比較文化史の試み 316


  ミミズク土偶・遮光器土偶

  須佐之男命あるいは類似の神が、黄泉の国にいくのは、おそらくペアで考えられて
 いるためだろう。墓が女性格であることは前に指摘したが、伊邪那美命(いざなみのみ
 こと)を割り当てるにしろ、そのままでは偏りが生じる。これを是正するために、須佐之
 男命が黄泉の国に行くことになるのだろう。逆にいえば、天上界でもペアであることが
 望ましい。前述のように、天照大御神とペアになっているのは、伊邪那伎命(いざなき
 のみこと)ではなく、高木の神である高御産巣日神(たかみむすひのかみ)に他ならな
 い。高御産巣日神は空にそびえ立つ大木であり、世界をむすぶ。これは男性器を連
 想させるだろう。高御産巣日神が男神であるならば、天照大御神は女神でなければな
 らない。ところが、この土偶は、乳首はあるものの、女性としての胸をもたない。

  どうかんがえても男だろう。土偶が出土した千葉県余山貝塚は、銚子市にある。銚
 子市は関東のもっとも東に位置し、太平洋に面する。漁業民にとって太陽神を祀るの
 は、太陽神が雷雨や台風などに勝利し、時化(しけ)が終わって、墓地と同じように海
 が浄化されたことを体現するからである。世界に満ちている有象無象の気と闘い、勝
 利する男でなければならない。これは山で猟をする人々でもおなじになる。太陽神を女
 神と考えるのは、植物の育成が問題になった農耕民である。穀物は太陽光をあびて
 光合成をおこなう。農耕をするようになれば、やがて気づく。

  別のいい方をすれば、天照大御神といっても、女神をいう場合と、男性神を指す場
 合がある。そうすると稲荷山貝塚から出土した土偶は、高御産巣日神である可能性が
 ある。

  高御産巣日神がトンネル(穴)としての女性格をもっていれば、太陽神としての天照
 大御神が男性である方が望ましい。ペアが成り立つからである。また、太陽神が植物
 を育む女性格であるならば、高御産巣日神は世界構造を体現する大木でなければな
 らない。それは男性格を示すからである。

  ちょっと先走りになるが、ここで黒色磨研土器/亀ヶ岡式土器文化期までの土偶を
 検証しておこう。ミミズク土偶は、後期後半から晩期前半に関東地方を中心につくられ

(日本の美術 土偶 39p 原田昌幸著 至文堂)

 る。右は埼玉県滝馬室(たきまむろ)遺跡、左は群馬県千網谷戸(ちあみがいと、と読
 むらしい。読めないけど)遺跡から出土したもので、安行(あんぎょう)式土器に共伴す
 る。ここで注目すべきは頭の形で、弥生・古墳時代編で見たように、太陽神が3、山の
 神が2のトレードマークをもつ。千網谷戸遺跡出土の土偶は、シカやイノシシが偶蹄目

奈良県清水風遺跡

広島県新迫南遺跡

 であり、足跡に二本の指をもつ。滝馬室遺跡出土の土偶を太陽神と確定できるのは、
 いままでの考察の延長線上にある。それだけでなく、東北との文化比較も検討の余地
 がある。それは東北が、中部・関東が発した情報に対して、受け取りつつ、再構築した
 あとで、ふたたび情報発信するという機能をもっているからに他ならない。中部・関東
 で生まれた事柄が、やや時間をおいて東北に出現する。しかも、自分たちの価値観に
 合わないところを補正する。

  黒色磨研土器/亀ヶ岡式土器文化期に入ると東北では遮光器(しゃこうき)土偶がつ

(日本の美術 土偶 40p 原田昌幸著 至文堂)

 くられるようになる。遮光器土偶は、名前どおり、眼部を覆うものが、エキスモー雪メガ
 ネに似ていることから名付けられた。これはサングラスのようなもので、雪の反射光を
 防ぐ目的がある。それはともかく、遮光器土偶には胸の表現があり、女性格をもってい

(日本の美術 土偶 41p 原田昌幸著 至文堂)

 ることがわかる。眼部の表現を比較してみるとよくわかるが、ミミズク土偶は目や口から

 放射線状に装飾を入れている。さすがに先祖に動物神をもつ関東というべきか。なぜ
 太陽神は光り輝くのかという、問いにたいする回答は、狐や大神などがそうであるよう
 に、実際は反射なのだが目から光を放つ≠セったのである。これに真っ向から反対
 したのが東北人で、もともと先祖を動物に仮託するようなことさえ、問題外と考えていた
 フシさえある。関東説を受けつつ、火が自身で輝くように、太陽神も自身で光を放って
 いるに違いない、と考えたようだ。それなら、自分がいちばん眩しい。眩しいから、目を
 細める。そういう思考のプロセスである。

  ちなみに、この目の表現は、木の葉と、横にした8字形付点文の合成である。

  おなじ遮光器土偶でも、頭部の表現が異なっていて、ふつう1と考えるだろう。これは
 太陽がひとつだからでもある。いずれにしろ、現在からみれば、どうでもいいような論
 争のように思えるが、当時は重要な問題だったようだ。太陽神に対する関心が異常に
 高まっているということであり、農耕の発生を示唆する。これは別のアプローチでも検
 討してみよう。

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考古学からみた古代 (縄文時代編) その90


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最終更新日2007年9月8日