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Ecriture&Booksのページ

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staff roll

     Chief:はるおまつみ
  Secretary:すみらん子
    Critical:一筆無頼
  Translator:ここいじれ
    Sexual:サファルノ・マンチョ 
 Philosopher:真理マリノ・クソノビッチ

Supporter
ひびありし 一筆無宿 記間暮れ
吉幾準乃介

PM0:00.production
ごごれいじ氏の江戸だか井戸だかから湧き出た
アニマやらシャドウやらが集まって
なんとなく組織された、フェイク・クリエィト集団

 History
ごごれいじ…
SF、小説、エッセイ、詩etcの
エクリチュールを残し、1978年頃より消息を絶つ
 一説には、冗談で夭折を目論んだところが、
そのまま表に出られなくなった、とも… 
(おお、言霊!) 
1978年に志集「うたかたのうた」を発行している。

若かりし頃の ごごれいじ氏

 ごごれいじ志集

 26の詩的エクリチュールと二つの散文エクリチュールとからなる。順次ランダムにOnWebの予定。
 ごごれいじ氏の捜索および創作について特権的立場にいる私は、このごろ散文エクリチュール「錯乱の森」について、ポスト構造主義的テキスト記号論(どんなものか判らないが)すなわち郵政民営化における半位相Jデリダ風味の郵便的レクチュール(どんなものか判る必要なし)を試みている。未来にさしたる楽しみも好奇心もない方は、ぜひご期待ください。

       おネムですか( ^^) _旦~~

シニフィアン/シニフィエ
記号表現/記号内容

 いま私たちの目の前にはパソコンという物があり、ノート型・ディスクトップ型・タワー型などの端末機を総じて「パソコン」と呼んでいるわけですが、その「パソコン」をシーニュ(記号)と言ったりなんかして、さらにそのシーニュはというと、シニフィアンとシニフィエによって成り立っているのだと、ソシュール先生は仰いました。

 「パソコン」と、こうして書いたり、発音したり、あるいはジェスチャー
または絵文字のような表現などにより、物理的に感受できるのがシニフィアンで、シニフィエはそれらの概念だと理解して特に問題はないようです。
 「紙」というシーニュを一枚の紙にたとえれば、表を見ても(触っても)裏を見てもそこにはシニフィアンしかなくて、強いていえば、私たちがそれを紙だと思うことによってしか、紙というシニフィエは存在しないわけで……
紙思う、ゆえに紙あり、というと(^0_0^)どこかで聞いたような。 

 「紙」というシーニュが物理的に存在するといっても、それはあくまでもシニフィアンのことですから、(ましてや)そのシーニュが指し示す実体までもが常に表現者の身の回りにあるとは限りません。切羽詰って入った公衆トイレで、ホッとしたあと紙がないと気付き、いくら叫んでも喚いてもジェスチャーしても、壁に引っ掻き疵で書いても、そこに忽然と救いの紙が現れたりしないのはそのためです。おそらくソシュール以前でも、それは同じだったでしょう。

 もしそこにフィジカルな紙が出現したなら、「言霊」(西洋哲学でいう
”ロゴス”と親戚では?)というわけで、一見、そういう類のことを迷信や非科学的だと一蹴するかのような<シニフィアン/シニフィエ>理論ですが、むしろ逆に、言霊的な心的現象を理論的に解明しているようにも感じられます。
 シーニュは直接にフィジカルな事物を出現させることは、まあ、無理ですが、受信した人の脳裏にそのシニフィエを出現させることができる効力を利用して、現実空間にフィジカルな事物を出現させることは可能です。メディア=媒体の力を借りて「言霊」的働きをさせえるという考え方ができるでしょう。

 自宅のトイレに入ってペーパーが無かったとき、たぶんあなたは妻か夫にその旨の記号を発信し、そして夫婦仲がそこそこ上手く行っていればフィジカルな目的物が手に入る確率はかなり高いと思います。そしてこれは、なかなか融通の利くアナログ言霊ではないでしょうか。
 こんな場合の70%くらいは「紙がない!」という記号を発信するもので、たぶんにデジタル的なところのあるオカルト系言霊では、無反応あるいはフリーズしたり、良くてコピー用紙や光沢紙が出てきたりしかねませんが、アナログ言霊ならトイレットペーパーが出てくるのはまず間違いないですから、これは素晴らしい。

 紙が無い…という発信者がサルトル氏であったとしても、ボーヴォワール女史は彼がトイレで「否定判断によって非存在が事物に到来するのではなく、逆に、否定判断こそ非存在を成立条件とし、非存在によって支えられるものなのだ(訳・佐藤信夫)」という哲学的宣言をしているだけとは思わず、素直にトイレットペーパーを渡してくれたでしょう。
 それは、対自存在で無で無神論的実存主義者であるかどうかはともかくとして、二人がアナログ意識を持つ普通の人間的存在であることの証明かもしれません。

              さらに