a.ColumnOLD.No28

■「ジャンパー」
あれ?ああいう感じの夢を腐るほど見た事があるけど・・・。
体験したほうが面白いよね。
横から見るだけなら目が回りそうな感じ。


■特撮ヒーローとゲーム
今の所の映像作品は変身ヒーロー、超能力、ロボット。色々とある。
比率は貫徹して子供向けのバランスを占めているものになっている。
カメラワークやテンションのメリハリの質は向上しているがシナリオや演出は軽いマンガになっている。
ゲームソフトは1つのステージに限られていた。改善するなら今では街規模に変れる。
単純なシステムの対戦格闘ジャンルのためアクションばかりが複雑化。そして戦いの連続という単調。
変身ヒーローの場合はカスタマイズによる成長や強化は不可能だった。
全ステージとキャラクターを揃える目的だけに限られていたので長持ちしない。それらの点も改善できる。
CPUによる相棒キャラも続ければ遥かに良くなる。
日常で何をするのも自由時間。怪物が現れる。現場に急行。遭遇。そして変身。これだ・・・。
使えそうだったら持って行って構わない。今ではこのくらいの中身のゲームのシステムは当たり前だからだ。


■日本テレビ番組審議委員会
気持ちが悪いほど褒めすぎ媚びすぎで審査になっていない。
内部が業界人だからどうしようもない。
批評番組には基準は無い。普通に番組の宣伝になってしまう。
どの番組も子供じみているようだけど。結果的に視聴率はなんぼ?それが現実。
それを見ているくらいなら・・・どうせなら別の番組を見ていると思うけど。
オカマがメイクして綺麗になる・・・。取り上げていた番組はそういうのだったけど。
これ以上ない一言の賛美はちょっと凄すぎ。
審議委員会をするより違う仕事したほうがよっぽどタメになると思うけど。
もうヨイショ委員会。この世渡り上手。


■栞と紙魚子の怪奇事件簿
http://www.ntv.co.jp/shiori/
諸星大二郎のクトゥルフ少女漫画・・・。
映像は普通のドラマと違う。CGも使っている。Vシネの特撮ファンタジーに近い。
マンガチックで恐くは無いようになっている。
ただし1回見れば十分としたりゲームをしているほうがマシという差には遠い。
趣味で受け入れるにしても60%ほど軽すぎる。
CGの使い道を持て余している感じで窮屈。
ホラーは文学って何?


■ロボット
ロボットというものは生活の一部に組み込まれている。
そして壊れた機械部分を確認するとショッキングな印象を受ける。
それが過去の定番だった。
儚さとともに関係の終わりを告げるか、変らぬ日々に戻るか。
黙々と労働する作業効率の機械、頼れる相手、抗う相手。便利な機械。人が使う兵器。
望むものが備わってないなら利用しない。


■ミステリーと現実の狭間
告訴をしなければ犯罪にならない。取り下げれば犯罪にならない。
ケースによって細かく整備されていない。実際どれだけの件数が埋れたのだろう。
そして泣き寝入りや諦め。そんなものを見たがるはずも無い。
多くの現実とは違う。それが望みである以上、解決に立ち向かう姿勢が必ずある。


■やる気が萎える
医者不足。幸せを得ようとしても、いざという時に暮らしが崩壊する。
将来不安ではなく、この国は終わっている。そういう絶望を市民に感じさせている。
娯楽に現を抜かしているのも今のうちか。それとも後で何とかなるのか。
低い自給率、医師不足、根幹部分だけに暮らしの上で危険な確率が潜むのは軽視できない。


■興行成績ランキング
変動が無いが収益が伸びるはずも無い。
上位にあるからと思って安心すると後で厳しい結果に繋がる。


■自由人
何かをやれば何本もの鎖に繋がれる。その先にも人がいる。鍵は無い。
自由すぎた道は奈落にも繋がっている。
どんなに便利になっても不都合があれば不便になり必死に抗う。1人にしてくれと。


