HONDURAS共和国

スペイン語正式名称 Republica de Honduras 日本語正式呼称 ホンデュラス共和国 
面積 
11万2492平方キロ…日本の約1/3弱、北海道+九州の合計より少し狭い
位置
北緯13度〜16度32分 西経83度10分〜89度20分 日本との時差15時間(遅い)
地勢 
山岳65% 平均標高1000〜1500M 火山なし地震なし
気候
カリブ海・太平洋の海岸平野部は高温多湿 テグシガルパ近郊は凌ぎやすい 乾季(11〜05) 雨季(06〜10)
人口
約630万人(1999年推計) 都市部280万 農漁村部330万 人口増加率年間3%強
人種 
メスティーソ(白人とインディオとの混血が圧倒的)+ムラート(黒人とインディオとの混血)が90%
インディヘナ(インディオは差別用語につき昨今はこう呼ぶ)6,7% 他アラブ・トルコ・イスラエル&中国系
宗教
大部分(85%)カトリック プロテスタント10% その他5
教育
義務教育6年 貧富&都市と農村部との格差は大きい 農村では中退者が多く、小学校を6年で卒業するのは約半数


首都 テグシガルパ  人口100万 人口急増中

都市 サン・ペドロ・スーラ ラ・セイバ他

通貨 レンピラ 1$=17,3レンピラ

元首 Carlos Roberto Flores大統領'98年より任期4年

産業 バナナ・コーヒー・木材・養殖海老+軽工業

生活  一人あたりGDP 約800$ 実質失業率30%以上

交通 道路延長1,4200キロ 未舗装9830キロ 

鉄道 3線千キロ北部海岸のみ 首都テグシにはなし

航空 日本からは米国経由のみ 正味フライト約17時間

通信 電話は1983年からの日本の有償協力で大幅改善

郵便 都市からは日本向け概ね10日位 中米では良い方


歴史 古代マヤ時代(426AD〜820年頃)には北西部にてコパン王朝が16代にわたって栄華を誇る。写真メは、コパン遺跡の球技場跡

1502年コロンブス四回目の航海時来航するも上陸せず

1520年代後半、メキシコを征服したE、コルテスの部下クリストバル・オリッド指揮のスペイン軍が侵攻征服

1537年過酷なスペイン支配に反発、レンカ族の首長レンピラが3万の原住民を率い反抗6ヶ月に及ぶも奸計に倒る

1821年9/15、スペインより独立他の4カ国とともに 中米連邦を結成、F・モラサンは二代目大統領に就任

1838年中米連邦瓦解、HONDURAS単独として独立。

19世紀末より米国の影響著しく、バナナ・鉱山資本の隷属下に国民は貧困にさらされる。

1970〜80年代ニカラグア、エル・サルバドル、グアテマラ等で内戦相次ぎ、利権擁護に介入する米国の後方基地化を余儀なくされる。

  ※ 1998年10月末、今世紀最大級のハリケーン”ミッチ”HONDURASに犠牲者1万人に迫る壊滅的災害をもたらす。    


日本との関係

1989年 昭和天皇大喪の礼にアスコナ大統領夫妻
1990年 平成天皇即位の礼にカジャハス大統領夫妻
1932年 国交樹立 1953国交再開 1967年相互に大使交換
1960年代 沖電気電話網整備事業に進出
1975年頃 青年海外協力隊活動開始
1980年代よりJICAの中米重点地域として活動拠点となる
1990年代以降青年海外協力隊の常時80〜100名を含む、JICA職員130人
大使館関係30数名他進出企業関係併せて、250〜300名の邦人が在留
1998年11月ハリケーン"ミッチ"の災害支援要請に応え、自衛隊が初めての海外支援としてHONDURASに赴き大歓迎
日本フォスター・プランは80年代後半より進出、常に2000人程度の日本のペアレントが彼の国の児童に貢献している
1995〜6年ラテンアメリカ事典及び1998年版ブリタニカ国際年鑑等より.