比較文化史の試み 327


  文字と口伝

  文字には漢字のように1字が1語を表す表意文字と、音節文字がある。音節文字は
 仮名のように1字1音節と、アルファベットのように1字が音の要素を表す単音文字に
 区分される。母音と子音に分かれるものは単音文字になる。

  古代エジプトのヒエログリフは、表意的、あるいは表音的なものの両方が混在してい
 る。また同一の記号が、表意文字または表音文字としてつかわれることがあったよう
 で、混乱が伺える。ヒエログリフは、エジプトで前3000年ごろに登場したようだが、そ
 の成立プロセスはよくわからない。ただ、ローマに支配されるようになると表音文字の
 数が激増したとされる。おそらく、ギリシアやローマの影響で、そうなったのだろう。

  字形には象形文字、楔(くさび)形文字、方形文字などがある。どうも文字には二通り
 の成立プロセスがあるようだ。ひとつは漢字などのように、全体の形象をとらえて記号
 化するものと、もうひとつは記号の単純な要素を組み合わせて構成していくやり方であ
 る。アルファベットの場合のように、1音節をさらに分解させて、単音まで分解する。た
 だ、ヒエログリフもそうなのだが、もともと母音は記述しない。日本語でいうとカ行ならK
 で表記するようなもので、比較文化史なら、HKKBNKSという感じになる。つまり母音
 の発見があとになっているということである。これに母音を追加して、HいKあKうBう
 NんKあSい≠ニいう表記に変化していく。これは何を意味しているのだろうか。

  縄文時代編で見たように、文字に近い記号はつくっている。ところが、文字には発展
 していない。いったい何が原因で文字がつくられなかったのだろうか。これは文字の成
 立過程がわかれば解決できる問題だが、残念ながら、肝心なところがわからない。

  当時の日本人はこういった記号に名前をつけて呼んでいたのだろうか。なければあ
 れとか、それといった代名詞をつかうしかないが、あれば神名だろう。その場合、一種
 の表意文字的な存在ではあるが、文法的な機能をまったく持っておらず、文字とは呼
 べないだろう。

  人間は、なぜことばを書き残すようなことをはじめたのだろうか。

  ひとつの仮説を提示するなら、例の古代文明化のモデルである。

  古代文明化の最初のプロセスは、農耕をするようになってAがAとAに分離するよう
 になる。春に小麦や米の種を播いて、秋に収穫する。A→Aの構造であり、因果説でも
 ある。例えるなら、私は私である、という表現だろう。この場合、主語の私は、述語の
 私によって定義される。つまり、主語の私は、私は私である、と完結することによって
 はじめて成立する。私は、といった時点では、まだ何も入っていない空箱にすぎない。
 主語の私は、空洞である。だから、私である、を導入することで一体化する。この空洞
 化を回避しようとするなら、「私である私は、私である」と、定義を先に導入してやる必
 要がある。

  古代文明の発祥の地、エジプト・メソポタミア・インダス・黄河には、現在、ひとつの共
 通点がある。それは平然と嘘がつける連中だということである。もともと、そうなのか、
 今がそうなのか即断はできないが、そういったことを臭わせるものはある。ひとつは契
 約という考え方で、口約束が信用できないという前提が存在する。人間は嘘をつくとい
 う暗黙の了解がある。

  この正反対なものは、何だろうか。

  口伝だろう。

  口伝はことばだけであり、他に何も存在しない。だからといって話の内容が信頼でき
 ないということではなく、むしろ、社会的な規範であり、拘束力をもつ。口伝は行動の指
 針にもなり得る。

  ところが古事記には、朝廷に従わぬ者をだまし討ちにする話がある。この背後に
 は、相手がことばを信じて行動するのに比べ、朝廷側は騙される方が悪いのだという
 価値観の違いが存在する。相手がことばを最初から信じていないなら、この作戦は成
 り立たない。この文化間の差異を利用して、勝利する。おそらく弥生時代以降に、こう
 いう現象がおきており、文字はこの嘘が普遍化して必要になると考えられる。

  従って縄文時代は文字をつくらなかったのではなく、つくる必要がなかったと見るべ
 きだろう。

  もちろん、一長一短で、嘘がつけるから仮説が成り立つという面があり、哲学や科学
 などでも必要である。ところが、このことがことばの空洞化を招き、学問の空洞化・形
 骸化をも起こす。古代文明化の洗礼をうけた地域は、かならず、この問題に悩まされ
 る。日本も例外ではない。よほど注意して管理していないと、嘘が蔓延(まんえん)する
 ようになる。

  楔形文字は、前4000年から前3000年ごろに、シュメール人によって考案されたも
 のらしい。もともとは絵文字のようなもので、前2500年ごろから、角のある棒をつかっ
 て粘土板に刻むようになり、楔形の独特の文字に変化していった。シュメール語の他、
 アッカド語、バビロニア語、アッシリア語、ヒッタイト語、エラム語などを表記するために
 使用された。バビロニアでは円柱やオベリスク、石像などにもきざまれていて、またハ
 ンムラピ法典も楔形文字で記述されている。

  漢字はよく知られているように、亀の甲羅や動物の骨にきざまれた甲骨文字がはじ
 まりで、占骨として使用したのがはじまりなのだろう。前1500年ごろに成立したとされ
 ている。

  よくわからないのがインドのデーバナーガリー文字(ブラーフミー文字、梵字)で、古
 代セム文字の系統にあるという説と、独自発生説のふたつがある。サンスクリットを書
 くのにつかわれ、タイ・ベンガル・タミル・ビルマの文字と類縁関係にあることが知られ
 ている。前300年ごろに、つかわれていたとされる。もうひとつはカローシュティー文字
 で、アショーカ王碑文で使用されているが、アラム文字の系統にあるという。ただ、イン
 ダス文明(前2000)のころの遺跡から発掘された印章には、象形文字が刻まれてい
 る。しかし、継承されていないので、文字が解読できずハッキリしたことがわからない。
 セム系の文字に移行しただけなのかも知れない。

  古代ゲルマン人がつかったルーン文字は、最初6文字しかなく、石碑や槍などにきざ
 まれていたという。かなりあやしい感じだが、その後文字として整備され、中世末ごろ
 まで使われていたようだ。北エトルリアの文字から派生したものとされ、最古の資料は
 3世紀なかばものだという。

  そう考えると、日本に古代文字があってもよさそうだが、今のところ確実な証拠はな
 い。あるとしても弥生以降だろう。

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最終更新日2007年9月14日