a.ColumnOLD.No106


三菱工場と、なぜ爆弾2つなのかは疑問として辿りつくだろう。しかし事情の一部に過ぎず。
今はそんなところを考えていない。
毎年、終戦の話がテレビで扱われるが、取材やドラマで中身を感じてもそこで終わり風化を繰り返す。
国民としての胸の内。だから式典がある。
過去の話はどうにも出来ないが、現在でも同じことが可能なプロセスが残っている。
そこで、どうするのかという声になる。

非武装の市民を巻き添えにしないため被害を最小限に食い止める。当たり前の考え方。
ところが、この考え方が敵国の場合は決定権次第で排除されやすい。
1人でも多く始末すれば手柄となっていた粗暴な考え方は必要が無い。

現在の紛争地域で焦土計画を実行したら国際的に非難される代物。
大半が非武装なら、どう思うか。

1度始まると民間は逃げたり戦うしかない。逃げたり戦う人が増え続け、長引くプロセスになる。
解決方法の取り組みができるのは国同士の重要人物。

使用する場所と範囲を間違えれば兵器性能ばかりでは抑止力や機能麻痺にもならない。
市民を狙っても戦況が優位になるだろうか、弾が無駄になるだけでしかない。
小規模なら、暴れている犯人を捕まえるために、通りすがりの無関係な人を逮捕したり射殺しても効果が無いだろう。
そこで正当性など問えない。

市民の犠牲。
結果論と抑止力の話で押さえつけられるものとは別物。



現在の戦争は軍と軍が争う。

核を使用した広島・長崎のものは、一般市民への無差別殺戮。
一部の拠点を消滅させたり上陸作戦を遂行するだけなら、破壊力の規模は必要が無い。
避難民に対する大量爆撃や機銃掃射。
終わらせるためのものではなく、軍事攻防の範囲を超えた証拠ともなっている。

広島・長崎のものは市民の範囲の話が大半。
だから長年クローズアップされている。

戦争終結の正当化に該当しない説明をする。

広島・長崎のものに関して、アメリカの正当性の主張が意味する方法だと、
市民を狙えば政府が降伏して、戦争を終わらせることが出来るプロセスが正しかったという意味合いが濃くなる。
爆弾より恐ろしい意味を持つ。

結果論だけならパターンは決まっていない。
敵国なら虐殺に関する全ての方法を正当化させることができるものでしかない。
全てに正当性があるはずもない。

当時の軍事方法の問題ではない。式典は人としての場である。

当時のアメリカは非武装の市民と戦っていたのか?

市民が殺されるのが正当性なら、お断りだろう。
先に正当性有無の主張を持ち出す論調が残るなら、毎回市民が置き去りにされてしまう。
見つめるべき箇所がある。

隣人や家族に「犠牲は仕方が無い」と言葉をかける人もいないはず。
兵隊が戦力として減る意味なら大昔から通用するが、市民まで意味が含まれるようになった。
無意味な犠牲。
正当性さえ主張できれば市民が巻き込まれても構わないのか。そんなはずはない。
居合わせただけで巻き込まれたらどうする。
正しいか正しくないか、運が悪かったかどうか、それどころではないはず。

もう1度問う。勝ち負けの問題なのか?

海外はメディアだけが伝えている視点ではなく、一般が伝えている資料の視点で見ると分かるはず。
学生が語れるのは専門資料だけ見ているからではない。
大事にしてる想いがどこにあるか、はっきり分かる。

式典と資料館だけ見て帰るなら甘い。本を買って帰国したほうがいい。読んで感じることができるはず。
アマゾンでもいい。関連本を探すのは難しいので。
タイトルに広島・長崎と書いて無い物まで集めるとよい。

