Ecriture&Booksのページ

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Ecriture(エクリチュール)

 ここでいうエクリチュールとは、ロランバルトが提唱し、その後さんざん捏ねくり回されて便利な粘土の様になった感のある、あのエクリチュールのこと。

 バルトは、従来の文体styleを、「本来、発芽のような現象であり、それはいわば樹液の変容である」とし、つまり「必然的な」ものである文体と、意図と選択の結果である文章体エクリチュール(書かれた文章の様相)と対立させている。
 エクリチュールとはバルトの定義によれば、語の伝統的な意味での文体(書き方)であり、文学的目標のために表現手段を実地にもちいることである。
___ ピエール・ギロー「文体論」訳・佐藤信夫

 つまりその、私たちの身の回りに文章があれば、それは全てエクリチュールだっチュールこと。それは書き方であり書かれたものであり、また、書くという行為とその結果をパフォーマンスとして捉え、ちょっとオシャレに言ったりもしているようです。

 文章と書きましたが、日本語とくに漢字には一文字で(意味的に)文を構成してしまう単語が数多くあり、と優香、全部がそうだと言っていいでしょう。ある一語を(言葉以外の)コンテキストの中に置けば、置いた人の意図と選択の結果であるエクリチュールに変貌する……そういう意味では、漢字ほどじゃないにせよアルファベットだって同じことじゃん。

 炎天下にはためく「氷」の一文字が書かれた旗を見れば、思い浮かべる「氷」はまずあの「氷」に違いなく、その点ではエクリチュールの選択者の意図が100%達せられているわけだけれど、「文学」的な風情は殆ど感じられない(期待する人もいないだろうけど)。
 日本語文学には伝統的に、表現者の意図が明確に読み取れない文ほど「文学」的だとする風潮がある(だからと言って、この文章を文学的だと思ったりしないように)ようなので、なおさらなのでしょうね。そういえば、閉閑期の観光地あたりに木枯らしに吹かれている「氷」の旗を見たりすると、なんとなく「文学」的郷愁が漂ってきたりしませんか。

 戦国時代の末期、徳川家康に送りつけた「直江状」で有名な武将
直江山城守兼続。この名将のいまに残る兜の前立てには、
大きく「愛」の一文字が飾られているそうです。
 なかなか、文学的ですねえ。

              さらに(Maadadayo)

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staff roll

     Chief:はるおまつみ
  Secretary:すみらん子
Translator:ここいじれ Critical:一筆無頼
  Sexual:サファルノ・マンチョ 
  Philosopher:真理マリノ・クソノビッチ

Supporter
ひびありし 一筆無宿 記間暮れ
吉幾準乃介

 History
ごごれいじ
SF、小説、エッセイ、詩etcの
エクリチュールを残し、1978年頃より消息を絶つ
 一説には、冗談で夭折を目論んだところが、
そのまま表に出られなくなった、とも…
1978年に志集「うたかたのうた」を発行している

ごごれいじフォト
二十世紀 秋 日光
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ごごれいじ氏の江戸だか井戸だかから湧き出た
アニマやらシャドウやらが集まって
なんとなく組織された、フェイク・クリエィト集団

センチメンタルガーデン
はるおまつみ・著/新風舎刊
B6判/ハードカバー/244頁
1,575円[税込](本体価格1,500円)
本屋さんで取り寄せてもらえません><。
タイトルと著者名だけで、ヤフーbookとか
古書系サイトで検索できるみたいです。