■無い改革−過当競争
今のテレビドラマは演技、日常、押し合い問答。手探りも多い。
ストーリーとドラマの次元が違う。そこにストーリーとドラマがあるかといえば無い。
ストーリーの重視を考えれば時間の穴埋めさえもが多くなり散漫としてしまう。
テレビドラマだからドラマになっている。
わざわざ作品として作っておきながら中身は何をやっているのか分からない。
今のテレビドラマは後でこの作品が好きだったというものにならない。
見なければ済むが利用率が下がる事を意味する。
一本の筋道さえしっかりつけず闇鍋かのようになって何もかも稚拙になった。そういう部分も無いわけではない。
通り越していて関心を失っている。

かつて映画を去りテレビ主体になったアメリカと同じ。
作品は多くなるがメジャーな作品も出ない。競争率が激化する事も無くそれが当たり前となり妥協も多くなる。
満足も不満も考える次元ではないというふうになり麻痺する。
既に感覚は麻痺していて誰がやっても同じだろうとする考えが付き物だがそこは語るべくも無い。
その場で対処しなければならないため数日間も考えを練っている暇が無い。

「今のドラマや映画は、売れそうなものに売れそうな人たちを選んでやっているが正直抵抗がある。」
三池監督のこういう話もあるけど。
テレビドラマはトレンディー時代からそうやってきたスタッフしか生き残ってない。
もう取り返しがつかない。

今あるのはホームドラマ、マンガ、サスペンスミステリー。
テーマに沿ったものは全容が分かりきってしまう欠点がある。
地味な内容や説教になりやすいために滅多に無い。
過去と同じ物も殆ど通用しない。
ではどうすればいいか。そこでお手上げになって考えは終わる。誰も深く考えない。
退屈だ、つまんねぇと思うだけで済んでしまう。




■パチンコ屋の戦略
30、40世代の客層獲得に躍起の様子で版権物のテレビCMが目立つようになってきた。
娯楽は山ほどある。それにパチンコに親しみが無い世代。外で泥まみれになる事も知っている初代ゲーム世代でもある。
目の付け所だけでは狙いは厳しい。主だった利用目的が無い。釣れないものは釣れない。
競争の生き残りもあるだろうが金が有り余っているなら色々な分野に参入したらいい。
資産家や地主のような運営図式は終わりに近い。
娯楽が少ない時代やバブル時期でもない。生き残るには商売の形態を乗り換えても良いだろうし。
機種の種類は見たところ30、40世代のもので後から来る世代用の看板商品のネタは大して思いつかないはず。
パチンコのテレビCMは近年多い。一般的には毛嫌いされている。
先行きを考えれば後は無い。

日本遊技関連事業協会。呼称「遊パチ」
社団法人の認可は総理大臣の許可。警察庁所管となっている。
クリーンなイメージの取り組みを明示しているが不信感が残っている。
一部で使われているキーワード件数が一番多い。何を嫌っているかがそれで把握できる。
各社が討論会でもしない限り明確さが出ない。テレビ局はサラ金CMに続きパチンコCMと毛嫌いされている。
悪徳企業に騙されないために健全なほうを利用してほしいとする意味はない。




■芸能活動禁止
芸能活動禁止の学校と芸能活動OKの学校はどこだ。
過去にも裁判事例があるので殆どが棄却される。
芸能活動禁止と言う法律は無いですが、1つのケースを許してしまうと立場も無くなる。
団体に限り規則として偏屈な物をいくらでも独自に作り上げる図式にはなりやすい。
古くからある場合は入学した以上は勉学に専念してもらうという意味もある。卒業後は文化人向きしか残っていない。
芸能活動をするならそういう専門スクールに通えば良いとする姿勢でしょう。
まぁ引退する時は就職で大変になるでしょうけど。
活動休止や転向するなりで柔軟に対応するしかないですね。
専門学校なり、歳食ってから再入学するなりという方法もありますけど。
まぁ全ての学校が芸能界禁止になったらアイドルも子役も全て居なくなりますけど。
芸能界は色々な理由での中退の人も多い。




