まるである東京の放送局の23時からの番組の一コーナーのタイトルのようだが、
単に、適当な名前がまだ思い付かないための暫定的タイトルであり、変わる可能性もあります。
(ないかもしれないけどね。なにせ気まぐれなもので。)
11.大衆迎合主義(ポピュリズム) | 10.安楽死 | 9.宗教 | 8.三権分立 | 7.自衛隊(FORCE) | 6.少子高齢化 |
5.少年法 | 4.教育(学校というもの) | 3.原子力発電 | 2.日本国憲法第9条 | 1.国旗国歌法 |
ドイツ語、Populismus。大衆扇動的政治と和訳されている。(フランス語のpopulismeだとポプリスムで、1930年代の心理分析的文学を排し庶民生活の素朴な描写を唱えた民衆主義という文学の流派になる)、英語のpopular(大衆的な)に接尾辞の−ism(主義)を付けた和製英語にも見えるが、popular−ismならばポピュラリズムになってしまう。ちなみに民主主義は英語だとdemocracy、独語だとDemokratie、仏語ではdémocratie。英語のpopularには「人気のある」や「流行」という意味もあり(独語のpopulärは「人気のある」の他、「大衆に受ける」「大衆向きの」とも和訳される)、政策立案・施行能力が欠け、人気だけのある、と揶揄して造られたのだろう。間接民主制の場合、国民が選挙によって立法府の国会議員が選ばれ、その国会議員の多数派からその国の最高指導者の首相が選ばれる。もしくは、大統領選挙で大統領が選ばれる。国会議員にせよ大統領にせよ選ばれるには国民の多数派にならなければ当選しない。つまり、人気者であればその人気だけで票を集められる、大衆受けする公約を並べた方が多数の票を得られる、といった考え方に基づく。逆に言えば、選ぶ側の選挙民にその判断能力が欠けているとも受け取れる。古くは『衆愚』と称していたりもするし。
「世論に流される」ことが悪であるかのような論調がしばしば流れる。が、これもそれと同様、国民の判断力を否定し、ひいては、国民の教育レベルが低いものとして批判している論調なのである。また、同時に、国民に政府が説明・説得しなければならないのに、それを怠ったり、その能力が政府にないのかもしれない。そして、実は政府の側の判断が誤っているという可能性もある。
民衆が政治家を選ぶというシステムが民主主義であり、その民衆の意見や言葉を聞くという至極当たり前のコトなのに、それが批判の対象になってしまったりするのは、過去の歴史にある。が、いつまでも未成熟なのだろうか?統治する側の政府は民主主義を定着させる為の国民の教育をおろそかにしてきたのだろうか?多くの先進国といわれる国ではそんなことはないはずである。ちなみに、「popularーgovernment」という英熟語には「民主政治」との和訳が付く。
2003/3/17
11
末期患者、いわゆる病気の進行による悪化で手の施しようがなく、確実に死が訪れるのがわかっている患者に、鎮痛剤も効果のない苦痛や激痛と、どんな手段を講じても死ぬとわかっているのに自分の為に無駄な医療費を負担させているとの罪悪感を、すべてなくしてあげよう、つまり、死期を早め、終わらさせるのが安楽死。尊厳死とも言われている。世界では条件付ながらオランダで1990年代に合法化されている。(今のところ追随する国はない)苦痛から逃れるために死にたいと願う患者に死の手段を提供するわけだから自殺幇助とも言えるかもしれない。また、当人自身が自ら行えないのであれば殺人罪にあたることになる。さらに、その当人の意思が明確でなければ、なおのことである。日本国の刑法(明治40年4月24日施行)第二百二条には自殺関与及び同意殺人の条項があり、「人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、または人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、六月以上七年以下の懲役又は禁錮に処する。」となっているため、日本国内では違法行為となる。ただ、人工心肺機を脳死と判定・確認後にはずす行為が、医療放棄とこれに当たるのかどうかは、「脳死」に対しての観念の違いが今の日本ではまだ大きいようなので割愛する。(理論上は脳幹の延髄から心臓及び肺機能の指令が送られていて、この部分の機能が停止すれば死。人工心肺機で心臓の動きと肺機能を補えば脳機能を生存させ、再び自らの生体機能を回復する可能性もあるが、脳機能が停止した場合(脳波(脳から出ている微弱な電気,神経機能はその微弱な電気信号の動き)が消える)、心肺は機械によって動かされているが、自ら生体機能を動かすことは皆無となる。)ホスピスというものもあるし。