自国で起きた悲劇は伝えられ続け、想いの重さがある。
アメリカにも類似したものはあるはず。



3D映画か、人の演技か。

どちらか1つに決める講釈は無駄。争う必要が無い。両方あればいい。
世代別でも需要の差は歴然としている。用途も様々ある。
片方に決める論評は営業妨害同然。あっちの店は不味いから、こっちの店に来いという客の誘導にしかならない。
嫌な物や見ない物なら語る必要が無い。
自分の好みで価値を決めたり、ブームを毛嫌いする反射と同じ。この性質で1つを語るなら浅い。
興味が無かったり、飽きるなら、交互や同時もある。全ては中身による。
素晴らしい点や、駄目な点なら両方にある。
「3D映画か、人の演技か」の話なら見聞きするのは興味が無い。それは映画を見て楽しむものではない。

特撮技術が無かったら、とっくに業界が沈没していたはず。
感謝もせず、3Dに飽きた、次は人だと文句を言うとは何事か。人である前に横暴な欲の権化でしかない。

どちらにしても、「3D映画か、人の演技か」の視点を基準に、見たいと思う映画は選んでない。

楽しいのも映画。楽しくないのも映画。
素晴らしい中身も映画、駄目な中身も映画。作れば映画になってしまう。

全編青色だけの映画だけは今でも分からない。



懐かしい植物。遊べる植物。
服や靴下にポコっと引っ付く「オナモミ」



はぁ〜のんびり。



三猿と花か団子か。

なるほど。

シャキーン

言わざる (うっぷ、団子を食べ過ぎた)



心の迷宮を解く。

ポジティブは意識する分が強くなり、それをカバーする持続力を必要とする。
神経が減る代物。燃え尽きる回数も同様に得るはず。この順序は普通なら仕事の病と同じ。
困った時の一時の発散でも良いし、使い方は自由。
焦り過ぎるとポジティブ短気の連続。損得は諸刃。気が長いのもタイミングによって諸刃。
相殺効果としては確実に役立つ。これを結論として用いる。気の持ちよう。

ネガティブでストップする場合、他人が押し売りスピーカーでポジティブを推奨しても、そこで終わる。
反抗意識や無気力が加わり効果が無い場合、ブレーキが相殺効果を意識させない原因を作る。
サイクルなのだから、片方だけの理論なら茶番でしか無い。
どうせなら、ここで個人に役立つ解決方法の理論をもう1つ加える。
この全てを図解として説明すると、もっと使いやすくなる。

続きがある。
ポジティブでもネガティブでも、まったく関心が無いスタンスもある。趣味に集中すればいい。



報道・専門家・コメンテーターの注意点。

事件の場合、年齢や環境を因果関係に結び付ける視野は、楽なだけで原因の大部分とは言えない。
同じ境遇や経験でも事件を起こさない人のほうが圧倒的に多い。
動機になっている理由は立ち塞がるチェックポイントに過ぎず、役に立たない例も多い。
同じことを考えた人も多いはずで、違う行動で対処している人のほうが圧倒的に多い。
人ならではの行動だけに、類似しない各種の環境でも同じポイントがある。
分かっていて、崖を飛び越えたり、うんこを踏むのは嫌なはず。

殆ど関係ないとする視野での説明も可能なはずで、深読みは、単一心理と単一理論で片付ける説明になりやすい。
これはいくらやっても単細胞と同じ。専門家でも気付かない場合がある。
職種での立場や、対人との会話や行動の選び方で最終判断が分岐する。
例えば事件の犯行の心理は現実が引き金となる。
過去の環境と心理を探るパターンは用いても、前例や一部の件にしか一致しない。
テレビドラマの劇場型パターンでしか無い部分。
報道センターは、レア物の同様のカードを揃える性質。警視庁まで錯覚に陥り連動してしまう部分。
落とし穴になっている箇所と、状況においての対処が最大の原因。
そこに関しては必要性があっても実に疎かで、報道のムードだけが誇張される。
社会現象として捉え易い事例が優先して扱われる。ここは関心の高さゆえに忘れやすい箇所。
これだけをメインとして用いると専門家でさえ、方法そのものの未熟さに気付かない。半々で用いることを心がける。