■何向き?
日活の作品は「奈緒子」で青春スポーツの路線は局地を迎えた。
これ以上やっても普及映画みたいな形に思われてしまうので壁の層に厚みが出来てしまった。
角川映画の作品は同調している様子で温いね。別に配給路線は4タイプある。
作品はとやかく言われがちのようだけど、製作スタッフの腕はどうなんだろう。
キャスティングは多いほうが角川らしい。主要場面では東宝に比べてそれほど大勢ではない違いがある。
監督不足のような感じを解消すれば伸びる。
松竹は作品の息切れが早すぎる。それだけ色々できる楽しみは残っている。
各社は協力体制を敷いているので配給だけでは一見分からない。どこがどの会社の腕前なのか把握しにくい部分がある。
東映は興行収入と作品本数の課題が残っている。
発表は後回しでも予定作品を常に準備してないとラインナップ体勢はすぐガス欠になるのも容易い。


■毒キノコ
一位 カエンタケ 致死量ほんの少し
二位 ドクツルタケ 致死量一本
三位 ニセクロハツ 致死量二本

ふむふむ。
大量生産されているものと違って見たことも無い。道端にあるものをホイホイ口に出来るわけもないし。
八百屋に並ばない物はいらないとしておけばまぁ安心かな。
直売店は山の物も扱うのでチョンボする事もあって注意が必要だけど。
麻薬植物の駆除や害虫駆除というものはあるけど、有毒キノコの駆除というのは聞いた事が無いね。


■この春一番の話題作は?
一部大作が控えているが前評判では既に評価が厳しい。
海外のボックスオフィスでも長い期間を維持できていた様子は無い。
メディアはアンテナだけが機能していて殆どの作品に大して関心を示さない現状になっている。
どうやら興行成績の変動はそれほどなく下火。
尻目に大作に飽き飽きしている客層を呼び込むのも手段。お零れに与る手段もある。
宣伝もろくに出来ていない作品は売る気が無いとしてあまり注目しない事もある。
目玉に乏しくても退屈凌ぎに作品を漁るまで考慮しない。
そこまで客は齧り付くほど受信用のアンテナを張ってないので容易にスルーする。
広報は通常通りでもプロデュース能力に欠けているならそれだけの作品でもないので売り込む気が無いのだろう。
なら注目する気も起きない。
広報だけなら限界が来ているので卓越したプロデュース能力を発揮できるような体勢を整えても良いと思われる。


■風強し春来る
眠いと言う事も無い。どうも体はパッとしない変な感じ。欠伸(アクビ娘)が出てくるようになった。
特に握力は力が入らないし、あちこちの神経が軽く痛み出す感覚。俗に言う節々が痛い。
アキレス腱や鼓膜まで痛いな。気圧の変化?毎年ある季節の変化。
昼間は暖かく夜は冷える。
不安で神経過敏になる要素もなく。相変らず、ぐーたら気分。
何もかも通り越しているので刺激足りてる?と自分に問えば、足りてない。
遠くの空では何かがボボボと音を立てていて長閑。


■サイコスリラー
各国の猟奇事件を過去にまで遡る。
サスペンスドラマさえも屁に思えてくる。危ない領域です。
ホラー映画やテレビの再現ドラマでも無理。
その殆どは報道記事の文面だけの物が多く、一切の詳細は不明に等しい。


■フジテレビ
各局に比べてどうも北の政局の話ばかりが多い。
バックにコリアレポートの存在がある。そうした影響なのだろう。


■米の作りすぎは無駄?
素直に小麦や大豆を作ってと言えばいいのに。
価格高騰での供給バランスをとりたいがため。ポスターは反感を狙った上での刺激策。
話題を大きく取り上げられやすいようにして考えさせるためにわざとやっているようなもの。
実際問題を考えれば理屈が通らない。神経を逆撫でしているだけでは結局何もならない。
専門農家に急に別品目への転作要請は無理。
季節別に農作物を育てたり複数の物を同時に作るのも無理。
何を作るか出来上がっていて今作っている種類を削って他の物を作るまで手が回せない。
1から安定した作付けを目指すには大変。
元手が無ければやる人も居ない。支援で専門農家を立ち上げるしかないでしょうけど。