オランダでは「死ぬ権利」と称し、死期を選択できる権利がある、との主張が基になっているが、わざわざ当人なり他者がなんらかの手段を講じなくても、人は早かれ遅かれ死というものを迎える。だが、あらゆる可能性を自ら否定して、あらゆる可能性を否定されたように思い込まされ、選択した死ぬという行為は、本当に人の尊厳なのだろうか。死ぬという行為はその人の時間をそこで終わらせるということ。時間の経過はいろんな物事・思想・技術などを変えるのだが。
2003/1/8
10
古代オリエント(と言わず、当時は他地域の多くがそうだと思うが)の諸民族が多信教なのに対し、人格的な唯一神ヤーヴェ(エホバ)のみを信じ、「苦難のなかにあって救世主(メシア)が現れ、彼らを救って神の国を建設する」という選民思想をもって、旧約聖書を経典とするユダヤ教。幾百と年月が過ぎ、B.C.4年過ぎ、そのユダヤ教の選民思想に対し、「神の前では人々はすべて平等」と唱えたのがキリスト教。さらに幾百と年月が過ぎ、A.D.619年頃、唱えている神父や神官の説法や聖書は神の言葉ではなく、彼らによって歪曲・解釈された文だとし、神の言葉を直接信仰せよ、と現れたのがイスラム教。それぞれは同じオリエントの地で生まれた。そして、それまでその地で信仰されていた宗教を利用する権力者たちの腐敗と差別と矛盾、それに対して生まれた当時の新興宗教でもあった。
A.D.392年、当時地中海地方をはじめ、周辺地域を支配し、君臨していたローマ帝国がキリスト教を国教としたことでまずキリスト教に権威が生じた。時の帝王テオドシウスはキリスト教以外の宗教を禁じたので、それは顕著になった。彼の死後の395年、帝国は分裂する。が、東はコンスタンティノプール(現イスタンブール)を都とし、東方正教会として残り、1453年に東ローマ帝国は滅ぶが、その東方正教会の権威はロシア帝国に移譲してあった。もう一方の西ローマ帝国は476年に滅ぶが、イタリア中部に教皇領を寄進させ、教皇による権威をフランク王国−神聖ローマ帝国−ハプスブルグ帝国と欧州を覇した者に奮った。そして、同一の教義、それを起源とする同一の価値観を共有する地域が確立していった。
一方、後発のイスラム教は、特権を守ろうとする商業貴族から圧迫され、ついには街(メッカ)から移住したのを機に、戦闘的伝達・政治的になり、やがてその信徒はアラビア半島を統一し、のちにイスラム帝国といわれる帝国の足場を築き、権威を一気に高めた。やがて東は中央アジア、西はアフリカ西岸までとイベリア半島まで拡張させ、大帝国となる。その権威は派や民族を超え、オスマン=トルコ帝国まで中東を覇した者が継いで、奮った。そして、その地の人々に種々の特権も得られる改宗か、地租と人頭税を納めるか選択させ、その多くを改宗させた。その結果、この地域に同一の教義に基づく共通の価値観というものができあがった。
他方、ユダヤ教は、B.C.586年にユダ国の滅びた後、ユダヤ教を認める国家は成立せず、彼らは流邦の民となり、世界中(主に欧州)に離散した。国なき民として度々スケープゴートの対象になり、弾圧の対象にもなったが、その教義ゆえに細々と生き抜き、中には商業的成功をおさめる者が続出した。新大陸(南北アメリカ大陸)が発見されると、古い権威を逃れて、新大陸に移民した。そして、そこでも成功をおさめる者も増えていった。第一次・第二次世界大戦と大規模な戦争で列強といわれた大国のほとんどの国土は荒廃し、経済はその多額の戦費調達のために事実上破綻していた。その中で唯一国土の荒廃を免れ、援助国としての利益を一人勝ちしていたのがアメリカ合衆国であった。そして、その経済の一端を担っていたのがユダヤ人であり、ユダヤ教徒であった。
第一次世界大戦中の 1917年、やはり戦費調達の為、経済的に成功しているユダヤ人たちの協力を引き出すために、当時まだオスマン=トルコ帝国領だったパレスチナの地にユダヤ人の国を建国することを認めるというバルフォア宣言