のんびりと。



8月は各地で祭り第二部。
都道府県別だとテレビ局でも全ての収録は難しい。
テレビで知ると1県に1つしか覚えられない。行事、大祭、大会、イベントで分けると知らないものばかりで数が多い。
現在開催されている祭りも多い。
伝統なので其々に意味合いがある。
川や湖も開催場所としてよく使われている。温泉宿も賑わう。

東京発信では無理なものが祭り。



サンドイッチにしたらどうなるのだろう。

ジャムはゼリーに似てる。
カスタードクリームはプリンに似てる。



水泳学習と人工呼吸のみの学習用要領だけに頼るだけで改善できない点。

泳げていても筋肉疲労で力が入らなくなる場合もある。
体力が消耗して限界になっている場合はプロでも見抜けない。
泳ぎの上手さだけ身に付かせて教えた側が満足して安心してしまうのは論外。
夏の遊びの運動量が重なるとクロールは足首が攣りやすい。
通常は体で覚えるしかない。
楽しさで深刻な事態を判断するスイッチが鈍る箇所は集団でも気付かない。

シーズンは遊泳区域外も人が多いがライフセーバーが見回っているとは限らない区域が殆ど。
見回りだけで済ますだけの箇所であることも、良いタイミングが得られない。
近年は遊泳禁止区域を設ける行政判断が鈍ってる。
1区域でも、強い流れと波の衝撃が桁違いになる箇所もある。
時間や日によって波は変わる。大丈夫だった場所が危険な場所に顔を変える。
浜辺以外で泳ぐ地域も多い。

新任担当の頃にもなると看板さえ文字が風化してるはず。ボロ看板の文字の風化は注意力を低下させる働きがある。
いつの時間に満潮や高波で危険になるかも分からない。

海が顔色を変えるというのは常識でも、集中するあまり、忘れやすい。
テンションが冷めてから不気味な顔が見える。

危険が無いと判断できるから不意に巻き込まれる。
少し危ないかなと思っても巻き込まれる。
これくらいは大丈夫かなと思っても巻き込まれる。
そこは、どう判断をしても人の考えでしかない。自然のメカニズムとは無関係。

遊びの達人は危険な場所を回避しておく。



抱っこちゃん人形やワッペンだの今時は滅多に見つからないはずだけど。
番組の仕事が細かい。



真面目な話、地デジ完了を迎えると、
プロフェッショナルが作ったアーカイブ作品も揃える必要がある。
移行が全て完了しても、番組そのものに新鮮味があるわけでもない。



考える箇所が含まれる番組が多くなった。
関心は寄せられるが面白くない話が大半。
関心ばかりに釣られてしまうと、2つ3つの番組で疲れる。
ムーディーな番組は少なく、会話が多い。

気分を入れ替える効果は、視聴者が独自で行う必要性が濃くなっている。
気温に関係なく寝付かれない原因が発生しやすい。
CMの気分転換は、ほんのちょっとの差で効果が薄い。音楽は効き目がある。
違う物に関心が向けば時間経過を待たずとも消去できる。
局が関心が高いものを扱えば視聴者の依存も高くなり、居場所同様になる。



{激辛ラー油まん}新発売。

なんだって?



あるある。

人気のガリ。しかしスーパーでよく見かけるのはなぜか紅ショウガ。
家庭で「ちらし」や「いなり」を作ると、お茶でもスッキリした感じがいまひとつ足りない。これにもガリ決め手。
新ショウガは在庫があまり積んでなかったりし、無い事もある。
ネットでは、この部分まで検索することも滅多に無いが、しっかり業務用があるのが頼もしい。



テレビ局の空気はと・・・。
ゴソゴソ・・・キョロキョロ。そよ風が吹いてる。

今までの注意点。度が過ぎると表裏一体。
時計自慢と差の中傷。
不安商売。
ブームは意識を高めるが、差がつくと下の世代では中傷に繋がるものもある。ダイエットは分かりやすい。
笑いを取るためiにレゲエを小バカにした意味で使うのも駄目。
これらの点は神経の度合いを判断するのに分かりやすいので覚えておくと便利。
世相を反映した物は短い距離で深層心理にダメージを与える。
真剣な内容で笑いを取る内容もあるが、笑い事にならない場合もある。