麦畑でパン、麺類、ビール、粉物。
多国籍食文化はどの国でも浸透しているけど、根本的に西洋文化に転換ですか?そんな感じ。
ならそういうのを製造している大企業が新しい農家を立ち上げれば済む話。
農大以外ではサポートが届いてない。自給率ともに将来性も改善しようとすればできる。
今の自給率を考えれば国内の個人農家だけに頼れない図式。
頼れないから国外に頼る図式。いつまでもその図式を続ける事になる。
国内に頼れる図式を目指す必要性が十分にあると認識しているだけで普通は終わっている。
その整備が不可欠というところまでは踏み込んでいない。
一方に押し付けているだけで要が抜けている。農政分野でどの方面を努力するか考えれば協力姿勢が無いも同じ。
ただ諸外国では余っている品目なので輸出はそう簡単には出来ない。
輸出すれば価格高騰もし難くなり影響も受けにくくなるが値が下がる。
麦畑には大規模な面積も必要とするので米農家が転作した場合は米作りをやめるという事に等しい。
ただし県産品に主力商品が無い場合は見込みを得る事は可能。
米処で有名な県だけに米農家が乱立すると既存の農家が衰退に陥る。
意図しているか分からないが、そうした事を防ぐ意味も含んでいる。
儲けでもないが好きで続けている農家。儲からないから辞めたという農家。別の物にしたという農家。色々と違いがある。

バカさ加減。
映画に例えると映画の作りすぎは無駄と言っている事と同じ。
少子化の逆になれば今度は子供の作りすぎは無駄とも言うだろうし。
誰かを雇って代わりに仕事をさせていているかのようで日本語も書けない様子もあるし。
不正を働いた連中が首になっている様子も無いので病巣は存在しているはず。
ポスターだの書類だのに億単位や数千万円かかる仕組み。
画像を1枚作って官庁のページにペタっと張っていれば0円で済む。
もしくは無駄を省くために掲示物はモノクロコピーで済ます場合が殆ど。
必要以上に文字が書き連ねてあるポスター等は誰も見ないしインテリアにもならない。
他人事ばかりの風潮が多い役人が自ら敵を増やしてどうすんだろ。
役人の味方につく一般人なんてそうは居ないでしょうし。
で、役人が考えないなら国民が役人を雇う必要が無くなる。専門分野にしては雑。
大して知識や関心が無いとは思えない。
目的があって利益を追従すると首を突っ込んでくる形。
そのうち米を多く作っている農家に不利益な条件を出してくると転作を強制するに等しい事になる。
市役所が色々な分野の事業で市民負担を強いるのによく使う手が出てきたら注意したほうがいい。
効率を優先し自然の成り行きでそうさせるように仕向ける場合が常。
または皆がやっている残りはあなたとあそこだけと口にする事例もある。

最後に言える事は、どこぞの国みたいなプロパガンダのスローガンのポスターは病んでいる。
国の所有地は腐るほどある。ポスター作りくらいで終わるくらいなら率先して行えばいい。
もしくは言い出しっぺが役人を辞めて農家でもして率先すればいい。
長年手塩にかける丹精の意味を知っているタフさが無いとやれない。
考えるだけなら楽な立場。それを考えればポスターの文言は軽々しく口に出来ない。




■ブレイブワン・クッキング
日持ちしない食べ物やナマモノは映画鑑賞向きじゃないけど。
わざとやってるね。

イクラにパンでサンドイッチ。
蜂蜜キムチ丼。

そういうのが出ていた。お腹壊しそう。
O157とボツリヌス菌の組み合わせみたい。

芸能人はテレビに頼りすぎ。駄目になる。




■交渉人〜THE NEGOTIATOR
もう最終回。
緊張感も真剣過ぎて疲れる展開。過密を感じる。SPもそうだったけど「踊る」に比べて開放感というものが唯一無い。
現実味重点でミステリーとは違い関心を煽るような筋書きがあるわけでもない。
脚本のセリフは必要以上に多い。
犯人や被害者がそういう事を話している場合じゃないだろうというのもある。
昔の作品ならゴタゴタが起きてパニック演出の攻防で終わる。
筧利夫、 高橋克実、 陣内孝則。
よくよく考えたらこの3人ポジションが同じ。能天気キャラでシリアス作品とは何の冗談かと思ったり。
事件の方向を主に描いているのでバランス。主人公が表立ってヒーロー走るような演出も無い。
視聴率向きではないけどそれほど悪くないね。
良い子ぶって良い意味で、という事に限らず、悪い意味も含めておいてもいいだろうか。