(バルフォア英外相よりシオニスト連盟会長に送られた書簡による) を戦後パレスチナの委任統治国となる英国が発してしまい、第二次世界大戦でドイツの迫害を逃れたユダヤ人が続々と欧州からパレスチナの地に移住し、戦後の1948年に戦勝国のアメリカ合衆国にも後押しされ、イスラエルを建国してしまった。当然、そのユダヤ人・ユダヤ教徒がパレスチナの地を離れた2503年間、その地は無人だったわけでもないし、中立地帯や進入禁止区域だったわけではないので、その地に異教徒が先祖代々定住して、民族を形成しているのは、なんの不思議もないことである。しかし、アメリカ合衆国(the
United States of America)が自国の建国と同様に先住民族を駆逐して建国する手段をイスラエルにやらせてしまった。これに対し、その地域の先住民族になっていたパレスチナ人と同じイスラム教徒で同じアラビア語を話し、同胞と感じている他のアラブ人国家が反発したのが第一次中東戦争であり、別に宗教間対立というわけではなかったのだが・・・。
いずれの宗教も文明の発達と共に世俗化が進んでいく。つまり、先に宗教ありき、ではなく、個人個人のスタイルの中に宗教が取り込まれる、という形になっていき、それが広がっていく。すがるモノが宗教だけでなくなった表れとも言え、裕福な国ほど顕著に現れているかもしれない。同時に、各宗教には各宗教のその教義を最優先としてしまう原理主義というものも現れた。それは宗教の教義の至上主義であり、他者を排除しようとする傾向があり、暴力を伴うこともしばし存在する。ただ、純粋というより暴力の正当性を宗教に求め、教義を都合よく解釈しているだけ、とも見える。各宗教が生まれた時のように見えるが、その時のそれまでにあった宗教のように詭弁として利用されてるだけのようにも見える。
2002/12/27
2003/2/26加筆
9
民主主義、法治国家の象徴のように使われる言葉だが、その状態は民主国家と呼ばれる国々の中でも国によって様々である。
三権というのは、法を作る立法権、その法を行う行政権、法に則り裁く司法権、の3つの権力である。過去における歴史において、国王や帝王、支配者と呼ばれる権力者たちは、この三権を一人で、もしくは、1つの組織で、3つとも掌握していて、支配民や国民はそれに意見することもできずに、ただ翻弄されていた。
そのため、民主化された国では、この三権が一人もしくは1つの団体に集中しないように分権させ、それぞれを相互に監視・牽制できるようにした。だが、特に議会制民主主義での政党政治の場合、行政府の長は立法府で承認するが、他の閣僚は長の首相が指名するだけで、日本の場合、議会による審査も承認もいらない。なので、立法府の議会で多数を占める政党が行政府の権力を握ることになる。さらに、党議拘束というものが日本の政党には強く働いていて、党で決めたことに個人が背けない事例が多々ある。そして、議会において満足な論議もせず、与党が強行採決というものを行えば、事実上、与党のみの意見が通る。つまり、本来民主主義国家としては避けていたはずの一党独裁が可能であることを示す。
また、一部議員やメディアが時折「ポピュリズム(大衆迎合主義)」という言葉を使って選挙民を批判するような愚行がしばし見られるが、ポピュリズムに対して警告と戒告を発する大きな要因は、第2次世界大戦を起こしたドイツのヒトラー政権の成立にポピュリズムが働いた、という背景があるのだが、それ以前に、前政権の腐敗や失政があったことも考えるべきではないだろうか。
もっとも、その党に票を入れる選挙民が多いことが更に問題であるのだが。情や目先の利益に目を奪われたりして。けれども対する別の党は失政や腐敗で信用できず、結果無効票であれなんにしても、その党に政権を与えてしまう。国民に選挙権はあるが、罷免権がないところが間接民主制の落とし穴なのだが。ゆえに、少数意見も代弁させるという中選挙区制の制度も、当選させたくない人を当選させてしまうケースが多いので、無意味ということになるのだが。。
また、ポピュリズムの失敗例のように腐敗が起こったペルーのフジモリ政権やフィリピンのエストラダ政権などを挙げる人もいるが、腐敗はどんな政権でも存在しうったのではないか?政権の透明性、利権の構造が出来ない仕組みを作っておけばよいのではなかろうか?
