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香住の章

        1

 木枯らしと共に訪れた寒さは、一気に色鮮やかに樹々を染めていた葉の色を褐色味を帯び
た色に変え、次々に散らせていった。黄色く燃えるように林立していた銀杏の並木も1つ2
つと葉を落とし、1週間もする頃には枝ばかりの姿になり、吹き抜ける風を遮るものはなく、
冷たい風が身体に突き刺さるような季節になっていた。
 街中はにわかに忙しそうにざわめき、その年の流行のクリスマスソングが流れ、並木の樹
々も人工的に装飾され、夜の暗闇にならない街にいっそうの光の幻想を付加していた。

 冬は海風も冷たい。常緑樹の緑もくすんで、枝だけになった桜などの落葉樹の樹々の中の
景色の色に染まっていた。その樹々を見るバルコニー越の窓という窓は総てかたく閉ざされ、
部屋の暖かさに曇らせていた。
 加湿器の湯気が静かに沸き上がる音すら聞える広い空間、書庫が整然と立ち並び、窓越し
に庭で冷たい風に揺らされている葉のない木々が霞んでみえる。その手前の席に向かい合っ
て、ポニーテール姿の香住と首の脇で紺色の筒のように髪を結んで前に流しているまりがい
た。
 まりは周りを気にしつつも、香住に迫るように詰問した。
「ちょっと、ちょっと!!なによ、それぇ〜!?」
「え…、だから……」
「そんな隠すコトないじゃんっ!心配させといてぇ〜」
「それは勝手にまりが……」
「…………。香住…、言うようになったじゃん…」
「あ、あー……」
まりの呆れたような醒めた言葉に香住は顔をそらし、上を見た。
 そんな香住の姿にまりは安堵したような表情を浮かべると、肘を机についた。
「それで、どこでまた会えたのよ?」
「あ、それは……」
「なに!?もしかして、それも秘密??」
「そーいうわけじゃ……、あれ?」
香住が両手を前に出して、振りながら苦笑いした。が、言葉途中、前の席に座
っていたはずのまりの姿が視界から消えていた。 
 ふいに香住の後ろにまりが現れて、香住の両方の脇の下から腕を回し羽交い
絞めにすると、耳元に口を寄せ、囁いた。
「ナニ隠してるの」
「あっ……」
吐息を漏らし、香住は頬を赤らめた。
「ほらっ。素直になろーよ。ねっ♪」
 まりが妖しげに笑みを浮かべた。
             
 冷たい海風が時折強く吹く。しかし、横浜とは違って、すこし温もりを感じさせる風が流れて
いる湘南の海。その海をR134と防砂林越しに見ることのできる校舎の4階。非常階段の
最上階に山原は腰を下ろして、遠くに江ノ島も見ることのできる澄み切った空と海を見ながら、
一服していた。
 煙草をコンクリートの階段に押し付け、もみ消すと、後方の踊り場の壁に背を当て、
マフラーを風に任せるままに舞わせている亜瀬に声をかけた。
「なぁ、亜瀬ぇ」
「ん? なに?」
亜瀬は背を放し、すこし前に足を出す。
 山原はそれに気付いたようで、顔を再び海の見える前方に直すと、思い切ったように、いった。
「今までゴメンなぁ!!」
「へっ!? どないしたん?」
 しんみりした山原の言葉に亜瀬は驚いたように平静を解いた。それにすこし動揺した山原は
逆に平静を装っているように見せ、いった。
「いや、ほらっ。今まで横浜でのコトとか、会ったコのこととかさ……」
「あ、あー……。そんなん別になぁ。そんなんで詫び入れるなんて、どしたん?らしくないやん?」
「いや、もうよくなったからさ!!」
「えっ!? なんでなんでー??」
「ま、まぁそーいうコトだからさ!」
 拙速に話を切ろうとする山原に対し、亜瀬は怪訝な表情を浮かべて、質した。
「別のかわいい女の子でもめっけて、既にフライングしたんか?」
「えっ!? あー……」
一瞬言葉の選択に山原は困ったようだったが、すぐさまに明るく応えた。
「ま、そんなトコかな」
「今度はどこのコなんやぁ〜?」
小指を突き出して、亜瀬は腕を振った。
 山原はすこし苦笑いして、いった。
「ま、ま、いいじゃない!」
 亜瀬はそんな山原にそれ以上突っ込むのをやめて、
「そっか……」
と呟き、複雑そうな瞳を濃い茶色になっている眼鏡の向こうに浮かべ、山原の顔を見ていた。

          


            

