえば環状列石になり、また死者を送る
神学装置である以上、ふさわしいと考えられる。ところが環状土籬では土をつかう。解
釈の問題でもあるが、思想上で肉と霊が分離することによって、一度埋葬した遺体を
掘り起こして、おそらく洗骨して再葬する。骨が魂の座と考えているのなら、当然だろ
う。このとき肉は土に還元される。土は単なる泥ではなく、先祖の体であり、肉の蓄積
に他ならない。
土が先祖の偉業によってなされたものと理解されるようになれば、土によって恵み育
まれる草原や林、あるいは深い森は、先祖の肉の一部として理解されるようになる。景
観はあってあるものではなく、先祖がつくりあげたものであり、クリやトチノミの堅果類
や果実は先祖があたえた肉として解釈されるようになる。当然、草や木を食べる草食
動物、草食動物を食べる肉食動物へと展開していく。
このことは人間に因果説を発見させることになる。
前述の土器の装飾にはU字型とJ字型があることを指摘したが、これは行為次第で
は裏の世界にいけないことを意味し、行為としての原因を発見したことの証明である。
尖底土器文化期までの人間は世界構造に従えばいいのであり、この解釈を転換する
ことにより生活習慣、行動様式を変えてきた。この関係が、景観を先祖の業績として捉
えることにより、反転する。
それだけでなく、環状集落や環状列石などを作りつづけた結果、生まれたときから人
造物が身近に存在すると考える、あらたしい人間が育ってくる。先祖がなし得た行為
の結果、今があると理解するようになる。このことは未来においても成り立つだろう。
自分の行為に責任をもたざるを得なくなる。首長はその責任を負うようになっていく。
一方で、聖と俗に分離することにより、いわゆる俗人は、この責任から免除される。
首長とその家族といったリネージは必然的に高い地位を与えられ、子供はそのように
教育されていく。ただ、首長制において子供が継承することはなく、高いリネージの出
身であれば誰でもいいようだ。もちろん、愚か者では困るが。これは聖なるものが個人
ではなく、集団に帰属していることを意味する。もともと起点となっているものが系統が
定かでない先祖という集団だからでもある。
また、柏木B遺跡例では、石棒や石鏃、石斧、玉などの石の加工品が多く出土して
いることに注意してもらいたい。
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千歳市の近くにあるキウス遺跡では、環状土籬が15基見つかっている。最大規模
のものは外径が75m、内径が34m、深さが5.4mあるというから、相当な土木工事で

キウス環状土籬群
(三内丸山遺跡 79P 朝日新聞社)
あったことは間違いない。1号環状土籬では、墓標とみられる立石が検出され、複数
の墓壙(ぼこう)が発見された。従って、集団墓地と断言していいが、それぞれの埋葬
者がどのような関係にあったのか、知ることはできない。いずれにしろ、個人の墓から
集団墓地への移行をしていて、死が個人的なものでなく、社会的な祭祀に関わって成
立している。
一見矛盾しているようだが、首長は社会的要請によって、大規模な土木工事を決定
したのであり、これに答えられないようでは首長としての資質に欠けると判断される。
その一方で、集落構成員に対して強要することができない。絶対性をもっていないから
である。とはいうものの、力を集中させ大規模工事を実現させるだけの技術と、中央集
権的な決定力をもつに到った。北海道は、中期末葉に環濠遺跡をつくっていて、先駆
的存在だが、東北の環状列石も同様と判断できよう。
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