各局の討論で視聴者を舐めてるのか、まったくこのとおりと鬱憤が出ても、
運悪く組み合わせが立て続けに続く場合もある。
番組向上どころか視聴者に噛み付いているように見えてしまうトラップも全局を見回すと各所にある。
それらは相変わらず定番の手法として使われているので誤解を招きやすい。
それ以外を見ると、まったく逆の物が見えてくる。
つまり最初の狙いが逆の心境を作りやすいこともある。
様々な立場が違う人から見れば、頻繁な話題ほど、なんの嫌がらせかともなってしまう。
気分を悪くした番組出演者も多かったはず。

不快な印象が無い番組も多い。ロケ方式、一部のゲーム方式、試合の中継。
注目していると局が取り組んで番組が良くなってくる現象もある。



フジとテレ朝に日経ビジネスとウーマンと。
視点の方向も深層思考まであって良い発見の切り口。

2ゲット。



無糖で甘味料が入ってると、「甘さがいらないのに」と思うことがしばしば。
飲料水メーカーは何か勘違いしてるような。新製品が出ても甘味料の甘さ加減が同じ。



海の海水浴客。山の登山客。

人ゴミわらわら。

ゴミ1個。

暑い。

絵を描くには・・・向かない。

冗談。



ホイミン、チョコボ、モーグリ、アイルー、奇面族、ノポン。
このオールスターで冒険に出発したら、どうなるんだろう。
通常のストーリーならキャスティングの違和感。雑な中身になると思うのが関の山。
最初から問題点が分かっていれば工夫のしようがある。
スパロボやカプコンのオールスターもあるので別に突飛な話でもない。



伊勢のサンピラー(太陽柱)

去年描いたものに似てる。ラストの場面。
現象物は全国放送ではあまり放送されないので、よく知られている現象以外の物は写真も実物も知らない。
使われる用語も初めて耳にするものばかり。



吉野家、すき屋、松屋。
牛丼競争の値下げは恒例の景気指標。
安いように見えているのは丼だけ、他のメニューは普通。とくに心配する必要も無い。
店舗の回転率だけでなく通販部門の出荷率もある。
肉中心はマニア向け。カロリーが高い。値下げでも反応が無い顧客もいる。
主婦が客に来ない業界。生野菜を盛っただけでは来ない。
ご家族向けやカップルが入るには無理がある。
他に気に入ってるお店が決まっていたりする場合もある。
今までシンプルに勝負してきた業界と見れば大変珍しい。

ドラブインしやすいファミレスの立地は景色が広い。
店舗の雑踏の中はラーメン店という印象。
両方とも長所短所がある。

野菜70%の割合で1つだけメニューを作っても良いはず。
牛丼としょうが焼き。割合は、ほぼ同じ。パンチだけでも困る。
難しい話でもない。日替わりメニューがあるのだから。

飲料水については健康とは言えない。
影を潜めている部分。
顧客満足度NO1でとびっきり売れている飲料水は無いはず。
オリジナルドリンク、カクテル、パフェが20年前のデパートのステーキハウスにあったくらい。
店舗で飲むなら自販機のジュースと同じ物では興味が無い。
お酒と知らずにブルーハワイが飲みたいと言ったら、親に止められてしまうくらい、どこに興味が行くかが勝負。
ただのジュースではなく、メロンフロートやストロベリーパフェを必ず注文する目もこっち側。
ショーケースのサンプルにしても缶ジュースは置かないはず。
ストロベリーパフェがあってブルーベリーパフェが無いというのも鈍い。
旬の味覚を振舞うなら、客も作る側も飽きることが無い。
和食にしても、そこに旬が無い。提供する側が定番にしてしまう傾向も根強い。
炊き込みご飯なら、タケノコか?和食なら鮭か、いや違う。
それらは加えても1年中のメニューになるだけで、四季折々とは別の物。