 時は少し遡る。湘南の海や砂浜から人影が疎らになり、青かった海が薄い灰色を溶か
したように曇っている季節。道の脇の繁茂している松の樹々は季節が変わっても、その
葉の色を変えることはないが、信号を右折すると、そこの街路樹は鮮やかに黄色に染め
ていた。
 そんな光景に車中の香住の眼には入っていなかった。けれども、信号を右折してから
うつむいていた香住の顔は上がり、大きな彼女の瞳は落ち着きをなくしていた。
 歩道に黄色い絨毯が敷かれている向こうに建つ大学を横目に車は信号の手前の停止線
で止まった。運転手は後部座席に座っている香住を気遣うような眼差しで視線を向けた。
 いつになく真剣な表情で上部を少し開けた窓の向こうを見ていた香住の表情が豹変し
た。運転手はそれに気付くと、視線を前方に戻した。香住はそんな様相に気付いたわけ
ではないが、急に正面を向き、両手を揃えた足の上に静かに整え、顔を伏せがちに構え、
優しく、いった。
「次の交差点にあるコンビニに寄っていただけますか?」
「はい。かしこまりました」
 車の流れが動き出すと、静かに滑らせるように車を発進させた。大きな校舎やその手
前に映える並木を横目にスーっと真っ直ぐ進む。そして、信号をくぐり交差点に入ると、
ウィンカーを光らせて、角のコンビニの駐車場に入った。
「それでお嬢様、なにをお買い求めですか?」
 運転手はエンジンを停止させ、尋ねた。香住は質問の言葉が終わる前に後部座席のド
アロックを外して、ドアに手をかけ、いった。
「いいわ。此処で待っていて下さい」
 香住はそう言うと、車から出た。


 ひんやりとした空気と微風を遮るように香住は優しいきめ細かい毛で編みこまれたよう
なツヤのある白いマフラーをやわらかく両肩に乗せると、颯爽と歩を進めた。
 コンビニの入口で足を一旦止めると、心を落ち着かせるように瞳を閉じた。そして、静
かに瞼を開くのと合わせるように腕を伸ばして、扉を押した。
 正面左に惣菜や点心の入った容器の載ったカウンター、突き当りには弁当やおにぎりが
置いてあるのが見える。入店した香住はカウンターにいた店員の「いらっしゃいませ」の
言葉にあわてながらも、左側の窓に面した雑誌の並んでいる通路に瞳を流した。

 雑誌のコーナーには立ち読みしている小柄な男性を囲むように3人の男性がいて、彼ら
となにかを話し、笑ったりしていた。どうやら中心にいるのは山原のようだ。香住にはガ
ラス越しの交差点の向こうからその「らしき」人影が見えたらしい。
 香住はその様相を盗み見ると、口元に笑みをこぼした。そして、彼らに気付かれぬよ
う、すぐさま歩を前に進めた。

「やまちゃん、そろそろ行こーぜ」
「あー、ちょっと待って! もう少しだから!!」
 真面目そうな眼鏡をかけ、やや中央で髪を分けている高城の言葉に、苦笑いしながら
山原はそう応じた。
「べんちゃん、いいって!いいって! 先に出てよぉーよ」
「アリオーン。そんな言いなさんな」
突っぱねるように、サバサバと言い放った有越の言葉に高城は苦笑いするような表情を
浮かべて、なだめるように、いった。
 けれども、山原はそんなことに気にするような素振りも見せずに、いった。
「わっるいねぇー」

 三人がレジで会計を済ませ、出入り口のドアをすこし開くと、山原のほうを見て、いった。
「やまちゃぁーん、早くしなよ♪」
「まっ、ま、ゆっくりでも。外で待ってるからさ!」
軽くやわらかく言い放つ有越の言葉に軽く笑いながら、高城も言葉を続けて、表に出て
行った。戻って閉まろうとするドアを抑え、伊椎は山原に微笑を向けると、
「ゴメンねぇ」
と苦笑いした。
 山原が再びマンガを読み始めると、出入り口側の隣に人がきて、雑誌を取った。そして、
間を置かずして、そっちの方から声が聞えてきた。
 せっかくパッパッ読もうとしているトキだっただけにすこし怪訝な表情を隠し切れずに
顔を上げた山原だったが、その表情は一瞬で驚きの表情となる。
「わっ!!」
見上げたそこには隣にいた女性の顔。思わず山原は声を上げてしまった。
 けれども、すぐさま驚きの表情に明るさを加え、言葉を続けた。
「あれー!?香住ちゃん!!」
「あ、しゅうくんっ!! おぼえていてくれたんですね!」
「香住ちゃんったら、もぉー!ナニ言っちゃってくれてんのー!わすれてるわけないじゃん!!」
すこし驚いた素振りをみせて手を口に当てるが、すぐに微笑にかえて、弾んだ声でうれしそうに
言う香住に対し、山原は苦笑いをしながらも、やはり嬉しそうに応えた、。
「こっちの方になにか……」
 言葉途中、窓越しの外の風景に視線を向けた山原は言葉を詰まらせ、あわてて雑誌を読むような
姿勢をとると、小声で香住に、いった。
「ゴメンっ!ちょっとフリでいいから、雑誌を手に取ってくれる?」
「あ、はい」
言われるがままに香住は開いている雑誌を拾い上げ、山原に倣うように雑誌を開き、横目で山原を
見た。外の様相を山原は気にしているようだった。
 山原がひと息おいて香住に話しかけた。
「そーいえば、こんな処まで今日はどうしたの?」
「………………」
 気配はあるが反応がない。不思議そうに目線にやや遅れ横を向くと、香住がハンカチを差し出そ
うとしていた。
「あ、あの……」
「ありがと……」
「それでは」
 促せられるまま山原が受け取ると、急に余所余所しくなっていた香住は小さく手を振って立ち去り、
コンビニを出て行った。

 
       

To be continued