宿酔日記〜嫌い嫌い・壱 (03/05/23)

団地のエレベーターで両手に大きな荷物を持った“オバサン”
(私より若いが)とご一緒になる。「何階ですか?」ボタンを
押してあげる。袋をごそごそして何か取り出す「“エシャレッ
ト”お食べになります、今採ったばかりなの」「あっ、うっ・
・・」言葉にならない「ありがとうございます」ニコニコして
頂く。エレベーターが降りる階についてしまったのでそれ以上
の会話は出来ず。きっと家庭菜園の収穫かなと思いつつも聞け
ず、私の「あっ、うっ」も説明できず。実は嫌いなのです。エ
シャレットに限らず葱および葱の親戚は大の苦手。

子供の頃は偏食のチャンピオンでした。
魚、野菜は全くダメ、良く火の通った肉しか食べられなかった。
後は玉子(目玉焼きかスクランブル)、フリカケ、混布の佃煮
くらいでした。
単品以外は料理の中に何が混ざっているか心配で食べられない。
母親はハンバーグに少量の葱を混ぜて挑戦、一口も食べないう
ちに判る。食べないと食事ヌキと言われれば、一食でも二食我
慢。親も根負け。以降、葱ヌキハンバーグの登場。二十年くら
い続く。なお、葱ヌキすき焼きというのもあった。

外食は怖くて「もり蕎麦」だけ。これは薬味が別の小皿にある
ため入れなければすむ。お子様ランチなどちっとも魅力なし。
ラーメンは食べたいのだが葱が浮いているのでダメ。
小学校で一番嫌いな時間は給食だった。
パンとミルクだけで6年間一度もおかずに手を出さず。好きな
ものにも手を出せなかった。よく学校が許してくれたものだ。
今は好きなものだけ食べても良いという小学校があるという話
を聞いたような気がする。羨ましいかぎりである。

五年生の時、軽いネフローゼ(だったと記憶)にかかり医者か
ら食事制限。堂々と給食を食べなくてすむことに至福を感じる。
偏食のせいか小学校時代は病気と怪我(骨折など)の連続。
今は毎日酒で消毒及び栄養補給しているので病気知らず。
小学校の卒業目前、担任に言われる「卒業式まで毎日来ないと
出席日数が足りませんよ」。
中学は給食が無くてホッとする。しかし苦難の道は続くのであ
る。修学旅行は一苦労。合宿が嫌で部活も早々に辞める。
大学で仲間との昼食は「腹減っていない」とコーラを飲んで済
ます。

今回はこの辺で、続きはまたの機会にお話します。    (fou

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