センチメンタルな日々

 

センチメンタル・シティ・ロマンス(以下SCR)、私が17歳の時にデビューした。そのときのこともよく覚えている。私が金沢に生まれ育ったこともあるのだが、地方出身のロックバンドということで興味を持って聴いていた。(当時は金沢といえば”めんたんぴん”が全盛であった。)

SCRはデビューアルバムからすでに完成されていた。演奏が格段にうまく、曲はメロディアスで、詩には日本的な情緒がありながらもコミカルなところもあり変な暗さがない。なにより歌が最高によかった。

学生時代にもずっと聴き続けライブがあればできる限り見に行った。そしていまでも元気に昔と変わらず活動している。このグループには日本のロックバンドのよいところがすべて入っているように思われる。

先日当誌の編集長である浅見さんとSCRのライブに行った。 (浅見さんはSCRと同じ名古屋の出身である。デビューの時は私と同様に高校生だったはずだ。)

ステージではお客との会話があったり、リクエストにも答えてくれたりした。演奏も歌も当時と変わらず素敵だ。なんて暖かくて気持ち良くて幸福な時間なのだろう。だれもがニコニコしている。メンバーはお客がどんな思いで自分達の演奏を聞いてくれ、どんなことをライブに求めているのかをよく知っている。

SCRに限らないがライブのすばらしさのひとつは一曲目が始まる瞬間だ。照明が落とされ真っ暗になる。おしゃべりも消え静かになってかすかにアンプのノイズのみが聞こえる。その中でいきなりステージの照明がつき大きな音で1曲目のイントロが聞こえる。この瞬間だ。SCRはいつもカモンベイブから始まる。

音楽を聞き始めたころにはロックというものは大人や社会に反発を覚えた世代が表現する音楽であり、まさか自分が社会の歯車として翻弄されているようなこの年代になっても聞き続け、そしてそのころと同じメンバーの人たちがやり続けてくれているとは考えもしなかった。

この日ライブに来ていた同世代の人たちの中には現実にはいろいろな問題を抱えている人もいることだろう。リストラにあった、サラ金に借金がある、子供が学校でいじめにあっている、離婚し養育費を払い続けている、体調を崩し日々健康の不安に苛まれる、など。あるいはあのころ一緒に音楽を楽しんでいた友人を亡くした人もいるかもしれない。

音楽の不思議さはあのころの音楽を聴くことで、たとえ一時であろうとも当時の自分に戻りあのころの匂いや、空気の色や、感情のひだまでを思い起こすことができることだ。つい涙をうかべる時もある。ただのうれし涙でもなければ感動して流す涙とも少し違う。むろん悲しみの涙でもない。感傷的な街のロマンス、なんとよくできたバンド名なのだろう。

アルカディア通信 2006年12月版に掲載されました

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