しかし、ポピュリズムという言葉は、議員や首相などの指導者を選ぶ国民にそれだけの教育レベルがない!と、断言し、卑下している言葉のように見えるのだが、読売新聞社社長はそう思っているのだろうか?
2001/4/1
2001/4/28加筆
8
自国を守る為の部隊。そのような事が出来るのは「軍」と呼ばれるものぐらいなのだが、日本国憲法第9条第2項に「陸・海・空の、あらゆる軍隊を保持しない」と明記してあることや周辺諸国を軍事侵攻してから時も浅いのもあり、その名を使用していない。というよりも、存在を否定しているようにも。
第2次世界大戦後、日本を占領した連合国総司令部は、大戦を起こした日本の非軍事化とその徹底を図っていた。そんな中の昭和21年(西暦1946年)2月に総司令部は帝国憲法の改正案を当時の日本国政府(幣原内閣)に示した。これに、終戦の痛手からまだ立ち直れず、厭戦気分の強かった日本の幣原内閣が手を加えたものが政府原案となり、帝国議会で審議を経て、同年11月3日に公布され、翌年5月3日に施行された。
よく、この時にできた日本国憲法が押し付け憲法だの言われる(タカ派議員や一部マスコミに)が、こういう経緯が背景にあるのかもしれないが、GHQ草案は「民主化に重点が置かれたものであったし、もし、日本政府の意見がまったく取り入れられていなかったのなら、天皇は廃されてたのではないかな。
昭和27年(西暦1952年)4月にサンフランシスコ平和条約が発効すると、条文の中には、「連合国の占領軍(進駐軍)は速やかに退去する」と明記してあった。だが、時は米ソ冷戦の真っ只中。昭和25年(西暦1950年)に朝鮮戦争が勃発。在日米軍をはじめとした国連軍が朝鮮半島に赴くと、日本に駐留する軍が減るので、国内の治安の為という名目で警察予備隊を発足。対ソ連の最前線にある日本に条約発効後に軍事的空白が生まれるのは避けたいアメリカ合衆国はサンフランシスコ平和条約とともに日米安保条約を締結させた。
「軍隊を持っていない国は世界中探しても、ない」などとTBSさんのある番組で評論家のような方が言っておられたが、小国と呼ばれる幾つかの国は、防衛を他国に委ねているので、その国の国軍は存在しない。これは、逆に言えば、その軍事を委ねている国を信用しているというコトになる。また、世界中探してもないのならば、たまには日本国が先駆者となってもいいと思うのだが、まだ隣国のロシア・中国・北朝鮮との信頼関係が構築されていないのだろう。攻めてくる国がなければ、守る為の軍隊はいらないのだから。その言い逃れにテロリストを挙げる議員やらもいるが、テロリスト相手に戦車やミサイルがいる中東とは違うのでは?
「襲ってくる相手が銃を持っているかもしれないから、自分も銃を持つ」。そんなアメリカ的意識を持たされているような。。
2000/5/1
7
かなり以前から警鐘されていたもので、もう十数年は経過しているのではないかな。高学歴志向、女性の社会進出に従がう晩婚化、などと結論して、総じて個人個々の問題として何も結局対策をしなかった現れである。第2次ベビーブーム世代の人間がどんどん適齢期を迎えていくのに、一向に子供の数が増えず、むしろ減少傾向のまま。ようやく事態の深刻さに人々は気付き始めている様。
とりあえず、日本政府が施したのは、そうなった時のための税収を確保するための消費税導入。当初は「消費税は福祉に使う」との弁であったが、その公言はどこへやら。一度でも総理を経験した者は、多額の退職金と年金が保障される。だが、一般のサラリーマンと呼ばれる職業の人たちは、年金の支給される年齢を引き上げられると、定年との狭間ができる。日本の平均寿命が80の声をきく位置にあって、60歳・65歳の人間を隠居すべき老人とは思いたくないが、今までそういう人たちの雇用対策を案じなかったせいであろう。相変わらずの環境破壊を進める建設業界のためだけの公共事業という名の土木工事費を削って、そちらの方にまわす気はないのだろうか?
