中央線の乗り方 人身事故



 ここのところ中央線はよく人身事故に見舞われる。昨年だったか、あまりに人身事故の 件数が多いので、JR八王子駅だか西八王子駅だかでお祓いをしたという話を聞いた。
 その後、駅ホームを監視する駅員の数が目立って多くなったような気がした。しかしそ れでも事故の件数が目立って減少することはなかったような気がする。
 人身事故が起きるのは殆どJR三鷹駅から西側高尾寄りである。それはこの区間が高架 でなく軌道が地上に設けられているからと言われていた。
 三鷹駅から東京寄りの区間は殆どが高架である。ぼくの記憶違いかも知れないが荻窪駅 を挟んでその周辺に高架でない部分があったような気がする。そこ以外は全て高架である 。
 一方高尾駅から三鷹駅までは日野駅周辺と国立駅周辺の僅かな区間を除いて全て地上線 である。当然、踏切がある。線路内に人が立ち入り易い条件を備えている。
 そんな訳で、三鷹以西では踏切事故が多い。というよりも踏切事故は三鷹以西でしか起 こらない、と言った方が正しいかも知れない。
 しかし昨今は踏切事故ばかりではない。駅のホームから線路内へ降りたり電車に飛び込 んだりする事故が非常に多くなっているようだ。
 ホームで駅員の姿を多く見かけるのはそのような事故を防止するために監視を強化した ためのようだ。それがどのくらい奏功したのか数値的に明確ではないが、監視増強の当初 は一時そのような事故は減ったように見えた。
 しかしそれも慣れてくるとまた元の状態に戻っている感がある。
 一時、一昨年(平成9年)あたりは中央線の事故が異常に多いと言われて一週間の内少 なくとも2日は何らかの事故で電車が止まるということが起こっていた時期がある。
 多いときは1日2件の事故が重なったりした。1週間に2日事故があり、そのうち1日 は2件に及ぶなどという事態は尋常ではない。
 数値的にあまり曖昧な記憶に基づいて極端なことや事実にもとることを書いたりすると 、JRから名誉棄損などで訴えられる恐れがあるから、よほど気をつけなくてはならない 。表現も上述のように肝心なところでかなり曖昧にせざるをえない。
 例えば、「一週間の内少なくとも2日は何らかの事故で電車が止まるということが起こ っていた時期がある。」という部分は、受け取りようによっては「一週間の内に少なくと も2件以上事故があることが相当長いある一定期間続いた」とも受け取ることができる。 このように受け取られるとJRは黙っていないだろう。
 こういうことにならないために、「電車が止まるということが起こっていた時期がある 。」という表現にしてある。「起こっていた時期もほんの僅かだがある。」というように も受け取れると言い張れるからである。ま、こんなことは余談だが。

 それで、よく事故が起きると言われている決まった場所があって、そこは第一に国立駅 と西国分寺駅の間の踏切、第二に武蔵境駅の付近の踏切、第三に西八王子駅近辺の踏切で あるらしい。
 一方、飛び込みの事故が起こる駅にも多い少ないの傾向があるのだろうが、これについ ては分からない。三鷹以西では国分寺駅あたりが多いような気がする。よく国分寺駅構内 で事故があったと放送されているのを聞いた。但しあくまでも不確かな記憶によるため責 任は持てない。
 一昨年あたりから事故が著しく増えているという事実が何も統計的に明らかになってい るというのではなく、単に新聞記事などで「よく事故がある」という程度のことがしばし ば見られたくらいだが、お祓いをしたというJRの対応からしてあながち出鱈目でもない ことは誰にでも容易に想像がつく。
 増加したのは専ら飛び込みなどの意図的乃ないし半意図的な事故と見受けられる。意図 的といえばそれはもう事故とは呼べずむしろ犯罪である。
 意図してのことであるから故意であり、故意である以上事故ではない。事故でなければ 事件であり、刑法に触れていれば犯罪である。
 交通の妨害になることを知りつつ電車や線路内に飛び込むことは未必の故意であり、明 らかに犯罪である。そうでなくとも自信死ぬかも知れないことを知りつつそのような行為 に及ぶことからそもそも自殺未遂という立派な犯罪である。
 一方、電車を止めれば民事上の損害賠償問題が生じる。だいたい一回の事故で影響を受 ける人達は通勤通学時の都心で10万人以上、郊外の比較的閑散時でも2〜3万人と考え られる。

 一口に影響といっても直接も間接もあり、上記の数字は両方を含めた数値と考えられる から、厳密な意味での損害賠償額の根拠とは言えない。
 そこで直接影響を受ける人達の人数をざっと試算してみる。ここで「直接」とはどの範 囲をいうのかの定義をしておかなくてはならない。ここでは、その路線の範囲内をいうも のとする。例えば中央線のある電車が遭遇した事故による影響はその後続の電車も被るこ とになるが、これを含めるということである。他の路線が受ける影響は考えない。

