「くる・くる・くるぞー」

                                                              京橋消防団第七分団長 筆

私は16年10月23日昼に父の十七回忌の法事で新潟県長岡市にいました。その法事を終えて午後2時すぎに私たち兄弟7人がJRで小出まで戻りそれからバスで北魚沼郡にある小さな温泉場越後大湯温泉の旅館に3時半頃つきました。そこは、ひと昔前の温泉街という所でした。私たちが泊まる旅館は表側は鉄筋5階建でロビーと客室、裏側は浴室と宴会場で築100年の木造建だそうです。
 私はすぐに温泉に入って疲れを取り、それからテレビをみながら横になり「うとうと」と5時45分ごろ食事の支度が出来ましたとの声がかかり私は1番に宴会場に、そこは古風の木造作りで落ち着いた所でした。その宴会場には囲炉裏があり鮎が串に刺され焼かれていました。「食べたい」。私は全員が集まるまで囲炉裏の前に座り火の番、その時「ゴー」との音、私の頭の中でなんだこの音、すると「ドッスン」奥の方で蛍光灯のかさが2つ落ちた。仲居さんが飛んできてロビーに行って大声、私は立ち上がったが躊躇(ちゅうちょ)した。
 仲居さんがなにしてるの「早く、早くロビーへ、ロビーへ」私はそのままロビーに行った。後から考えると仲居さんは建物の倒壊でのけが人、私は倒壊した後の火が心配だったのだろう。
 そのロビーにお客さんが全員集められて人数確認して、そこで旅館の方がこの北魚沼郡は大きな岩盤の上だからここがこれだけ揺れたんだから他はもっと揺れているとの事。
 最初の地震から10分ぐらいたった時に「パッ」と電気が消えた。あっ停電だ懐中電灯、懐中電灯と言いながら旅館中の懐中電灯が集められた。また外から自動車のヘッドライトで旅館のロビーの中を照らしたので薄暗さは保たれた。また小型の発電機でテレビをつないだが「ザーザー」で画面も音声もだめ。その為に地震の情報もその他のニュースもまったく入ってこない。もちろん電話も携帯もだめ。公衆電話ならと公衆電話のある所を聞いて掛けに行ったがだめで帰ってきたら「メール」がつながったとの声。私もメールで無事を知らせる「よかった、よかった」おかげさまで水は止まる事はなかったのでトイレには困ることはなかったです。
 7時ごろまでに何回も大きな地震の前に「ゴー」と音が聞こえてくると「くる・くる・くるぞー」との声。すると「ドスン」あー来た、今のは震度4かな?いや5あるだろう。またまた「ゴー」「ドスン」今のはそれほど大きくなかったと言い合う声、だいぶ寒くなってきた為に私たちの家族から服を部屋にとりに行きたいというお客さんは丹前姿でした。旅館の方が行くときは2,3人づつ行ってくださいとの事で私たちは大きな声で私たちのグループが先に行っても良いでしょうか?」と聞いたらどうぞの返事で私たちは取りに行き帰ってくるとまた他のグループが取りに行って皆ロビーで着替えた。それからすこしたった時に旅館の方がご飯が炊けているからおにぎりでもむすんでおこうかねと皆さんの前で聞いたらお客さんの一人からもうすこし様子を見ましょうとの返事・旅館の方がそうかねとつぶやく・・・私は「まずい」と思う。5分ぐらいたってから長引きそうだからおにぎりをむすんでいても無駄にならないと思いますと言ったら、そうだねと言ってお釜を取りに行きロビーでむすび始めたら先ほどもう少し様子をみましょうと言った人が一番先におにぎりを取りにいったので皆で顔を見合わせた。おにぎりは皆さんに2,3個づつくばられた。やはり魚沼産100パーセントのおにぎりは美味しかった。
 その後旅館の前を時々通る自動車からの情報で長岡がすごい、また小千谷がだいぶやられているとの話、8時30分ぐらいに消防団の団員が消防車で巡回、異常ありませんか?その時の消防団からの情報、東京ー新潟間は全線不通、小千谷大変だテレビが写らないのは山の上の集合アンテナのケーブルが切れている、道路があちこちで寸断されているとの事、その旅館の方がこんな時不謹慎だけど空の星がきれいですよの話で何人かの人が外に出た。私も外に出て空を見たらすごく星が大きくてきれいに見えた。大部分の皆さんがロビーで窮屈な身になってたんでしょうか。外に出たので皆さん背伸びをしたりして体を左右に動かしていました。
 そろそろ皆さん眠くなってきたので座布団と毛布でごろ寝、毛布は一人一枚づつで2、3人で重ねて寒さをしのぐ、また足を動かすと元には他の人の足があって戻らない、だけどいつの間にか(うとうと)と。
