History 2002/11/07−2005/04/12
Carl Zeiss”の歴史は、一人のドイツ人カールツァイスによって1846年から始まり
エルンスト・アッペなど多くの学識者によって発展を続けるが

第二次世界大戦によるドイツ東西分断でイエナとオーバーコッヘンに別れ
カールツァイスは50年もの間それぞれの道を進むことになる。
ZEISS IKON
(ツァイス・イコン)

1926年カール・ツァイス・イエナ社の後援の下に、4社(イカ・エルマネン・コンテッサネッテル・ゲルツ)がインフレの後、危機を乗り越えるという共通の動機で1社に統合され世界最大のカメラ会社ツァイス・イコン社が誕生したとのことです。

Dresden
(ドレスデン)

1926年からツァイス・イコンの本社が置かれ、スプリングカメラ・レンジファンダー等多くの傑作を生みだしたが、戦後はイエナと同じくVEB(人民公社)ペンタコンと名前えを変え主に一眼レフを生産。
現在は工場跡地に博物館があるだけです

Jena
(イエナ)

創業者のカール・ツァイスはここで光学の修行を積み顕微鏡製造により発展、レンズの製造の地。Tコーティングは1936年にはイエナで発明されていたという。
東西分断後多くの技術者が西ドイツ側に去ったあとはVEB(人民公社)カールツァイス・イエナとして18社の企業を取りまとめるなどソ連の統制下におかれることになる。
Stuttgart
(シュトゥットガルト)

ドイツ東西分断後、ツァイス・イコンの再興の拠点になり、1950年Contaxを復活させる。その後ペンタプリズム付きレンズシャッター式一眼レフ(コンタフレックス・コンタレックス等)を発売するが1972年に製造を中止。


Oberkochen
(オーバーコッヘン)

東西分断後、連合軍により連れ去られた技術人はこの地に”ツァイス・オプトン社”を設立。カメラ用レンズを始め顕微鏡・天体望遠鏡などを製造してきた。現在では再統合されたカール・ツァイスの本社になっている。


CONTAX
(コンタックス)

ツァイス・イコンが1972年にカメラ製造を中止してから2年後、日本のヤシカとの技術提携が始まり、日本製のCONTAX一眼レフが生まれました。その後、京セラ光学事業部となり現在に至ります。
京セラCONTAX事業は、2005年9月をもって国内における出荷を終え、同事業を終了

当HP内では、旧コンタックスは
Contax 京セラコンタックスCONTAX と大文字・小文字で分けています。
T*
(ティー・スター)

現在のツァイスレンズに刻印されているT*は本来カールツァイス基準のコーティングの名称だが
広義では最高を極めた最高級のレンズの名称として使われているそうです。
は透明を意味するTransparency進化するという意味と、
多くのツァイスレンズに「星のように輝いてほしい」という願いを込めたその象徴といわれているらしい。

因みにP*(ピー・スター)は位相補正Pコートのことで、
双眼鏡内部のプリズムの貼り合わせ面の位相のズレを防ぐコーティングの名称だそうです
参考図書 樺ゥ日ソノラマ・・・・・・・・・コンタックスのすべて
期竢o版・・・・・・・・・・・・・カールツァイスのすべて
潟潤[ルドフォトプレス・・・コンタックスとツァイスイコンの肖像


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