映画・雑記帳 @ (03/09/12)

映画少年ではなかった。

いつでも近所の映画館は只で入れてもらえました・・・と言う著
名人の少年時代とは違い、子供の頃は映画に特別な興味も無く、
近所に映画館のある環境でもありませんでした。

ただ東宝のオープン・セットが家から歩いて5分程の距離にあっ
たので、私の通学路はいつも侍と馬が疲れた顔(颯爽とではなか
った)で行進、時代劇がすぐ隣にいたようです。

しかし映画と直接結びつくものではなく、お祭りの行列を眺めて
いる気分でした。

中学までは親に連れて行かれたディズニーや子供向け時代劇など
で、特別に自分の意思で作品を選ぶ事も無かった。


映画に夢中になったのは高校に入ってから、でもそのきっかけが
何だったかは思い出せない。突然映画に魅了されてしまった。

平日は行けないので土曜の午後と日曜日はほとんど映画館に通っ
ていた。

いつも新聞の映画欄などを観て上映時間を確認して、土・日のス
ケジュールを組んでいた。

日曜はだいたいパンを齧りながら三軒ハシゴ。移動時間を計算す
るとなかなかキツイ物があった。金が無いのでほとんど名画座や
二番館、三番館だった。

それにしても当時の高校生はアルバイトも出来ず小遣いをどうや
って親からかすめていたのだろう。本だけは何でも買ってくれる
家だったので、毎週参考書でも買うことにしていたのかもしれな
い。

その頃はロードショーが終ると二本立、三本立で上映する館が沢
山あり、見逃した作品はどこかでやっていた。
現在はロードショーが終るとヒット作品以外はなかなか見るチャ
ンスが無くて不便である。

私が観はじめた頃はTVが普及し始め、そろそろ映画産業にかげ
りが見えた新東宝の倒産の後、でもまだ映画館が多かったので新
旧幅広く上映されていたのだろう。

また、名画座(Wordでは出ない、死語なのか)が都心に多くあり
古い名画をいつでも上映していた。

現在は確かにレンタルビデオやCSがあるけれど旧作を劇場で見
る事がむずかしくなっている。

話は戻るがその頃「ぴあ」など便利なものは無く自分の手帳が「
ぴあ」だった。「ぴあ」の創設者は偉い。         (fou

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