比較文化史の試み 331


  仏教の革命

  儒教が循環思想化するプロセスについては既に見たとおりだが、過去回帰の思想
 も含んでおり、必ずしも儒教に内在する機能とはいえないところもある。むしろ、外部
 要因として仏教の影響がつよい可能性がある。仏教教団は、すでに承知のように輪
 廻からの解脱を目的に設立されており、この輪廻が他でもない循環思想だからであ
 る。紀元前後に中国に伝わっており、仏教は習合化しやすい面があり、相互に影響を
 及ぼしたのだろう。

  ブッダが入滅したあと100年後ぐらいに、仏教教団が上座部(じょうざぶ)と大衆部
 (だいしゅぶ)に分かれることを根本分裂という。上座部は部派(ぶは)仏教の一派で、
 それからの分派である説一切有部などを含めて20部派がある。根本分裂から100
 年後ぐらいに起きたもので、これを枝末(しまつ)分裂という。大衆部は人が修行して
 解脱に到るのは、内在によるものと解釈する。ブッダは王などの貴族に出家を勧めて
 おり、どちらかといえば大衆を布教対象としていない。この意味では、儒教もおなじで
 ある。ひとりひとりの個人を救済する。これに対して内部から批判が起きるようにな
 り、前1世紀ごろに大乗仏教が成立する。

  小乗仏教(ヒーナヤーナ)というのは、大乗仏教(マハーヤーナ)から見た表現で、有
 部(うぶ)などを含めた部派仏教のことを指す。大乗はおおきな乗り物≠ニいう意味
 で、ひろく衆生を救済するのだとした。思想的萌芽は大衆部にあり、ひとひとりが修行
 解脱に到るのは内在していることだから、突き詰めて考えれば誰でも解脱は可能なは
 ず、という論法である。

  同時に、初期(原始)仏教が釈迦一仏であったのが、阿弥陀仏や薬師如来など仏陀
 と観音や地蔵などの多くの菩薩がたてられるようになっていく。そのひとつに弥勒(み
 ろく)菩薩があり、ブッダ入滅後の56億7千万年後に、この世に下生(げしょう)し、す
 べての衆生(しゅじょう)を救うのだという。弥勒菩薩はブッダの委嘱をうけて不在をお
 ぎなうので、補処(ふしょ)の菩薩とも呼ばれることがある。下生するまでは兜率(とそ
 つ)天の内院にいて、衆生のために説法しているのだともいう。

 日本には飛鳥時代に伝わり、広隆寺や中宮寺では半跏思惟(はんかしい)像がつくられた。慈愛に満ちた笑みをアルカイック・スマイル(古風の微笑)という。にこやかだが、とんでもない菩薩さまである。

 広隆寺の弥勒菩薩像

(図説日本史 41p 東京書籍)

  簡単にいえばそれまでだが、弥勒菩薩はおそろしい事実を内包する。

  弥勒菩薩は仏教に注入された猛毒である。

  そうではないか。すべての衆生(しゅじょう)を救済する、とはどのようなことか。仏教
 に於ける救済は、罪により繰り返し転生する輪廻から解脱して、生まれ変わらないこ
 とである。仏陀の救済から取り残された人々(人間とは限らないが)をすべて解脱に
 導いていく。最初に99パーセントを仮定すると、つぎは98になり、97、96…………。
 どんどん迷いの衆生が減って、やがて2パーセントになり、1パーセントになる。そして
 最後は0になる。すべての衆生が救済されるとは、そういうことにならざるを得ない。

  では、つぎに何が起きるだろうか。

  誰もが転生しなくなる。すべての衆生が解脱してしまうと、輪廻転生する主体として
 の識(唯識説に従えば)が存在しなくなってしまうはずである。輪廻が起きなくなる。い
 や、輪廻が成立できなくなってしまうではないか。

  上座仏教あるいは大乗仏教でもそうだが、あらゆる宗派は輪廻する世界から解脱
 することを目的にする。ところが、弥勒菩薩が登場した後の世界では、輪廻が消滅し
 てしまう。弥勒菩薩は輪廻のある世界を破壊し、仏教そのものを不要とする。世界が
 変わってしまうのである。おそろしいことだとは思わないか。

  大乗仏教の大きな流れのひとつが7世紀のインドにおける密教の成立である。ヒン
 ドゥー教の教理や、古来の神々を仏教に取り入れて密教が成立する。仏教には守護
 する天竜八部衆(てんりゅうはちぶしゅう)と呼ばれる神々が存在しており、天・竜・夜
 叉(やしゃ)・乾闥婆(けんだつば)・阿修羅(あしゅら)・迦楼羅(かるら)・緊那羅(きん
 なら)・摩目侯羅迦(まごらか)のことを指す。また、天または天部(てんぶ)、諸天部は、
 帝釈(たいしゃく)天や毘沙門(びしゃもん)天など、天に住む神々とされる。竜は竜神
 や竜王のことで、雨乞いに関係する。夜叉は森林に生息し人肉を食う鬼神であり、乾
 闥婆と緊那羅は帝釈天に仕える楽神だとされる。阿修羅は帝釈天などと戦う悪神とさ
 れ、迦楼羅は巨鳥で竜を食う。摩目侯羅迦は蛇の神だという。

