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追悼コンサートを終えて                      
中川五郎                       

 午後3時にスタートした恭蔵さんとKUROちゃんの追悼コンサートのぼくの出番は四番目。自分の出番前はさすがに緊張して落ち着かず、控え室でおさらいをしたり、気持ちを集中させたりしていたので、残念ながら大塚まさじやリング・リンクス、それに高田渡のステージはちゃんと見ることができなかった。しかし自分の出番が終わり、控え室に戻って汗を拭き、ショート・パンツにはきかえて、ビールをぐびぐびっと飲み、大蔵博さん100個以上も差し入れてくれた神戸屋のサンドイッチをひとつ頂いて腹ごしらえをして一息つくと、紙コップに赤ワインをなみなみと注いで客席の片隅へと向かい、ぼくも恭蔵さんとKUROちゃんの追悼コンサートの聴衆の一人になった。

 ステージはちょうどセット・チェンジが終わって第二セクションに入っていて、The Herzや山川ノリオと一緒の友部正人、有山じゅんじバンドなど、熱くて勢いのある演奏が次々と続いていく。恭蔵さんとKUROちゃんの追悼コンサートということだが、出演者の多くは二人が作った歌を敢えて取り上げて歌うこともなく、いつもの自分の歌をいつものように歌っている。しかしみんないつもの自分の歌をいつものように歌っていても、彼らの心の中は恭蔵さんとKUROちゃんへの思いでいっぱいだということが、聴いているぼくには切々と伝わってくる。いつもの自分の歌をいつものように歌うことで、みんなはその場にいないKUROちゃんと恭蔵さんとを偲び、彼らの不在を改めて悲しみ、くやしがっているのだ。

 素晴らしい歌や演奏の連続でコンサートはどんどん盛り上がっていき、客席のみんなもとても楽しんでいる。ところがコンサートが素敵な雰囲気になればなるほど、ぼくは何とも複雑な思いにとらわれてしまう。今日のコンサートがこんなに素敵なものになったのはとてもよかったけれど、KUROちゃんも恭蔵さんもまだぼくらと一緒にこっちにいて、こんなコンサートなどしなくて済んだのなら、そっちのほうがどんなにかよかったかということ。今さらそんなことを言ってみてもどうしようもないことだが、こんなに素敵なコンサートができたのが、KUROちゃんや恭蔵さんがいなくなったことによってというのが、ぼくとしてはくやしくてつらくて悲しくて残念でたまらない。ゴンチチの心に沁みるギターの音をじっと目を閉じて聴きながら、そんなことを考えていたら、無性に泣けてきてしまった。桑名晴子さんのソウルフルな歌、亀淵友香さんたちによる「Glory Hallelujah」の美しいゴスペル・ヴァージョンも、ぼくを激しく感動させつつも、KUROちゃんや恭蔵さんはもうここにはいないという喪失の悲しみをますます募らせていく。

 ぼくの個人的なコンサートのハイライトは、KUROちゃんと恭蔵さんとの次男、直太が怒ったように朗読した長田弘さんの詩「世界は一冊の本」と、恭蔵一家の近所の親友の子供たちのバンド、ジャンピングバンビのパンクにはじけた「君の窓から」の演奏。自分と同世代の仲間の「追悼」コンサートなどというものを、こんなにも早くやらなければならなかったとは、残念でつらくてたまらないことだが、ぼくらの子供たちの存在の輝きが、悲しみの中にも明るい希望を確実に伝えてくれていたのが、ぼくにとっては大きな救いとなったし、それが嬉しくてたまらなかった。

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