中村キース・ヘリング美術館は、甲府市出身で医薬品開発受託会社「シミック」の会長兼社長である中村和男館長が2007年4月に小淵沢町に開館し、個人コレクションの中でキース・ヘリングのみの作品を紹介している美術館である。キース・へリング財団(米ニューヨーク)が世界で唯一、私設美術館として認めている。
美術館は北川原温氏の設計でユニークな建築物である。森の中にあり、駐車場から美術館入り口までの小径と一体化している。この建物に対して2008年第21回村野藤吾賞が与えられている。
広大な緑の敷地の中には美術館をはじめ、関連施設リラクゼ−ションプ−ル「KUROTEL」、レストラン「キ−スプリング」、宿泊施設「八ヶ岳ロッジ・アトリエ」がある。
2008年4月25日〜2009年2月15日まで、キース・ヘリング生誕50周年を記念した特別展覧会を開催している。目玉展示物として、1987年にパルテノン多摩(東京)で地元の子どもたち500人と一緒に制作したワークショップの貴重な作品。ヘリングが行ったワークショップの記録としては日本で唯一のもので、「平和」シリーズと「マイタウン」の計5点が並ぶ。
美術館内は撮影禁止になっておりましたので、展示されている作品をここに載せることが出来ませんでした。美術館へ出掛けて鑑賞して下さい。
駐車場案内板 駐車場からの案内ポール
美術館への小径 案内ポール
美術館入り口案内板 壁面に美術館名
美術館入り口 屋上ステージ
屋上ステージより美術館の屋根 関連施設 レストラン「キースプリング」
キース・ヘリングについて (フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より引用)
キース・ヘリング(Keith Haring, 1958年5月4日−1990年)はアメリカの画家。ストリ−トア−トの先駆者とも呼べる画家で、1980年代アメリカの代表的芸術家として知られる。シンプルな線と色とで構成された彼の絵は、日本でも人気があり、ヘリングの作品をプリントしたTシャツがユニクロなどから販売されるなど、広く知られている。
リペンシルバニア州リーディングに生まれる。1980年にニュ−ヨ−クの地下鉄構内で、使用されていない広告掲示板に黒い紙を張り、その上にチョークで絵を描く、というサブウェイ・ドローイングと呼ばれる活動を始めた。そのシンプルな線でリズミカルに書かれた絵はニューヨークの通勤客の間で評判となり、ヘリングの名が知られるようになった。
ニューヨークの画商トニー・シャフラジの支持もあって、数回の個展を開催して知名度を上げる。その後、ニューヨークのマンハッタン、シドニ−、メルボルン、リオデジャネイロ、アムステルダム、パリなどで壁画を製作するなど、公共空間での活動を多く行なった。ベルリンでは、ベルリンの壁の有名なチャーリー検問所の壁に絵を書いている。
ジャン・ミッシェル・バスキアやアンディ−・ウォ−ホルとも親交が深かった。また、社会貢献活動を多く行ない、AIDS撲滅活動や恵まれない子供たちへの活動で知られている。特に、ヘリング自身がHIV感染者だったこともあり、作品を通じてAIDS感染を防ぐメッセージを出すなどし、AIDS撲滅活動に積極的に関わった。Act
Ageinst AIDS(AAA)の最初のポスターを描いたのも彼である。
1990年、31歳の若さでAIDSにより死亡した。