また、女性が働きながら安心して出産・育児する環境も整っていない。託児所などの数も少ないが、時間帯の制限や費用負担の問題もある。「子供は金のかかるもの」として、子供を作るのを躊躇する人も多い。
これら諸問題を早く片付けなければ、少子高齢化が進むばかりでなく、やがて人口も減り、労働力や人資も減り、産業力は落ち、マーケットとしての魅力も落ち、国力自体も落ちるであろう。それを現政府は望んでいるのだろうか?時代のせいにするのは簡単だが、その変化に対して臨機応変に対応策・政策を立てるべきなのだが。
2000/3/27
2000/4/10加筆
6
大正11年制定、昭和23年(西暦1948年)全面改正された法律である。
児童の保護・更生に重点を置いているので、児童が加害者であっても、閉鎖性の高い少年審判で審理される。ただ、それ故に、大人の裁判と違い、検察と弁護側の討論のようなものはなく、犯罪の真意を突き詰めることがない。突き詰めることがないのだが、それを一人の人間が一人で裁量を下さなければならない。
そんな曖昧な結論の中、犯罪の「責任」は曖昧になり、「少年の更生」に置き換えられる。
また、元来、少年法というものは、少年の性格の矯正だけでなく、環境の調整についても触れているのに、こちらの方は行われているのだろうか?していなかったツケが今の社会なのではないだろうか。罪の重さに対する自覚のない少年が現れ、増加していくのは。
子供が殺人や誘拐や監禁、レイプなどの非人道的な犯罪にいたるようなら、それはそこにいたるまでその子供の性格をそうさせた親に「責任」があるのではないだろうか。もし、もう親の手を離れているというのならば、未成年であっても、その少年に「責任」を課すべきではないのか。
そもそも「未成年」というのは、なんなんだろうか?20歳を線引きにしているが、変わるのは、飲酒喫煙をしても咎められないこと・選挙権が与えられる・親の承諾なしに結婚できる、というぐらいではないだろうか。
かつては、大人に利用されていた子供たちを守る法律であったのだろうと推測はするが。
2000/2/15
5
教育問題というのは古くから聞かれ、「教育改革」という言葉も盛んに聞かれるが、聞こえるのは掛け声の大きさだけのような気がするのは、気のせいではあるまい。文部省が自省の権益を削らずにやろうとするのであれば、大胆な改革は不可能であろうから可笑しくもないのだが。
「平等」の名の下に、日本国民の誰しもが「義務教育」という教育を受ける権利を得た。だが、「平等」という言葉が強すぎたのか、「落ちこぼれ」の受け皿の欠落もそうだが、なにか秀でた者に対しても、それ以上のものを求めるのに周りのものと同じ時間を浪費せねばならなく、秀でた「なにか」以外の教科なりをも一定以上クリアしていないと、その秀でた「なにか」の上のレベルを学ぶことができない。望むのであれば、現状では塾ぐらいである。だが、塾は上に行くためのテクニックを身につける所であるのを考えてほしい。飛び級と言わないまでも、単一の教科だけであっても秀でてる教科なりあれば、その教科なりだけでも、さらに上のレベルのものを学習できる機会を与えても良いのではなかろうか。
大学生の学力低下が言われるようになって久しいが、「競争」がなくなれば、極当たり前のことではなかろうか?学業の世界での言わば社会主義の世界になっているようなものなのだから。特に、文系の大学生の数学力の低下が嘆かれていたが、そんな普段使用する機会の滅多にない事柄のための公式や法則を、人間はいつまでも記憶として保持していられるのだろうか?ある数学者が「数学のできない者は論理的な思考もできにくいのではないか」と述べていたのを目にしたが、中学生の時点ではその中学生のやる数学の問題は解けていたのなら、そこまで言ってしまえることなのだろうか?とは思ったが。