 また「ゴー」「ドスン」「ゴー」「ドスン」中でも11時3,40分ごろの地震は皆飛び起きた。お互い顔を見合わせて大きかったの連発、またうとうと、12月24日朝5時ころ目が覚めた。もう寝られないと思い起きて外に出たら旅館の方がプロパンに火が付かなくて困っていたので私はプロパンガスのメーターに付いている復活ボタンを押したら少しガス漏れが有るとの事で復活しない。そのうち斜め前の旅館の方がうちはプロパンが使えるし今2つのお釜で炊いているから取りあえず1つのお釜のご飯が炊けたら使いなさいよとの事。私たちもなんとかご飯はたべられそうだ?「よかった・よかった」それから私はその旅館の周り・越後大湯温泉街を歩いて視察(朝の散歩)他の旅館も外からは被害が見られ。消防団の資材庫が有ったのでのぞいたが誰もいない。そろそろ朝ご飯ができるだろうと思い旅館に向かいながら考えた。普通なら今ごろは朝起きてゆっくり温泉につかり朝の散歩を楽しんでいるんだろう。
 朝ご飯は他のお客さんと一緒に普通に食べられました。「美味しかった」。
 食事のあと私たちは「さあ」どのようにしたら帰れるのかな、まず情報を集めようという事で外に出て、時々通る車の運転手から聞きまわった。すると何台目かの運転手から吉報、越後湯沢ー東京間の新幹線が開通したとの事。「やった」さあ帰れるぞ。
 旅館の方との交渉、浦佐駅までマイクロで送ってくれる事となり魚沼産のおにぎりをもたせていただきマイクロに我々7人は乗りました。だけど結局1番最後まで旅館にいた事になりました。そのマイクロは国道17号まで出るまでに3カ所通行止めにあい迂回。その内の1カ所はマンホールが地面から浮き上がっているのが車の窓から見えた。17号まで出てからはすんなりと浦佐の駅に着きました。旅館のマイクロの運転者さんに最敬礼をして大変有り難うございましたの言葉。浦佐の駅前に6台のバスが止まっていたので運転手さんに越後湯沢には行きませんか?と聞いたら「こんバスはJRにチャーターされているので駅員に聞いてください」との返事。そこで駅員の所に行き聞くとバスは越後湯沢には行きませんの冷たい返事。国道17号と反対の出口を出た所にタクシー会社があるからそこへ行って聞いたらいかがですかとの事。私たちは言われた出口を出ると、大きな駐車場を隔てた所にタクシー会社がありました。
 そこへ行くと事務所の中ではテレビが棚から落ち戸棚も倒れていましたがそこで越後湯沢まで行ってもらえますかね?と聞く。「いいですよ。」との返事。そこでもう1つ7人だけど一台で乗れますかね?では12人乗りのマイクロを出しましょう。お願いしますの一言。そのマイクロに私たちが乗りましたら運転手さんが、この車はきのうの地震から駐車場の真中で運転手仲間でエンジンを掛けヒーターを焚いて避難をしていたのでガソリンが少ないからスタンドによって行きますと言った。私たちはお願いしますと返した。スタンドに着くとスタンドの従業員が今も大きいのが来ましたよとの事。私たちは車に乗っていたのでわからなかった。
 それから4,50分越後湯沢の駅までドライブと言うと聞こえはいいけれど車の窓から見えるのはヘルメットをかぶって窓ガラスにテープを貼っている人、また家から出て道路端に腰かけている人の姿でした。越後湯沢駅に着くと新幹線のキップを買う人の行列。私たちは長岡から東京までの新幹線のキップがあるのでそのままホームへ入り約1時間待って何とか座れました。「一安心」それから新幹線のデッキへ出て京橋消防署に電話をして情報は何かありますか?と聞く。詳しい情報は入ってこないけれど京橋消防署から2名の署員が現地へ向かったとの事。さすが素早い行動と私自身も嬉しく思いました。
 私はこの新潟県中越地震を実際に体験して、また北魚沼郡の消防団の巡回活動を目の当たりにしてこれと同じような大きさの地震が東京に来たら東京はどのように?また私は消防団の分団長として責務をまっとうする事が出来るのかと思うと胸が痛む。
 この地震で被害を受けた人が避難し立ち直り、落ち着いてから私は越後大湯温泉のこの旅館に泊まり、囲炉裏で焼いた鮎を食べながらビールを飲む事を楽しみにそしてまた旅館のそばにあった消防団の資材庫をのぞいてみたい。
 「その日が早く来るように願っています」





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