ダイエットに簡単な方法がある。
お金があるから食べ物を買う。食べ過ぎる。
家計でエクササイズをすれば良い。
過度な節約ではなく、何に使うか1日に何を食べるか配分をしっかりさせる。
そもそも脳が決定した内容で脂肪が蓄えられている。最初の原因から片付ければ話が早い。
ただの理屈でもなく、怠慢でもない。後になって感情が変化するので困る事になる。
健康面の話なら管理まで問えるが、他人の生活に過ぎない。
体型を維持しているバランスをコントロールするのはシンプル。
痩せる場合は早さが念頭に入るため難しく考えてしまうことで、通常は食べるほうが楽で、我慢が難しいと考える。
1つ超えると食べ物に興味をもたない思考を操れる。
興味を持つ思考を働かせるなら切る思考も容易いと理屈で考えたほうが楽になる。
興味の無い種類があるなら、それと同じ感覚。
思考のスイッチは1度入れると入れっぱなしになりやすい。切り替えも大事になる。
体の管理。思考の管理。最初から2つある。自分にとってベストな体型も重要。
気難しい意志力といった話でもない。
ごく当たり前のこととしておけば、理屈話でも通用する。
痩せた後はダイエットのための生活サイクルを使う機会が少なくなる。
痩せるときの決心や楽しさに比べれば、痩せた後に維持する意思のほうが低い。
理想の体型に戻れば、太る前の出発地点に戻っただけにすぎない。
シェイプアップも減るので楽しさも半減する。ダイエット商品の宣伝も不要になる。隊長や美人インストラクターはそこにはいない。
肝心のコントロールはここからが重要になる。
目的を達成したら、今度は考えている部分をどこにおくかが大事になる。
シェイプアップの映像を見ても、経費、時間、疲労、カロリーコントロールまでトータルを含めたカリキュラムが無いのは不自然。
商品を売ることに躍起で痩せるためのノウハウしか伝えてないのは古すぎる。
商品なら開発も進みブームにもなり宣伝にもなる。
それに比べれば元の健康管理の根幹は商品開発もなければブームにもならない。置き去りにされてしまうのも当然。



おはようでおじゃる。



はなまる。
谷中ショウガと谷中銀座。魚屋、味噌、お肉屋さんの惣菜、マゲ、猫だらけ、外人観光客、草履、かき氷、金魚鉢、祭り、ドショウ、落語。

次から次へと、なんだろ、今まで使ったキーワードがかなり揃ってる・・・。
こんな下町グッズの宝庫があったとは。こういう町とは知りませんでした。



MGMでのロボコップの起動が無理なら、アイアンマンならどうだろう。



逃避ではない癒しの本質。真剣過ぎても体に毒。



たまひよで育児ノイローゼを、拾いやすいポイント、回避ポイント、解消方法についてハウツーがあると良いと思います。
子を育てるハウツーは充実しているようですが、ママさんの健康はどうなの。その視点です。
親の健康問題なら他の話もあると思います。
学校では教えてくれない中身のはず。近年は事件事故も目立ちますが、駆け込み寺が無い形でもあります。
強くPRすると他の迷惑ですし、困ったときに読めるものとして丁寧に整理しておくと良いです。
日経ウーマンで育児視点をカテゴリで扱うと良いと思います。
企業の抵抗感の呪縛は根深いはずです。育休改善の理解にしても窮屈なビジネス誌からも変えなくてはいけません。
テレビで特集してもしつこくなりますし、いざというときには内容が手元に無い代物です。
困った人が霧の中に入ってしまうと、他の事が思いつかなくなるでしょう。
マタニティという用語さえアメリカから来たもの。都市発展と生活の進歩。アメリカのほうが資料になる本は先に充実しているはずです。
国内で知りえた事情の独自解析だけでなく、海外のほうも調べて組み込むと良いかもしれません。
また核家族化と無縁社会で身近に教える人が不足してる背景も多いはずです。

