石刀・石剣・筒形土偶
石刀(せきとう)は成立プロセスのよくわからない磨製石器だが、断面が楔形になっ
ていて湾曲の内側に刃部をもつ。後期中葉ごろに出現し、北海道から近畿まで分布
する。黒色磨研土器/亀ヶ岡式土器文化期(晩期に相当)に、北海道・東北と、北陸・
中部・近畿地方で盛行するという偏(かたよ)りがある。

石刀
(縄文時代研究事典 戸沢充則編 114p 東京堂出版)
赤色顔料で塗彩された例や、土壙墓(どこうぼ)の副葬品として出土したこともあり、
刀としての実用性より、祭祀色がつよいことが伺える。上記のように発生要因として、
@中期に北海道南西部と東北に分布する青竜刀(せいりゅうとう)型石器が石剣の影
響を受けて成立、A前期以降に登場する骨製刀子(とうす)から発展、B屋内祭祀で
つかわれた石棒から変化した、などの説があり、はっきり断言することはできない。

石剣(せっけん)は断面が紡錘形になっており、両側に刃部をもつことで石刀とは区
別される。片刃が石刀、両刃が石剣と考えればいいのだろうが、全体形状もかなり違

石剣
(縄文時代研究事典 戸沢充則編 117p 東京堂出版)
っていて、湾曲しておらず直線的である。黒色磨研土器/亀ヶ岡式土器文化期に関東
から東北の太平洋側で盛行する。この意味で、石刀とは棲み分けが生じている。いわ
ば関東が石剣で、他地域では石刀になる。このことから、石剣と石刀は同一の目的に
よって登場したと仮定することができる。
いずれにしろ小型軽量化されており、個人で携帯できるようになる。もともと環状集
落の中心点になっていた立石や墓石から、屋内祭祀の石棒を経て、ふたたび環状列
石などの屋外での共同祭祀につかわれるようになった。一見もとに戻ったような感じ
だが、家族単位の屋内祭祀を経ることで、個人ないし家族という要素が組み込まれる
ことが違う。環状集落は、世界構造を反映させてつくられたものであり、そこに人間と
いう要素は存在しない。

屋外での共同祭祀をおこないつつ、個人が携帯し所有する石器を必要とした。おそ
らく、それが発生原因だろう。
もうひとつ注意してもらいたいのは、石刀にしろ、石剣にしろ、刃部をもつことにあ
る。直接的な実用品ではないが、武器化しつつある。ここで弥生時代の青銅器祭祀を
思いだしてもらいたい。武器としての銅剣や銅矛を山の神に奉納していたのは、近畿
から九州にかけての地域ではなかったか。そして近畿は、どちらかといえば銅鐸を祭
祀につかっていたのではないか。
縄文期と弥生期でおこなわれる祭祀が重なった場所が近畿地方であり、近畿にとっ
て武器祭祀は、すでに経験済みなのである。近畿より西の地域では、あたらしい出来
事だろうが、近畿人にとって何をいまさら≠フ感があるのは否めない。これは近畿
以東では、おなじだろう。水田稲作はともかく、青銅器祭祀が近畿で止まるのは、文化
間のギャップが存在するからである。時代によって違うが、いわゆる縄文文化の核は
関東地方であり、北海道西南部から近畿までが範囲に含まれる。九州は縄文的価値
でいえば遅れた地域といっていい。このことが時代的なズレを生じさせている。
話が先に進みすぎたようだ。もどろう。
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筒形土偶は手足が省略されていて、円形ないし楕円形の板状の顔がつけられること

神奈川県稲荷山貝塚出土
(土器の造形 104p 東京国立博物館)
に特徴がある。稲荷山貝塚から出土した土偶には、腹部に六つの穴があり、一段おき
に曲線で結ばれる装飾をもつ。尖底土器文化期に祀られていた棒を継承するもので
あり、手足がないのは、人間や動物とは違う神格をもつからでもある。世界を天・地上
・地下の三段として考えていたことは前述したが、三段は片面だけの数であり、裏表で
は、合計六つの世界となる。

この裏と表をずらすことにより、分断された世界は統一され、一体となる。鍵となるの
は世界をつなぐ穴であり、顔が傾斜しているのは、この神格を表現するために他なら
ない。もともと裏の世界は太陽が行く場所であり、神聖な場所として理解されていた。
死後に訪れる世界も同様に、生きた人間にとっては聖なる場所である。この裏の世界
に対する敬虔な気持ちが反映されて、裏は、より高いものとして位置づけられる。
筒形土偶は後期前半の関東地方にみられるもので、東北の宇宙樹とは系統が異な
るが、世界構造を体現したものである。ちなみに、ここでは乳房がつけられていて、女
性格であることがわかる。ただし、それが普遍的なものか問われれば、違うような気が
する。筒形土偶は、明らかに男性格をもっているものがあり、穴の反対は棒であり、男
性器を連想させる。男性格をもっていても不思議ではないだろう。
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