ロックとポップスの狭間で(シカゴの長い道のり)

 

いまから36年前の1971年6月シカゴが初来日した。アルカディア通信のような硬派なコラムにはそぐわないかもしれないが、私が最初に聞いたロックはシカゴだった。

ギタリストのテリー・カス(キャス)はあの時代においてワイルドでジャジーな、大変個性的なロックギタリストであった。しかもギタリストを兼務するボーカリストとしてはおそらくロック史上誰もかなわない、ソウルフルで突出したボーカリストであったと思う。

しかしながら彼もまたその有り余る才能を出し切ることなく31歳という若さにてドラッグに溺れ、最後には信じられないようなクレージーな事故によって自らの人生を閉じてしまった。

シカゴというバンドは初期においてはとかく政治的メッセージの強いバンド、時によってはそれを売り物にしているが如くとらわれがちであったと思う。しかし政治的な側面はプロデューサのジェイムス・ウィリアム・ガルシオの志向が強く、彼ら自身は音楽好きな陽気なアメリカの青年たちという印象を私は持っている。

当時は曲名に邦題を付けるのが当然だったのだが彼らの曲は4枚目のLPまでは自分たちのことを“ぼくら”と訳されていた。これも彼らの青さを増長する一因だったように思える。

彼らはデビュー当時からロックバンドとしては信じ難いほどうまくヒット路線に乗ってしまったため、ヒット曲を続けることがバンドの存続の前提になってしまったように思う。(長い夜はロックバンドのシングルはヒットしないというジンクスを破った最初のヒットだといわれている)

また彼らはきわめて民主主義的なバンドであったともいえる。傑出した独裁的なリーダーは存在せず、全員が曲を書け、また全員が歌も歌えた。全員の意見を尊重し多数決で方向性を進めていくバンドはロックバンドとしては異色であり、また日和見バンドと言われるゆえんでもある。ロックバンドにありがちなエゴのぶつかり合いや音楽的意見の相違ですぐに空中分解してしまうようなバンドではなかったわけだ。

数々のヒット曲を持ちながらデビューからすでに40年近く経つが、いまだ一度もブランクなく活動続けているバンドなどあるだろうか?しかもオリジナルメンバーのうち半分以上がいまだに一緒にやっているのだ。

そんな中にあって高いミュージシャンシップを持つテリーは違和感を覚えながらも、このような大所帯のロックバンドの一応のリーダーとしてバンドが成功しヒットし続けることとの狭間で苦しんでしまったのだと思う。

この点はマイクブルームフィールドとは正反対といえるのではないか。彼はせっかくバンドを結成してもすぐに脱退しバンドとしてのピークを作る前に逃げるようにやめてしまった。テリーとドラムスのダニーはアイドル的に騒がれるより音楽を追及したかったはずだ。トロンボーンとアレンジを担当するジェイムス・パンコウも高い才能と演奏力を持っていたがバランスのよさで乗り切っていった。

テリーがもし事故死する前にバンドをやめていて、いいメンバーと巡り合い、自身のバンドを作っていたのならきっと全く違った展開を示していたと思う。そしてロック史に残るすばらしい作品をいまだに作り続けている可能性もあったかとも思う。

創造を生む最高の共同体というキャッチフレーズに縛られるより、もっと自由に自分の音楽に対してわがままに追求して欲しかったと悔やまれる。私はいまだにテリー在籍時のシカゴを聞き続けているが、その演奏力、構成力、曲のよさ、歌、コーラスの素晴らしさに感動する。

アルカディアでは先の初来日を記念して日本でのみ発売された、世界初のベスト盤“栄光のシカゴ”でその一端に触れることができます。

アルカディア通信 2007年6月版に掲載されました

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