Asian Field Music 3

 

「田中さん、最近はいろんな詩人と朗読会でやっているでしよ。今度のガレーシ・ランドではその辺の感想なんかを書いてみてくださいよ。」
こう言ってくれたのはこのガレージ・ランドの発行者であり編集者でもあった瀬沼さんだ。去年の7月はじめの頃だったと思う。
「締め切りはとりあえず8月の中頃でいいですよ。」
ずいぶん時間がかかったものだが許していただこう。やっと約束を果たせそうだ。
とにかく受取人がゆくえをくらましていては渡すに渡せなかった。

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この4年ほどでずいぶん多くの詩人の人たちと知り合いになれた。ほとんどが朗読とのコラボレーションというかたちで演奏させてもらったことによるものだ。それまでは不思議と詩には縁がなかった。というより言葉に対して意識していなかったというべきかもしれない。

音楽を聞いても歌詞には興味が持てず、何十回と聞いたような曲でも歌詞の内容は全く覚えていなかった。メロディやコード、リズムは比較的覚えていても極端な話、その歌が政治的な歌なのか、失恋の歌なのかというレベルですら意識して聞けていなかったということだ。

そんな私が詩の朗読とともに演奏を行うようになったのはアルカディアのマスター高木さんのおかげだ。高木さんの紹介がなければ詩人などという人種がいまだに存在することすら知らなかった。

ほんとうに詩の中身だけを理解してもらうのであれば、演奏はない方がいいように思われる。よけいな音は、聞く人にとって言葉の理解に努めようとする集中力にはじゃまになる。同様に音楽だけを聞きたいのであれば、イメージを限定するような言葉が入り込むことが良くない場合もありうる。

だから朗読と一緒に演奏するときは、朗読のみのパフォーマンスとも演奏のみのパフォーマンスとも全く違った別のジャンルの表現形式だと考えてやることにしている。

最近は朗読、演奏とともに舞踏家の方とジョイントすることも多くなった。これも全く違った表現になりうる。多くの異種のジャンルの人たちとやることで無限の可能性、組み合わせを秘めたおもしろさがここにはある。

ただ一つだけ異種ジャンルの人たちとやる上で必要な基盤がある。それは即興性に対して柔軟な考えを持っているということだと思う。これはなにも演奏や朗読を即興でやらなくてはいけないということではない。

お互いのパフォーマンスに対し目、耳を傾け反応し、自分のパフォーマンスを変えていき、また相手に影響を与える。ある時には相手を立てて自分は控え、ある時には自分がメインとなって充分に自己主張し、まわりを引っ張り込む。その場その場での即興的なパフォーマンスに対する楽しみ方を心得ている人とやるのは楽しい。いろんな発見がある。

いままでいっしょにやらせていただいた詩人の方を数えてみたら24人もいらっしゃった。女性が16人で男性が8人。みんな見事に一人一人違っている。当たり前の話かもしれないが、朗読にはセオリーなんてない。失礼は承知の上で、特に数多くやらせていただいた方たちの感想を書いてみたい。

おことわりしておくが詩の内容に関する感想ではない。
もとより先に書いたように詩の内容については論じられるベくもない。
朗読と音楽とのジョイントとしてのパフォーマンスをした上でのあくまで個人的な感想である。

 

アイザワショウイチロウ氏
 いま最も好きな朗読者の一人です。アイザワさんは朗読されるとき、何かが乗り移ったように変貌します。普段のこの人のシャイで控えめな性格と物腰からは同一人物とは思えません。特にダンスとパフォーマンスする時の表現はすごいのです。いつも決まった詩を朗読する事が多いのですが、これはアイザワさんが朗読を詩の創作とは別に考え、独立したパフォーマンスと考えてやられているのでしょう。身体を折り曲げ、マイクをくわえてしまう姿にはいつもワクワクさせられます。

アオキエイメ氏
 アオキさんはすべてのイメージを把握した上で朗読にのぞみます。アオキさんは詩だけでなく音、絵画、ダンス、照明、コスチュームなどあらゆる表現に対して取り組み、トータルに考えてパフォーマンスします。だから彼女の指示はいつでも具体的で明確です。自分で書かれた絵を朗読の場に持ち込みパフォーマンスします。コスチュームは、いろいろなそのあたりに転がっているような小物を買い集め、それをセンス良く、料理して身につけてしまいます。そしてなによりいつでもすごく元気でストレートなのです。

アマノモテン氏
 アマノさんは私が朗読とのパフォーマンスを行うきっかけを作ってくれました。アルカディアの朗読会の主宰をされています。アルカディアでの朗読会に参加するとき、高木さんを通して私と会ったのですが、私の演奏など一度も聞かずに快諾してくれました。どんな楽器を使うのかも全く知らなかったと思います。ずいぶん無謀な話ですが、そのおかげで今の私の交流があるんですね。アマノさんの朗読されるときのパワーはただただすごい。たしかに気分による浮き沈みは激しい人ですが、これはアマノさんの目がいつも宇宙を見ているからだと思います。

サイトウマキ氏
 サイトウさんは私が初めて朗読に参加したときからずっと一緒にやっていました。今は沖縄に住まれ活動を続けています。水球という詩誌に初めて私がテープを作り、出させてもらいました。彼女の朗読には常に緊張感があり、感性がほとばしっています。私も朗読会での演奏をやり始めた頃だったので、今とは違った緊張感が毎回ありました。マキちやん今度沖縄に行くときにはまたいっしょにやろう!

セヌマタカアキ氏
 セヌマさんに教えてもらったことは膨大です。この人はいつも兄のようなまなざしで私に接してくれました。朗読は最初の頃、弱々しいものでした。声に自信がないらしく「自分の声は朗読には向かない」とずっと言っていました。物語の語り部というような朗読が中心でした。しかしある作品を境に朗読が変わりすごく力強くなっていくのです。作品として“ガレージランド”を作られたことが、彼の朗読の世界を変えたのだと思います。実際、毎回いろいろな朗読会でも必ず“ガレージランド”は朗読されていました。読み方も内容も都度変えていました。セヌマさんはガレージランドを歌うように朗読していました。

ガレージ・ランド9 1998年6月版に掲載されました

ガレージ・ランド8が発行される直前に瀬沼さんが亡くなったためその号にはこの文章は間に合いませんでした。
したがって倉尾さんの編集によりまして次の号にて掲載されました。

この文章の冒頭の部分はそのような経緯で書き加えられました。

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