命のリレーとはよくいったものです。

産後鬱といった用語は最近のニュースや特定個人を連想させるので、配慮のため上記の説明にした。



バンキシャ−カンシキ!「アニメで町おこし 仰天の現場」
ジブリ特需の局がこれでは駄目ですよ。



夜9時以降はどうでもいいバラエティー番組が多い気がする。
日テレに多い不平不満・愚痴トークはいらないと思う。
同じ話ばかりが毎週続いている感じがわかるはず。
OL帰宅部・女子ツイッター部から見ても、特定の人物に毎回私物化されている感じで通用しない。
昨年からすると2ヶ月に1回はテーマに入っているペース。話もダブっている。
ネットの評判では、やる気が無いと判断されてしまう。



PCのキーボードからコードが出ている部分が痛みやすく信号不良になりやすい。「ト」の部分。
コードが曲がるだけで勝手にキーが押されたり無反応の状態になったりしやすい。
チューブの中に複数のコードがあるので内部で摩擦が起きる。付け根は軽い曲がりでも曲がる頻度が高い部分。
キーボード本体を少し動かすだけで圧力が加わる箇所。
軽く曲がっている程度に見えても、中の複数のコードは1ミリより細いので見た目よりもダメージが大きい。
数年前から確認されている問題。各社テクニカル部門の改善が進んでない。
完成品のチェックでは確認できない領域。使用年数に応じてどういった耐久力の落ち方をするか。その点。
いくらキーボードの性能や価格を技術とサービスで駆使しても、コード劣化で全てアウト。
PCユーザーの人口からすれば、少なからずこういう経験や話はあるはず。
チューブを固定するリングにも種類があるが適したものは無い。

お堅い話はしたくないので、Good Jobな製品をよろしく。



アニメスタッフも相変わらず。
脚本書き換えは必要ないとぉもぅけどぬ。(キーボードの接触不良・・・)

ヒップアタックだの、白髪にハゲだの。
苦情しか来ないだろうに。
自分で番組潰したら意味無いだろう。

アニメの品格。

やってみる?



歌手と芸人とアイドル。

猛暑の時に限って外の営業が多い。



宮崎県。

経済損失や雇用の影響ルートは知れていることなので、
来年から畜産の復興作業しても来年も収益がゼロ。

他の分野は最盛期。勝手が違うとはいえ、人員が欲しいところはあるはず。
遠出するのも堪えるでしょうから合同で椎茸栽培とか良さそうだけど。
JA側から仕事を提供できる場合もあるはず。
各自治体の宿泊施設が好意で無料になるなら、かなり違うはず。
清掃は得意のはずだからブロイラー小屋の手入れも良さそうだし。鳥は人気だし始めるにしても手が届きやすい。
牛豚はあれだけど、鳥が残ってます。まさにフェニックス。夏の居酒屋メニューには丁度いい。

進出店舗のお店のほうは県の野菜や果物も扱うと良いだろうし。
乾物とお魚まで扱うと、居酒屋になってしまうかも。それが好都合だったり。

他の品種も欲しい感じがする。マンゴーが育つくらいだからバナナでも良いし。国内でもキウイの大農家が2つあるくらい。
ゼスプリさんもドールさんも宮崎県でやってみればいいと思うけど。周辺国にも輸出しやすいだろうし。

県のほうのプログラムが分からない。

最近の需要は分からないけど。ウナギがあるじゃん。

日向夏は大きい分、置ける数も少ない。1店舗で1箱が限界。数が上回る他の品種に比べて単価が回らない。
在庫も短い季節で切れる。その分、口にする機会は少ない。
都会のほうはミカンが基本なので若い人ほど1個食べきりのほうが便利だと思ってる人が多い。
別の品種で、もう少し小さい物も出荷できるほうがいいと思う。
皮が薄いものは輸送に耐えられないので、それを踏まえた品種。

