【アイアンホース】
製作年 1924年、米
監督  ジョン・フォード
出演  ジョージ・オブライエン マッジ・ベラミー
【あらすじ】
 大陸横断鉄道建設を夢見る鉄道技師ブランドンは息子ディヴィを連れて西部に向かうことになった。ディヴィは隣に住む土木業者マーシュの娘ミリアムに別れを告げる。三ヶ月後、ブランドンは鉄道建設に適した近道を見つけるが、インディアンを率いる二本指の白人ドゥルーに襲われ息子を残して殺される。
 十年後、リンカーン大統領は大陸横断鉄道法案に署名、オマハから西に向かうユニオン・パシフィック(以下UP)鉄道、サクラメントから東に向かうセントラル・パシフィック(以下CP)鉄道は共に工事を始める。UP鉄道の工事監督になったマーシュは娘ミリアム(マッジ・ベラミー)を連れてオマハに向かう。途中、ポニー・エクスプレスになっていたディヴィ(ジョージ・オブライエン)が汽車で移動中のミリアムに再会するも、彼女が鉄道技師ジェスンと婚約中であることを知りがっかりする。一方、大地主になっているドゥルーは腹黒いジェスンと組んで自分の土地に鉄道を通して一儲けしようとするが、近道を知っているディヴィが邪魔になりジェスンは崖から彼を突き落とす。木に引っかかって助かったディヴィは無事に戻ると、二人の悪だくみを暴露する。 
 懲りないドゥルーはインディアンを率いて鉄道側に戦いを挑む。ドゥルーと対決することになったディヴィは、ドゥルーの手をみて父の仇であることを知り、復讐をはたす。しかし、ミリアムと誤解が生じたため、CP鉄道に移るが、プロモントリーで2つの鉄道は出会い、二人も再会し抱き合う。
【解説】
 後に「駅馬車」(39年)「荒野の決闘」(46年)「黄色いリボン」(49年)といった西部劇の傑作を生み出す名匠ジョン・フォード監督の29歳の時の作品である。フォックス社が当時としては破格の45万ドルをつぎ込み、エキストラに5千人、馬2千頭、牛一万頭を動員し、ネバダ州の砂漠に人工の町を2つ作るなど大がかりなロケを敢行し製作された。20年代のサイレント映画ということを踏まえて見ないとフォード監督の他の作品とのタッチの違いにとまどうが、公開当時は大ヒットし、1年近くも上映する映画館もあったほどである。
 実際の大陸横断鉄道の建設が着工されたのは、1863年であるが、アメリカは南北戦争中であり労働力の不足に悩まされた。そのためUP鉄道はじゃがいも飢饉を逃れてきたアイルランド移民を、CP鉄道は中国人労働者を多数採用した。特にCP鉄道はシェラネバダ山脈を越える難工事となったため「枕木一本に中国人が一体ずつ埋まっている」といわれるほどの犠牲者がでた。その過酷な工事現場の様子はジャキー・チェン主演の「シャンハイ・ヌーン」(2000年)でも取り上げられている。また、土地を奪われ、食料のバッファローの移動を線路が妨げるためシャイアン族やスー族などのインディアンが建設現場を襲撃することもあったが、ポーニー族やパイユート族のように建設に協力的なところもあり、部族間で鉄道に対する対応が分かれていた。線路沿いにできた労働者の宿舎の近くには、彼らを当て込んだ酒場や売春宿などができたが、線路が延びて宿舎が移動すると町全体も移動するようなかたちになり、数ヶ月でゴーストタウンになる有様だったという。
 当初、完成は建国100周年にあたる1876年を予定していたが、それよりも7年も早い1869年には2つの鉄道が出会うことが確実になった。これほど早まったのは、鉄道会社が線路から一定の幅の土地を政府から与えられる条件になっていたため、2つの会社が路線距離を稼ごうと急ピッチで工事したためであるが、粗製濫造のきらいは免れ得ず、完成後、道床ごと作り直さなければならない区間がけっこうあったという。1869年5月10日ユタ州プロモントリー・ポイントで完成を祝う式典がおこなわれ、両会社の代表が月桂樹の枕木に金の犬釘を打ち込んだ(実際にはなれない作業のため2人とも空振りで、酔った線路工夫の失笑を買ったそうだ)。この模様は、電信でアメリカ中に実況され、町々では鐘が鳴らされたり、祝砲が打たれたり、パレードがおこなわれたりした。
 このイベントをあつかった他の映画には「大平原」(39年)「マルクスの二丁拳銃」(40年)「ワイルド・ワイルド・ウエスト」(99年)などがあり、アメリカにとっては歴史的な出来事であった。横断鉄道が操業を開始するとジョージ・プルマン考案の寝台車の代名詞ともなったプルマンカーが人々を西部に運んだ。横断鉄道の完成により幌馬車で数ヶ月かかっていた区間を、4,5日で横断できるようになり、のちに映画産業が栄えるカリフォルニア州の発達に大きく貢献したのは言うまでもない。