今の(かなり前からだと思うが)大学生、特に文系のそれが、社会に出るまでの腰掛け気分で大学生をしているのは否めないが、社会が学歴だけを求め、「なにを」求めているのか明確にしなかった、できなかった結果ではないだろうか。教育者を初め、親や周りにいる大人たち、メディアに至るまで。
また、学校の先生たちも、地域への情報公開や閉鎖性の打開、情報交換、互いの向上心のため、研究発表ではないが、するべきなのではないだろうか。
「教える」やり方を知ってても、「育てる」ことも知らなければ、それは「教育」の片手落ちというものではないだろうか。
2000/1/31
2000/2/3加筆
4
:
軍都広島や長崎の街を一瞬にして壊滅させたPOWERを発電エネルギーに利用したもので、周知の事実なのだが、そのエネルギーを発生させると放射能が発生する。放射能を発生する放射性物質は元素によって違うが、半減期と呼ばれるものが長い元素はいつまでも放射能を撒き散らす。
日本は少資源国だから、少ない原料で大きな力を発生させられる原子力発電が必要なのだと力説する一部業界や政治家やメディアがあるが、少資源国は別に日本に限ったことではないのに、不思議と力説しているように思える。
太陽光発電や風力発電は水力や火力に比べ、1〜4円単価が高く、それに対し、原子力発電は水力発電や火力発電より単価が1円ほど安い。と、採算面のことを原子力擁護派は挙げるが、今の原子力発電には、さらなる安全設備投資費に加え、ウラン残土の処理費用や最終処分場の決まったさいには、その建設費用、維持費用、処理費用、周りへの損害補償、などの膨大な費用が加算されることになるのだが。
風力発電などでは気象条件に左右されて、安定供給ができない。などとも原子力推進派は言うが、デンマークやドイツなど西側先進国でも多数敷設され、可動している。また天然ガスが北海油田で欧州は採掘できるからといっても、日本近海でも、サハリン油田という将来性のあるものがあると思うのだが。パイプライン敷設費用がかかるというが、先に書いた原子力にかかる費用を考えれば、微々たるものかと。それに、欧州だって、最初はパイプラインを敷設するのに費用をかけたはずだし。また、世界有数の火山国といわれてる割には、アイスランドにあるような大規模な地熱発電所というものが存在していないのが不思議なところである。
原子力発電所にも、可動寿命というものがある。けれども、寿命がきたからといって、簡単に廃棄・放棄できるシロモノではないということをよく考えてもらいたい。中国の「平和利用のため」と言う核開発に待ったをかけた日本ならば。
2000/1/10
2001/4/29加筆
3
よく自由民主党、特にタカ派と呼ばれる人たちが、憲法の中でも特に改正したがっている条文ですね。しかし、なんで日本では「改正」と言われるのでしょう?アメリカでは「修正案」として合衆国憲法に付随・補修されているだけなのだが、政治の中枢にいる人たちの一部は日本国憲法の条文そのものを覆そうとの思惑が見える。(正確に述べると、英単語は同じなのだが、和訳されると別々なのです)
日本国憲法の方が先に成立したのだが(昭和21年(西暦1946年)11月3日公布・翌年5月3日施行)、間を置くこともなく、冷戦に突入。日本の対岸・目と鼻の先にある朝鮮半島で代理戦争ともいうべき朝鮮戦争が勃発。以降、停戦はしたが、膠着状態・緊張状態を保ったまま現在に至っているが、これを理由に警察予備隊(のちの自衛隊)という名で再軍備をした(昭和26年(西暦1951年)9月)。そのため、日本国政府は憲法との矛盾を「解釈」という形にして両存させてきた。
冷戦というものが崩壊してから、海外在住の日本人の安全、自国の権益に重大な結果を及ぼすから、というような理由をつけて、自衛隊を海外でも活動できるようにとの動きも見えるが、日中戦争は「自国の権益を守るため」の戦争でもなかったのではなかろうか。
