くんぺい童話館

 東君平氏は1940年病院長東信一郎、マサ夫人との6人兄弟の4番目として神戸に生まれる。戦災により家は焼かれ、13歳のとき父信一郎が死去、家は破産し家族離散の不幸に見舞われる。
 君平氏は西伊豆の祖母のもとへ預けられ鰹節工場で働きながら中学校に通う。中学校を卒業後上京し仕事につくがうまくいかず、熱海の写真屋に住み込みで働く。隣の少女尚美ちゃんと友達になり「絵描きになったら・・・」と言われ切り絵を始める。
 絵描きになる決意で再び上京し、新聞配達をしながらお茶の水美術学院で絵の勉強をする。中退し十種類以上の職を転職しながら創作活動を続ける。
 35歳のとき、甥の山口進氏と八ヶ岳(野辺山)にヒメギフチョウを観に行きこの旅行がきっかけで八ヶ岳に興味をもつ。46歳のときハワイ、スリランカ、モリジブを家族旅行する。       1986年12月3日肺炎により京橋病院で死去。享年46歳。             

 1989年(平成元年)山梨県小淵沢に「くんぺい童話館」が完成する。   

 雑誌『EQMM』『こどものせかい』に作品が載り、22歳のとき『漫画読本』(文藝春秋)でデビューする。切り絵を使った白と黒の世界は多くの人を魅了した。
 1963年渡米し、帰国後、創作活動を続ける。その後国内はもとより海外にも旅し、26歳のときはフランス、北欧、オランダを3ヶ月の長期にわたって旅行した。後にアフリカを2回にわたって旅行し、干ばつによる動物の激変に心を痛めた。
 「くんぺいごしちごアフリカえほん」を自費出版し、売上金をアフリカ難民のために寄金(毎日新聞社を通して)する。
 100冊をこえる著作があるが、なかでも、毎日新聞に15年間連載した「おはようどうわ」は、1986年死去するまで書きつづったライフワークであった。


  「くんぺい童話館」発行のパンフレットより


           なんでもない世界のすばらしさ

 君平さんの描く世界は、どこにでもふつうに見られる世界です。いつもわたしたちが見ているものや感じていることなのに、君平さんの絵やおはなしになると、とてもやさしくて素敵なものに変わってしまいます。
 おかあさんのあたたかさ、おとうさんの強さ、にゃんこちゃんの愛らしさ、りすさんのひょうきんさ・・・・・・。みんなみんな私たちがたいせつにしていたり、心のどこかで求めていることなのかもしれません。


                いつも私たちがさがしているもの。
    それは、やさしい心と自然な気持ち、そして静かな愛ではないでしょうか。
       それは私たちの願いでもあり、そして原点のような気がします。
               悲しいとき、苦しいとき、幸せなとき。
         いつもこの三つの合言葉を思い出してみたいと思うのです。
              八ヶ岳の大自然のふところにつつまれて、
                    ふっと幸せを感じるとき、
          そこに「くんぺい童話館」のめざしているものがあります。
                    どうかやすらぎの時間を、
                   心ゆくまでお過ごしください。



   「くんぺい童話館」よりのお知らせ

 こんど「童話館」に素敵な「君平資料館」がオープンしました。何もかも手づくりの童話館も、君平さんの心にふれた人たちのあたたかい気持ちが集まって、またひとつ新しい世界が広がりました。

 「童話館」では"シルクスクリーン"をはじめいろいろなグッズを販売しています。"シルクスクリーン"は通信販売をしています。

             (JR中央線「小淵沢」駅下車、徒歩30分 Tel.0551-36-4514)



 くんぺい童話館HP  http://www.docca.net/kunpei/