石原軍団のデカ物の全盛期に比べるとまだシンミリしていて話にならない部分は残る。
その部分は過激すぎて越えられない。
フィルムの質感から言っても領域が違うので真似しても得られない。
さてさて、難しいね。
かつてそういう作品を見ていた製作陣では提供できない代物になってしまっている。
無い物を作ろうとすると追随するものも多い。




■ハリウッドスター
回転が目まぐるしく、諸外国に顔馴染の深いスターはその中のごく一部。
毎回需要があるわけでもない。一度出演したら暫くお目見えしない期間が長い。
特定の路線を持っている俳優は作品を連発しやすい。
安穏としてしまい本業を疎かにしてしまう場合も珍しくない。
ギャラが高くなって手がつけられないというのもある。今では無理にそういった部分に頼る事も無い。
飽きられる場合は役落としもあるが、現在進行形の時期に限られる。
数年後には出演した作品だけが並べば役を落としていても意味が無くなる。
仕事を選ぶ、作品や脚本が気に入るかどうか選ぶ場合もある。
あまり見かけないなら、それだけ良い作品が無いと言う事さえ意味する。
仕事と自分の時間を無理に両立させるのではなく、どちらか一方、または交互に専念する場合もある。
こうした様々な弊害が重なって出番が薄くなる。
一番輝いている時期を棒に振る。

思ったよりハリウッドスターは期待に反して演じる機会が少ない。
諸外国の顔馴染になる前に煙の様に消えてしまう事もある。
もう少しなんとかならないものだろうか。そう思う事がある。
作品がある複数の道が見えている。足元の道には粘着剤が敷き詰められていて思うように進めない。
そうした歯痒さを感じる。俳優もそれを感じなくてはならない。


■精神の開拓−望むべきアメリカンスピリッツ
応用と流用で発達した産業。独創性は先頭ではなく後から付いてくる。
魅力的な題材に乏しくなる。
数々作られる新作、そして俳優さえもが実際に見たいと口にする作品とでは双方の隔たりがある。
映画に登場する主人公は何らかの形を迎える。
曲面を打破して迎える結末。その殆どが勝利で虫が良すぎる場合もある。
相変らず性質の悪い洗脳効果を含んでいる場合もある。
バランスは取れているが主だった名シーンが残る重厚な作品は少ない。また語り草になる事も以前より少ない。
ハリウッドと言えば本来なら息が長いはずがコケっぱなし。恵まれる事が中々無い。
悩みの種にもならず、この調子で妥協する事が当たり前になっている。
辛口や甘口は海外でも同じ。大人数を十分に満足させられるという事には繋がっていない。
どの作品でも同じ作法が固定化して映像の真新しさも得る事が無くなった。
これ以上の進歩は見込めないのだろうか。
満足した作品に巡りあえたとは思っていない。

系列が枝分かれして手広くなった産業。映画作品一本の集中力に欠けてきている。
今のお偉いさん方は映画には大して興味や情熱が無いのではないのか。
ビジネス競争に生き残る作品が生み出される。それだけに執着してしまうと面白味は無くなる。


■俳優女優の人数を満たせる作品の数
簡単に言えば俳優女優は収まりきらず作品という器から漏れている。
かつて様々な作品で見かけていた人達はどこへ行ったのだろう。そう思う事がある。
その殆どは子供の目から見て大人が演じる大人の世界だった。今は逆転していて物足りない。
唯一問えるのは再度魅惑できるか。


■サスペンス
それは暴力と謎に満ちた終わりの無い闇の連鎖。性懲りも無く人間は同じ過ちを繰り返す。
洋画のミステリーはスリラーやサスペンスアクション形式が多い。
邦画もかつてそうだったが今はサスペンスドラマ形式が多い。
双方が別の道を歩んで作風も極端な違いになった。
現実を求めるか。非現実を求めるか。これ以外に、都合を求めるか不都合を求めるか。そういうものがある。
都合よく事件に首を突っ込む警察や刑事は滅多に居ないし民間と協力する事も無い。
大抵の発覚や解決は事件に巻き込まれた民間人の執念。

サスペンスドラマはどの作品も描き方が同じ。どれもシリーズ物という印象。
普通は違うのでしょうがテレビ的にそういう風にさせられてしまうのが見て取れます。
何十年も何作もそういうものを見せられる。
本当ならテレビ的や映画的でもないものも作りたいでしょうけど。規制部分は度外視できませんからね。

ミステリー作家応援月間です。お約束ですが、気持ちだけ。

作家が犯人だったとか、そういうオチの映画は必要ないです。笑ってしまう。


■良い経験と悪い経験
ミステリーはここが難しいですね。
売れるストーリーを書くだけというものなら恐ろしく難しい。煮詰まってしまう事も多いはず。
そして限界が無いので別々の作品でどの角度も作品になってしまう。
普通なら削除するような内容。それが別の作品にある場合も多いです。
映画だけでなく小説でも言えることですけど。
ならばどうすればいいか?簡単な事です。
各登場人物に何を体験させるか。ストーリーを考えなくてもそこからストーリーを始められます。
登場人物の職業を決めるほうから始める場合も多いでしょうが、肝心の部分が虚ろになり平凡化しやすい。

駄作ではない売れる良いストーリー、完璧を求めるか。
いや、平凡でも良い筈です。


■どついて
店員がどんな人であろうとブン殴っちゃいけません。
個人的な事で首にしないように。


■冬CM−缶コーヒーは売れない
冬場の主要製品は缶コーヒーより粉物のインスタントの需要。
店で温まっていても家に持ち帰っても冷えるのでその場限り。
100gの瓶で何杯分作れる思う?
保温ポットも使うと完璧。
そういう会社は切り替えたほうがいいと思うけどね。
客の反応に敏感になるには客の立場になる事だけど、
全然なってない様子では営業部の担当が日常的に利用して無いと言う事なのだろう。
コンビニが缶コーヒーだらけの様子。通からしたら話にならない。


■アカデミー賞−コーエン兄弟
ユダヤ人の力による産業というものに嫉妬している風潮もまだ残っている。
負けないつもりで精神を鍛えていくのも良いだろう。
作品が別の作品を乗り越えるというものは決して無い。
どの作品もレベルが高いわけでもない。
その物語や場面の数々は見覚えがあるものばかり。
始めて見た作品が過去に見た作品のようなデジャブを感じる事がある。
内容の応用を繰り返す。そして新鮮味は欠如しやすい。
退屈な時には楽しみやすい。では退屈ではない時も楽しめるだろうか。
何々兄弟とすると名前だけが目に留まりやすい風潮もある。
実を言うとこちらでは作品は目立っていない。


■専念
名を馳せるのも大事だが作品が伸びないと厳しい。
自国の俳優や女優の名前はよく耳にするだけに売名行為が多いとも感じやすい。
行っても結構だが厳しいだろう。
作品に参加し専念する。それだけの事だ。


■満足ドリンク−リッチな気分
コンビニで見かける細長いボトル。一見すると500ml価格ほどで分量は350mlと少ない。
「ザ・プレミアム・カルピス」
かなりクリーミー。原液と甘さの種類がまるで違う。ジュースじゃないね。なんとなくアミールSかも。
「世界のキッチンから、とろとろ桃のフルーニュ ヨーグルトテイスト」
少しだけ薄めたネクターに近い。桃の香りと味がしっかりしている。生っぽいので日持ちが悪そうな感じ。

ネタとしては7にプッチンプリンの見たことも無い大きいのがあったよ。

コンビニ店は米や惣菜が揃っているとありがたいけどね。
そういう店舗は同じ系列でも店によって違うので殆どは滅多に無い。
インスタントや飲料水、パンや甘い物は揃っているけど、もう少し家庭を考えておいてもらえればなぁ。
無いと困るしテンションが下がる。