 さて、通勤時、中央線の電車一本が一回の事故に遭遇したとする。その電車は平均およ そ20分間その場に停車する。すると、平均3分間隔で運行されている後続の電車群が平 常ダイヤに復旧するまでに30〜40本の電車を動かす時間を要することになる。
 これはどういうことかというと、事故に遭遇した次の電車で20分の遅れを取り戻すこ とは不可能である。この20分の遅れを取り戻すために、1本の運行間隔3分間のうち3 0秒を費やし、残りの2分30秒で運行間隔を保つ。
 電車1本で30秒だけ遅れが取り戻せるから、20分の遅れを取り戻すためには40本 の運行が必要になる計算である。
 そして、電車40本を運行させるためには、さきほど算出した短縮後の運行間隔2分3 0秒×40本=100分が必要になる計算となる。
 さて、40本の電車に遅れを出すことになるが、それら電車の乗客の総数はとれほどに なるか。
 電車1本の車両数は10輌であり、1輌の定員は約120人である。通勤時に定員だけ ということはなく中央線の三鷹駅手前では少なくとも150%は乗っているから(感覚的 には200%を越えている時間帯もあると思う)、電車1本に10×120×1.5=1 800人の乗客が乗っていることになる。
 そしてそのような電車が40本だから全部で72000人の乗客が影響を受けることに なる。
 すると、直接影響を受ける人だけでも10万人近いことが分かる。10万人という数値 は誇張でも何でもなかったようだ。
 それなら間接的に影響を受ける人の人数はどのくらいになるのか、想像もつかない。
 そして、損害額をできるだけ分かりやすい形で表すために振替乗車券を発行したと仮定 して損害額を試算する。72000人にそれぞれ1枚200円相当の振替乗車券を発給し たとすると、1440万円の支出になる。これ即ち損害額である。
 その他、事故処理にかかる費用、駅員等関係者動員に伴う特別費用、その時には目に見 えないがJRに対する信用の失墜に起因する営業的損失、等々部外者では計算できない損 害が数えきれないくらいある。
 損害賠償額が数千万円にもなるということは、こうして計算しただけでも決して不当な 理屈ではないことがよく分かる。
 簡単に言えば、平日朝8時の武蔵境と三鷹の間の電車1本をたった20分止めただけで 2000万円以上の損害賠償を請求される可能性もある、ということである。
 もしこれが自殺未遂によるものであり、本人が死んでしまったとしたら、遺族にとって みれば踏んだり蹴ったりというものだ。
 本人が多額の借金の果てに自殺に踏み切ったなどという経緯でもついていようものなら 、もう何もいうことがない。
 借金の返済に葬式代、そして損害賠償と、夜逃げ以外は考えられない。

 さて、事故を起こした側の話としてはそういうことだが、運悪く事故に遭遇して電車の 中に20分間閉じ込められた乗客の方はどうか。
 昨今は駅と駅の間で電車が停車するという不都合極まりない停車の仕方というものは殆 どなくなったが、たとえ駅で停車するにしてもこう頻繁に途中で20分も止められるとい うのが、愉快である筈がない。
 その昔は、電車が停車する時、よく駅と駅の間でも停車した。僅か1〜2分でも、10 分の時でも。
 事故で突然停車する時でも、今のように当事者でない電車は駅まで進んで停車するとい うことをせず、当事者でない電車でもその場でそのまま停車してしまったものだ。
 おかげで、トイレに行きたくなって困ったことがあった。
 今ではまず必ずといっていいほど、当事者でない電車は駅まで進んで停車する。そのお かげでトイレに困ることは皆無と言っていいようになった。
 しかし、たまの20分停車くらいは大目に見られないこともないが、1週間に2回は許 しがたい。
 特に最近気になっているのは、帰りの電車のことである。ぼくがたまに早く帰ろうとす ると、決まって事故で遅れる。これは一体どうしたことか。ぼくを早く帰らせまいとして いるととしかいいようがないではないか。
 まあそれはさておき、最近では大仰に電車の遅れを「またか」と言って詰っている乗客 が目につく。
 以前のように最初の10分は無言で我慢しているといった紳士的な客がいなくなったと いうのではなく、あまりのひどさに義憤に駆られるのである。
 これはJRに対するものでないことが、彼らの口調を見ても分かる。飛び込んだ者に対 しての怒りなのである。以前にはあまり見られなかった反応であり、傾向である。
 実際、正直なところ昨今では飛び込んだ者に対する同情や心配といった気持ちは微塵も 湧かない自分に気がつく。

 以前は「命に別状はないのだろうか」とか「何とか怪我だけで済んだのならいいが」な どといった感慨が湧いたものだが、ここのところはそんな殊勝な気持ちは毛頭湧かない。 「また飛び込みやがって。どうせ死ぬつもりなら他人に迷惑かけずに死ね」とか「何でよ りによって俺の乗ってる前の電車に飛び込むんだよ。後のやつにしてくれよ」とかいった 愚痴ばかりが喉元に湧いて出る。さすがに口に出して言葉にする勇気はない。
 しかし、そこの一線を踏み越えてしまうほど憤慨している人も、前述の如く少なくない のである。

 最近は電車の中で前述のような事故に遭遇した時、「またか」という声が車内のあちこ ちから聞こえてくるのが、ごく当たり前のようになってきた。
 よほど忍耐強い人でもそろそろ我慢の限界なのかも知れない。大英帝国のジェントルマ ンもこのような日本の電車に乗り続けていれば、そう遠くない未来にジェントルマンを止 めなければならなくなるかも知れない。

1999.05 著作 [-10%(10% Buff)]
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