1991年7月掲載(タウン誌「かわら版」)

 

速すぎて怖い

この春、予備校に通うために田舎から上京してきた甥が、開口一番、「東京の人はどうしてあんなに急ぐのだろう・・・」と言った。

そう言われてみて、思い当たった。ラッシュの電車から吐き出された乗客は、誰もが急ぎ足で階段を駆け上る。前をのろのろと歩いている人に向かって『なに、もたもたしているのよ』と、私は心の中で叫んでいる。

急いだところで、2,3分とは違わないのに、それを待ってやるