エイモスはギターで言葉を語る
ずいぶん昔の音楽雑誌でエイモスギャレットのインタビュー記事で読んだことがある。曰く「私はまず歌い手の歌詞を理解しようとつとめる、歌詞の内容に合ったプレイでなければよいプレイとはいえない」そんな内容だったと思う。英語が苦手なせいもあるが日本語の歌ですらあまり歌詞には注意を払ったことがない私にとっては意外な内容だった。 長くお気に入りのギタリストだったが来日してのライブをみたのは2007年5月12日が初めて、下北沢のラカーニャにて。私の目の前1メートル足らずのところにいたエイモスは手も足も顔も、とにかくデカい。頭は白髪で禿げ上がっていたが後ろでなんとかポニーテールを結んでいた。すでに65歳を越えた高齢、足元もおぼつかない状態で、大丈夫かなと思っていたが赤いテレキャスターから最初の1音が出た瞬間からぶっ飛んだ。あー、あの音だ!寿司詰め状態だった狭いライブハウスの中にいた人たちも最初の音を聴いた時に歓声があがった。 夢のような2時間半が過ぎた。 有名なロックギタープレイヤーといえば米英を問わずほとんどがブルーズ系のギタリストといえるのではないか。スーパーグループのスタープレイヤーとして分厚く大音量、派手な早弾きで弾きまくるようなロック少年たちが憧れるようなわかりやすい図式だ。 これにあてはまらないギタリストにつく枕詞としてはいぶし銀や玄人好み等々。しかしこのエイモスの演奏を聴く限り他のどんなギタリストよりきらびやかでテクニカルであったと思う。 ジェシデイヴィス、デュエインオールマン、リチャードマニュエル、テリーカス、ロニーヴァンザントとこのコラムに登場したすでに亡くなった人たち誰もがエイモスよりあとに生まれている。 長生きして多くの世代の人たちに目の前で感動を与えることは、音楽がデジタル化しネットで誰もがいつでも見聞きできるようになった今でこそ益々重要で価値のあるものになってくると思う。
アルカディア通信 2008年3月版に掲載されました |