「核の傘」というのは、「やったら、やりかえすよ。射程に入ってるんだから。そしたら、どーなるかわかるよねぇ?」という脅しをしている核保有国を後ろ盾にしているというだけ。専守防衛と一応言っている日本の国防もそう。端的に言えば、アメリカの銃社会や日本の若者がナイフを携帯したりしているのと五十歩百歩。
けれども、「領海」という自国に不法入国した船ていどに有効な対処のできない自衛隊って、ねずみを捕まえるのに大砲を使っているような・・・。そう、アメリカのアニメの「トムandジェリー」のようで滑稽としか言いようがない。しかし、それでも保持はしたいらしい。むしろ、そのような結果になったのは、憲法上の制約のせいだ!と転嫁して。
島根県隠岐島より北の日本海上に浮かぶ竹島(韓国名:獨島)。ココに韓国軍が進駐して、埠頭を建設したが、日本政府は「固有の領土」というわりには、自衛隊の艦船を出すわけでもなく、それを静観していたよう。沖縄県南西部の尖閣諸島(中国名:魚釣島)近海で中国籍の船がなにかをしていても強くは出られないが、日本籍にはむしろ自粛するように促す。北海道の歯舞・色丹諸島近海においても、ロシア軍の艦船に日本の漁船が砲撃・拿捕されることがあっても、日本の自衛隊は彼らを守ることはない。
「解決の手段として武力を使用しない」とあるから、PKO(国連平和維持隊)派遣などの人的貢献に自衛隊を武装させて派遣できないって・・・その前の段階で人を動かせよって感じ。話し合いの表舞台には姿は見えないし、裏でもなにもできていないように見える。東ティモール問題の時に、オーストラリア主導の多国籍軍に自衛隊を出すかどうかでもめていたが、そこまでいく前にインドネシア政府に最も圧力をかけられたのは日本なのに出来なかったんだろに、ねぇ。。
1999/11/29
2000/1/31加筆
2
あの1999年の初夏に満足な議論もされずに通過・成立してしまった法律である。「強制はしない」と当時の小渕内閣総理大臣(現在は故人)は強調していたが、文部省の「命令」として「日の丸掲揚・国歌斉唱」を下部組織に伝達したら、未だに古くからの縦社会、今は個の時代と言いつつ個よりも集団を重んじる教育現場の最下層にいる生徒達・子供たちに強制していることになるのではないだろうか。
なぜ、この時期になって、今更のようなこの法案を小渕氏は通そうと考えたのであろう?読売新聞の社説などでは「冷戦の崩壊」を事ある毎に挙げているが、ベルリンの壁が壊されたのはもう十年も前の話である。先月、自自公連立のことについてきかれたさい「安定多数を確保して、なにが悪い」と言葉に出たように、数の計算はできたから論議というものが疎かになった一因なのだろうなと思う。
読売新聞社は国民の大半が支持していると言うが、単に関心のない日本人が多いだけなのではないだろうか。今までタブーのように扱われ、悪い過去や足跡をも隠してきたのだから、興味のない日本人は知らないのではないだろうか。
「制裁」という名でオリンピック出場などのスポーツの国際試合の出場停止にしたりするのは、それがナショナリズムを煽るものと認識しているからではないだろうか。その場で掲揚される国旗や斉唱はそのナショナリズムの象徴であり、極みではないだろうか。。。
フランス国歌のラ・マルセイユの歌詞は、王政を民主化しようと起こったフランス革命のさいにできた歌ゆえ、歌詞が現在の世では残虐とか言われ、よく論議になるそうだが、それを「君が代」と同一に並べて、編集手帳などに記述しているメディアがあるが、君が代が歌として選ばれた背景には天皇主権の国家を成立させ、天皇を称える都合があったのを考えると、同一に見るのはおかしいと言わざるえない。まして、君が代の歌詞そのものの成立で論じるなど本末転倒であろう。
そこにいたるまで、ただ反対ばかりで、具体的代案として、ならばどんな国歌や国旗にするべきなのか示さなかった当時の野党にも問題はあるのだが。
1999/11/22
2001/6/17加筆
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