Asian Field Music 4

 

1.私が音楽を続ける理由

 私たちにとっての幸せとはなんでしょう。お金、家族、恋愛、友達、趣味、プライド、信頼、名誉満たされたいと思うこと、大切なことはたくさんあるでしょう。しかしこれら大切だと思われることが奪われてしまう大きな原因に、平和でない、ということが挙げられます。 平和であるということはその大切なものや自分自身が傷つけられることなく、そして幸せになれるということの最も大きな元になることだと私は思うのです。

それでありながら現実に目をやると、多くの場所で争い、テロ、そして戦争がやむことなく続けられています。 考え方の違いや、宗教や文化の違い、国や組織の利益、利権を守るためにと、もはや人間は争うために理由を作り生きているのかと思われるほどです。昔から多くの人たちが何ゆえ人が争うのか戦争が起こるのか哲学や社会学、経済学そして心理学や生物学など、いろいろな立場から考えてきました。

自爆テロについて。アメリカのイラク侵攻から端を発し、数千年のユダヤ、パレスチナの問題にリンクし、そして文明の衝突かとも思われるイスラム教徒とキリスト教徒の対立など、洋々な対立の構図となりテロの原因となっています。テロが起こるとさらに締め付けや差別が厳しくなり、それがさらに憎しみの連鎖、暴力の連鎖を引き起こし双方の人々にとって、平和を脅かされ、大切なものが奪われ、悲しみが生まれます。

異なった考えや文化をもつ人たちを隔離しても解決にはなりません。同じ地域に暮らしていても、法律や制度によって権利を制限したり、互いの主張を繰り返すだけでも解決になりません。いずれの方法によっても、対立は根本的には解決されないと思うのです。

解決できる方法として考えられること。それは互いの文化に対し、親しみを覚えること、好きになること、敬意をもって接することができること、このような気持ちが現れることによって解決できる糸口となるような気がします。(甘い考えかもしれませんが)

私は音楽という文化を介して西アジア、中央アジアの国々に親しみを覚えました。そしてその芳醇な音楽性と美しい楽器達が好きになりました。さらにそれらを含めた文化を作り上げた人たちに敬意をもっています。私がこれらの国々の楽器を使い、音楽をすることは、好きなものを与えてくれたことに対する恩返しという気持ちがあります。そしてなにより好きなものがそばにあることの幸福を感じていたいということがあります。これらの国々の人たちの多くはイスラム教を信じています。

また私はアメリカの音楽に対しても思い入れは深くとても好きなのです。私は10代のなかばから今に至るまでアメリカンミュージックなるもの、ロックもジャズもR&B、ルーツミュージックなどといわれるものすべてが好きで、聴かなかった時期は全くないといっていいでしょう。この国では多くの人がキリスト教を信じています。

 この2つ一神教のいずれも私は信じてはいません。彼らにとって私は異教徒でしょうが、私がかの国々で「あなたたちの音楽が、文化がとても好きです。決してうまくはないですが、一生懸命練習しました。ホラこんな風に・・・」と弾いてみると、とびきりの笑顔と握手が返ってくるのです。

 2.ジプシー的思考が地球を救うか?

 ジプシーという呼び方は正しい呼び方とはいえない。 EGYPTIAN(エジプト人)が訛ってジプシーとなったわけでイギリス人が使い出した言葉だといわれる。このジプシーと呼ばれる人達はエジプトが起源ではなく、インド西部の砂漠地帯であるラジャスタンに端を発する。

約一千年前から西へ西へと移住しはじめたといわれる。一つの流れはエジプト、北アフリカからスペイン南部へと。もう一つの流れはトルコから、東欧、中欧諸国を経て、フランスからスペインのアンダルシアへと移動しそれぞれの地域に移り住んだ。

フランスではマヌーシュ、またはジタンと呼ばれスペインではヒターノ、イタリアではツィガーノ、ハンガリーではズィガーヌ、ドイツではツィゴイネルと呼ばれる。そして彼等自身は自分たちのことをロマ(人類の意)と呼ぶ。

ロマの人々は音楽に対する感性については独自のものをもっている。移住しながらそれぞれの地域の影響を受け、そして与える。しかしその基盤にある自由さ、即興性は決して失われることはない。

いつ終わるとも知れないパレスチナとユダヤの争い。テロの報復、アメリカによるイラクへ攻撃とその後の泥沼化。報復の報復という、とぎれることのない暴力の連鎖。人間は争い殺し合うことから逃れられないのかと思えるばかりだ。人間の性かとも思える。

 この暗澹たる気持ちをロマ的思考が解決してくれるかも、と思っている。ロマは過去、現在、未来すべてを テハラ という言葉で表現するという。ロマは今この時がすべてであり過去、未来といった概念を持たないという。

重要な人が死んだ場合には遺品もすべて燃やす。現世に生きた痕跡をすべて消し去る。そしてこの世に生きている者は決して死者の名前を口にしない。よって50万人のロマ民族がナチの強制収容所で虐殺されたという歴史の事実はタブーとして、今まで語られることがほとんどなかったという。

過去を語らないことで結果的に報復の連鎖は断ち切られる。

未来を考えないということは、自分の生活をより良くするために他の人を出し抜いたり、相手に勝つために戦略的に何をするかなどと考えたりしない。ロマが文字を持たない民族だったということもこれらのことと無縁ではないだろう。

音楽というものは瞬間、瞬間に現れては消える時間のありようともいえる。ロマの人達の生活が音楽と共にあること、文学や絵画のような他の芸術ではなく、音楽や踊りをよくすることと関係がありそうだ。

音楽を身につけるのは譜面からではなく心と耳からだという。耳から入ってきた音を心で聴くのだという。形に残されるものではなく、心の中で生き続けるのが彼らの音楽なのだ。

これは映画「僕のスウィング」のなかでロマのギタリストであるチャボロ・シュミットが演じるミラルドの言葉だ。

音楽が世界を変えることはないでしょう。個人同士の信頼、敬意があっても組織の争いの前には無力となる場合があるでしょう。でも私は私のアジアン・フィールド・ミュージックを続けることをやめないつもりです。Sさん、Kさん、こんな話、いまならなんて答えてくれるでしょう?きっと黙ってうなずいてくれているんでしょうね。

ガレージ・ランド11 2005年12月版に掲載されました

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