リチャード・マニュエルの輝き

 

破滅的な生活をおくり若くして亡くなったミュージシャンは少なくない。

その中でも音楽に革命的な変化をもたらしたイノベータともいうべき人が何人かいる。

34歳で亡くなったCharlie Parker
27歳で亡くなったJimi Hendrix
35歳で亡くなったJaco Pastoriusなどがあげられるだろう。

しかし音楽的な面ではそれほどの影響を後世に残すことはなかったかもしれないが、人々の心に深く残り今でも聴くたびに感傷的な気持ちにならざるを得ないミュージシャンがいる。リチャード・マニュエルがそうだ。

ちょうど20年前の3月4日に42歳で亡くなった。死因は首吊り自殺。しかも当日もライブに出演したあとだったという痛ましさだ。最後に一緒にステージに立ったロビーを除くザ・バンドの面々の心情は察するにあまりある。

見るからに神経質そうな風貌からわかるように酒とドラックに溺れる晩年だったようだ。 彼の絞り出すような声、特に裏声には胸を締め付けられる。

私がザ・バンドの中での好きな曲を挙げるとかなりが彼の歌う曲になってしまう。また彼の書く曲もバラードが多いせいか本当に味わい深いものがある。

デビューアルバムのミュージックフロムビックピンクでは作品数においては彼の楽曲がロビーのものと双璧をなしているにもかかわらず時が経つにつれ書く曲は少なくなっていった。

私はステージフライトの2曲目にあるスリーピングがもっとも好きだ。曲作りにおいてはこの曲が最後の輝きのようにも思える。この曲を聴くたびにいつも自然に涙が溢れてくる。せつなく美しくもっともザ・バンドらしいバラードだと私は思う。

心に弱さがある人ほど美しい曲が書けるものかと思ってしまう。健全な精神は健全な肉体に宿るなどといわれるが真にせつなく美しく心に残る音楽は傷つきやすく不安定な心のはざまから生まれいづるものだと思えてしまうのだ。

アルカディア通信 2006年3月版に掲載されました

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