  古事記にある八俣大蛇退治の話は、密教が比較的はやい時期につたわったことを
 教える。

      やら      いづものくに   かはかみ   とりかみ   ところ くだ
  かれ、避追はえて、出 雲 国の肥の河 上、名は鳥髪といふ地 に降りましき。こ
   
はし         くだ                            おも
 の時、箸その河より流れ下りき。ここに須佐之男命、人その河上にありと以為ほして、
     ま  のぼ         おきな おみな        をとめ
 尋ね覓ぎ上 り往きたまへば、老夫と老女と二人ありて、童女を中に置きて泣けり。こ
     いましたち たれ                  おきな   まを        おおやま
 こに「汝  等は誰ぞ」と問いたまひき。かれ、その老夫答へ言さく、「僕は国つ神大山
 
つみ             あしなづち        てなづち        ママ くしいな
 津見神の子なり。僕が名は足名椎と謂ひ、妻が名は手名椎と謂ひ、女が女 は櫛名
 
だひめ   
 田比売と謂ふ」とまをしき。

(古事記上 97p 次田真幸全訳注 講談社)

  @ 鳥髪(とりかみ)は鳥の神≠フ意で、竜を食べる巨鳥の迦楼羅(かるら)。

  A 老女(おみな)は婆(ばば)のことだから、乾闥婆(けんだつば)との接合。

  B 足名椎(あしなづち)は阿修羅(あしゅら)の変形。

          ゆえ                 まを      むすめ もと   やをとめ
  また「汝の哭く由は何ぞ」と問ひたまへば、答え白さく、「我が 女 は本より稚女あ
         
こし  やまた             くら        
 りしを、この高志の 俣のをろち年ごとに来て喫へり。今そが来べき時なるが故に
                  
いか                  まを
 泣く」とまをしき。ここに「その形は如何に」と問いひたまへば、答えて白さく、「その目は
                          
やかしらやを           ひかげ  すぎ
 赤かがち(ほおずき)の如くして、身一つに尾あり。またその身に と檜・ 椙
        たけ たにやたに をやを  わた             ことごと    ただ
 と生ひ、その長は谿谷・峡尾に度りて、その腹を見れば 悉  く血に爛 れたり」

 とまをしき。

(同上 97〜98p)

  @ 八は八部衆の示唆。

  A 蘿は草冠(くさかんむり)をとって羅とする。
     阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩目侯羅迦への接続。

  B 大蛇はヘビであり、ヘビの神は摩目侯羅迦。

  C 人を喰うのが夜叉。夜叉の叉は、「また」とも読む。つまり夜叉(やまた)である。

  最後の蛇(をろち)はもう少し複雑で、蛇の虫偏(むしへん)をとり、阜偏(こざとへん)
 をつける。蛇と陀。仏陀の暗示であり、草薙剣を通して八俣大蛇と天武天皇が接続さ
 れる。八俣大蛇の話は、天武天皇が仏陀の首を切り落としたという意味になる。

  それはそうだろう。弥勒菩薩の登場する前の世界は、循環思想としての輪廻が存在
 するが、出現後の世界には輪廻が存在しない。しかも、輪廻のなくなった世界から輪
 廻のあった世界に戻ることができない。世界は滝のように断絶し、繰り返さない。

  別のいい方をすれば、輪廻という循環思想を破壊してやれば、仏教は不要になると
 いうことである。ここに天武天皇の、想像を絶した天才がある。弥勒菩薩は革命に他
 ならない。そう読み抜いたところに、天武天皇の改革の本質がある。

  川のように流れる歴史観と、循環思想の仏教は徹底的に対立する。儒教が循環思
 想に変質していったのとは逆に、大乗仏教は予定調和説によって循環思想を否定す
 るところに到達したのである。

  放送大学のテキスト『日本の文化と思想』(大隅和雄著)によれば、

  中世に書かれた歴史書『愚管抄(ぐかんしょう)』は、天に見放された王が滅びる過
 程で、徳を具えた者が打ち勝って王になるのが、歴史の普遍的な道理であるが、日
 本ではその道理が通用しないことを強調し、『神皇正統記(じんのうしょうとうき)』は、
 皇統が単純に父から子へと継承されていないことに注目し、系図の上で別の流れに
 移ることを、王朝の交替に準えて儒教的な歴史解釈に付会している。
  しかし、天皇を別にして、武家の歴史を考えると、その推移を易姓革命として見るこ
 とは容易であった。(81p)

  愚管抄は鎌倉初期ごろに、神皇正統記は1339年ごろに成立する。中世における
 歴史観は儒教を前提に組み立てられていて、天武天皇のそれは現代的な歴史観に
 近い。この点で、中世の日本人は天武天皇をどうしても理解できない。儒教を軸にし
 て、ものごとを理解しようとするからである。そして現代人は儒教がわからず、儒教の
 下部構造にある歴史が理解できない。意味内容が異なる歴史という言葉を不用意に
 つかい、混乱を招いているのである。注意してもらいたい。

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最終更新日2007年12月20日