explanatory notes

 ごごれいじ氏は執筆(文字通り!)の際「錯乱の森」をどのような文体(当時彼は「エクリチュール」を知らなかった)で書くか特に悩みはしなかったが、思いつきで五木寛之方式(大衆作家としての執筆態度)を採ることにした。

 A 義務教育としての中学生用国語辞典に載っている漢字しか使わない。

 B 平易な文章を心がけ、できるだけステレオタイプ(五木氏はともかく、当時の彼は紋切り型という言葉を知らなかった!)な言葉で表現する。

 というもので、Bを全面的に採用し、Aについては逆に出来うる限り漢字を使うことにしたという。ただ、もともと識漢字数が少なかったので、不十分に終わったようであるが。

 ともあれ、直感でそうしただけとはいえ、これは直観的判断といえる。平易な文章ということにAは本質的なことではないし、漢字こそステレオタイプ表現の極みなのだから。
 とはいえ、創作時には単に漢字のビジュアル効果を意識しただけなのだが(当時の彼はセミオティックでのアイコン性について無知であった)。

 タイトルの「錯乱の森」は、J・Dサリンジャーの「倒錯の森」{荒地ではなく倒錯の森 葉むらはすべて地下にあり}から。

 発表時には登場者すべてに固有名詞は付けていなかったが、約三年後の「志集」に収めるにあたって主人公格の男女をそれぞれ’希’’望’としている。やらずもがなの補筆と思えたが、その後にカワイアンを自称した彼を思うと、河合隼雄翁の遺言ともいえる「希望」の表出は、これぞシンクロニシティと感じさせるのである。

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