切り干し大根はよく頂いてます。
繊維不足の都会では冬の必需品。

次回のセールスはブランドというより「農業王国」で浸透させたほうがいいかも。
そうすると千葉県が黙っちゃいないだろうけど。それが良い盛り上がりにもなるし。

宮崎県の桃と葡萄は聞いたことが無いので2品目の知名度も上げると良いと思う。



品格。

職業としての品。普段の品。社交品格。

使い方を間違えると、

サービス業を家庭に持ち込んだら、執事とメイド。
亭主関白で粛々とすると、旅館の女将。

田舎には関係ない。

各分野の流儀。

品格の度合いだけでは補えないものもある。
振る舞いや言葉遣いが丁寧になっても、会話や内容において相手の気分を損なう。

子供の目線からすれば大人は非常に下品に映る。

各世代のキャパシティの問題もあるので経験や年の功で積み上げることも出来る。

抑圧的で過剰な場合は世代ごとで抵抗感の中和現象が起きる。

他にはテレビ番組やCMの品格というのもある。

嫌なものと思えば品格の敵として扱いやすい。
下品と言えば、なんでも通用する。無闇に使うと無神経さが上回って相手を傷つけることにもなる。

個性にしても品格にしても溺れないこと。



個性とはなんぞやパート3。

個性を磨くという言葉を耳にすることもある。
ファッションならメイク術の基本技術を学ぶという意味もあるだろう。
顔と声が違っても、上から下まで同じなら個性との認識は無くなり、コピーに見えてしまうほうが上回る。

ビートルズみたいなものかも。

ただし分野が違えば素人にすぎない。
1つ磨くだけでは楽しみにはなるだろうが、他で判断されると難しい立場になる。

ファッションのメイク術で個性なら、
お茶と着物の作法を学びなさいと言われる機会もあるかもしれない。

お茶と着物の作法が個性なら、
料理の基本を学びなさいと言われる機会もあるかもしれない。

お水の世界なら、外見から作法まで学び直さなくてはならない。

別の職種から判断して叱るのは簡単。しかしキリがない。

結論は専門の習い事。

テレビ・雑誌の場合、個性の売り文句も商売絡み。叩くほうも商売絡みのはず。
ゴングを鳴らしたリング上の争いを見るはずも無い。

人によって興味を持つ近道。

若者が学んだ場合、品格の頻度が上回ると、演技。
お人形さんも困るし、猛獣も困るし。過度な品格主義でも困るし。

個性も品格も人が判断する。

機会に用いる。本当の結論はこれかも。



個性とはなんぞやパート2。

ヘヴィメタグループが2つ並ぶと、どっちが個性があるのか、分からない。
シャンソン歌手が2人並べば個性がどうのではなく、シャンソンと好み。
歌手からすれば、他のグループと同じでは売れないと考えて特徴を強調する。
ネーミングをつけただけで個性と言えば個性に見えてしまう。
名前と顔と声だけで自動的に個性になってしまう。

客の視点からすれば個性という用語は大雑把な用語にすぎなくなる。



個性とはなんぞや。

業界と感化が個性を作り出している。真似の部分はこれが多い。
世代間の差もある。子なら親のパンツをはくわけがない。
着ている服の色を変えれば個性になってしまう。
趣味を選べば個性になってしまう。
顔も声も違うなら個性として認識される。
行動や動きも認識される。
個別の性質。
名物も個性。
持っているものが違うだけでも個性。
好物も個性。
姿勢も個性。
性格も個性からは免れない。相手から得た経験で個性を認識しやすい。
職種の違いも個性。そこに分岐点が多く含まれている。

他人を判断する区別の視覚聴覚にすぎない。
全員が同じ事をすれば区別が薄くなるだけのこと。

不思議なことに、個性を叩く人も個性のある人に見えてしまう。

この世界で始めて目にした一番最初の区別は何かと言うと、
大人が巨人に見える。性別が違う人。
服が違う。高さが違う。長さが違う。持っているものが違う。
それから個性の認識が細分化された。

この世界にある種類。
用語での細分化にすぎない。

好んでいなくても他人から見れば個性にされてしまうものもある。

大雑把に言えば犬と人間の違いでしか無い。

わんわん。


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