製塩土器と農耕
後期末になると関東で製塩土器(せいえんどき)が出土するようになる。製塩土器は
文字通り、海水を煮詰めて塩をつくるために使われた土器で、飴色ないし灰白色の炭
酸石灰(たんさんせっかい、炭酸カルシュウムとも)が付着する。基本的に使い捨ての
土器なので、装飾が施されず、器形が単純な深鉢形をなす。

製塩土器
(縄文時代研究事典 戸沢充則編 107p 東京堂出版)
動物の肉や海産物を食べていると自然に塩分を摂取するが、イモとか穀物が多くな
ると塩分が不足勝ちになる。塩をつくるということは、塩の需要があると考えてよく、同
時にイモ・穀物などデンプン質の食事における割合が高くなっていることを示す。黒色
磨研土器/亀ヶ岡式土器文化期になると、東北が主だが、東日本全体に波及するよ
うになり、弥生時代まで引き継がれる。
日本の伝統的製塩法は塩田ではなく、藻塩(もしお)でつくる。これはアマモなどの海
藻に塩水をかけて塩分濃度をあげ、さらにこれを焼いて水に溶かし、上澄みだけを釜
で煮詰める。この手法がどのようにして成立したのかわからないが、古事記には、伊
邪那伎命(いざなきのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)が天の浮橋(あめのう
きはし)で矛でかき回すと塩になり、塩が積もって淤能碁呂(おのごろ)島になったとい
う話が残されていて、塩を摂取するようになったのは、もう少し古い感じがする。
というのは貝の加工をしたと思われる大規模環状貝塚は、中期に多く作られていて、
貝を煮るという工程があれば、その煮詰まった海水が塩辛いことを発見しても不思議
ではないからである。それは断言できないが、後期後半には製塩土器が出土している
から製塩について保証できる。
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もうひとつは祖霊信仰からのアプローチである。
一般的にいうと、アフリカや東アジアでの狩猟採集民では、祖霊信仰はあまり見られ
ない。祖霊信仰をおこなうのは、農耕社会が多い。祖霊と農耕には、似た関係があ
る。狩猟採集民のように獲れたものを獲れただけ腹一杯食べると、農耕はできない。
農耕では、種をつぎの年に繰り越さなければならないからである。種まで食い尽くすの
は飢餓などの非常時だけである。ふつうは来年まで残す。もっとも年中暖かく、年中耕
作が可能であれば必要ないが。それでも、種までは食い尽くさないで、残す。植物栽培
をするようになると、気づくようになる。
これを親とすれば、つぎは子供となり、そのつぎは孫となる。図式化すれば、親・子・
孫の順となるだろう。これを孫・子・親の順へと辿っていけば、先祖になる。祖霊と農耕
はベクトルの向きが逆なだけともいえる。三内丸山遺跡で栽培されていたクリの遺伝
子が近い関係にあるのは、これを繰り返したからに他ならない。もちろん、身の大きい
ものを選別するという作為があるために、遺伝子が近くなっていくのだが。つまり、祖霊
信仰と農耕には子孫を残すという共通点がある。そうしないと、先祖を祀る人間がいな
くなってしまうのである。
この視点でみれば、塩は保存食料よりも保存がきく。この発見が製塩を生みだした
根本要因だろう。
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現時点で、もっとも古い木製の鍬(くわ)は、黒色磨研土器/亀ヶ岡式土器文化期の
後半に該当する高知県居徳遺跡(いとくいせき)から出土した。ところが鍬に似た感じ
の木製品は後期にでてくる。

石斧をつける石斧柄(せきふえ)には、直柄(なおえ)と膝柄(ひざえ)と呼ばれる形態
がある。直柄はストレートな棒状であり、膝柄は膝のように途中でまがる。柄の方向と
刃の方向がおなじものを斧(おの、縦斧)といい、柄と刃が交差するものは手斧(ちょう
な、横斧)と呼ばれる。手斧は鍬形の斧のことであり、鍬とおなじような使い方をする。
丸木舟は大きな木をくり抜いてつくる。その点では、伝統的なものといっていい。問題
は対象が木か土かというところにある。肉と霊が分離し、土が先祖の肉体を考えられ
るようになると、土に対する関心が高まっていくことが予測できる。この柄と横斧の組み

を想定できるのは中期の勝坂式土器の対称弧刻文がつくられた頃だろう。しかし、もう
ひとつ要素が足りない。それは焼畑における播種(はしゅ)は、地面に穴をあけて種を
蒔く方法であり、農耕とは思想的に異なる。
耕すということばは、田を返すという表現が変化したものであり、焼畑とは根本的に
違う。これが可能になるのは、おそらくU字型あるいはJ字型の装飾が登場したときだ
ろう。後期の寒冷化により植生が変化するとともに、食糧の確保がむずかしくなる。
耕す≠ヘ先祖の肉を掘り起こすということであり、先祖の肉を斧で切るということでもあ
る。農耕は祖霊に対する抗議が底流にあるような感じがする。我々はあなた方を祀っ
てきたではないか、なぜ子孫を根絶やしにするような真似をするのか。そんなことをす
れば誰があなた方を祀るのか、といった懇願にも似た思いだったのかも知れない。
先祖に斧をふることが可能になれば、赤の他人に斧をふるうことは容易だろう。人間
の根底にある何かが切れたような感じがする。単なる憶測だが、記紀に登場する須佐
之男命(すさのおのみこと)の名前は、荒(すさ)んだ斧(おの)の命というのが原意だっ
たのかも知れない。須佐之男命は八俣大蛇(やまたのおろち)を退治して櫛名田比売
(くしなだひめ)を得る。農耕と暴力(戦争)という、一見無関係な組み合わせは、奥底
で一体のように思える。
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