■洋画劇場です
「シークレット・ウインドウ」
画に描いたような不精な駄目男を演じるジョニー・デップ。主人公の場面が多く顔面アップのサービスが多い。
缶ジュースのマウンテンデュー。アメリカンタイプはハイなだけで味が薄そうです。
自由度が高く何でも出来る突然現れる南部の男。
誰が一番その事が出来るかを最初に突き止めていれば表裏一体の二面性は考える必要さえ無い。
振り回されるだけで守るべきものや懲悪姿勢がまるで無い。
バイオレンスホラーやサイコスリラーも中途半端で貫徹したものが無かった。
小煩い家政婦や話を逸らす警察署員。演出アホくさ。
相変らずテレビショッピングかのような小手先で心理面を操っているのがアメリカらしい悪い癖。
CGによる変な方法も使っていたけど、まるでファンタジーのシーン作り。
下らない規制に捉われなければカルト的な人気を得ても不思議じゃない。
原作はスティーヴン・キングとある。何かしら憶測めいた感じもさせる。
ただし本来イメージされている作風と同じなのか疑問が残る。
そういう作家だからという側面で規制が強くされてしまう傾向も無いわけではない。
スティーヴン・キングの作品は映像化された時に限って思わぬ期待外れも多い。
オチだけで完結する作品は話の筋が分かってしまうと、さぁここでこうなるぞと楽しむ部分も欠落する。
埋め合わせが出来ていないので一回見れば十分な作品としてしまっている。
年代からして90年代以降ではなく、画に描いたような黒尽くめの南部の男が出てくるからにはそれなりの年代。
今時こんな風体の野郎が出てきたらどこの宗教かと思ってしまうに違いない。
70年代にこの映画があったら作風はかなり違っていただろうね。
作品に対して熱意があるなら普通はこの程度の完成度では済まさないだろう。
頼まれたら仕事をする。そういう連中がハリウッドには増えすぎた。




■首を突っ込んで良い範囲とそうではない範囲の違い
主張を優先する意識があるために別の部分で様々な方角への節度と配慮を怠りやすい。
映画とは違う話も出るが別に芸能人の代わりにやっているわけではない。
特定の内容で特定の語句は使用しない。
この点に気付いていれば芸能人がチョンボする事は無い。
事件事故について「死」の一文字は禁物。家族や本人からしたら余計なお世話というもの。
死にたくて死んだわけでもないし受け入れたくないだろう。
ケースによっては特定の一言を暗黙にしておく事が無難。


■ベルリン映画祭
大袈裟で派手な内容は無い。生真面目で地味なイメージ。
ドラマは作り物の演技らしさではなく極めて写実。
そこにある現実かのようでシュールでイノセントな雰囲気さえ漂う。
華やかさは届いていないので映画祭のイメージはグレー。緩い内容という先入観を持ちやすいがそうでもない。
太鼓判が押された映画は通用しない。予算は関係ない。
ハリウッド映画や邦画でもないし、その中間でもない。ドラマと映像のバランスをよく見て欲しい。
ドイツの若者からしたらまだ退屈。
邦画で受賞できる見込みは十分あるので諦めず挑戦して欲しい。




■善と悪の同じパターン
善さえ暴走すれば悪に走る。それと違う物がある。
事件事故と言う物は被害者側に自業自得さえ押し付ける風潮を生み出す。
他人事である場合は安易さが顕著になる。また悪党でも他人に自業自得を押し付ける。
それをすればそこから先はそうなってもおかしくない。
2つの境界線を一本道で見れば可能性があるということだけ。
そこから先というものは犯罪。その手前はまったく別物。この区別さえ付かない人もいる。
ものによるがまったく安直で馬鹿馬鹿しい場合もある。
この手に乗ったらその先は何をやっても良いというものではないので人として恥ずべきで矛盾する。
自業自得を押し付けなければ無難だが、ものによって安直に振り回すのとではまったく区別は異なる。
その点に注意する意識を持とうとするか、持たないかではまるで違うものになる。
他にも不条理は色々あるので探してみると良い。
意見1つが合理的でも熟慮している加減とまったく単純の異なる差を見極めているか。
真剣に向き合えとはよく言ったもの。

まぁサスペンスでも人の性質でも役立つでしょう。
物語では裏表を使いこなせないと使いにくいことになりますが。
この世の地獄みたいなサスペンスを書く人はいないですね。
長い文章は小難しいように見えますが、長ったらしくやっても単純。短くしても濃い。
実はそうなっているかもしれません。

真剣に向き合えとはよく言ったもの。さて、この言葉は誰が言った物でもない。謎々になっています。
もう少し真剣になれ。分かる人はこれで何の映画に出てくる一言か気付くはずでしょうけど。
分かる人は置いといて、分からない人のためのヒント。「カビだらけ」
お約束ですが何も出ません。




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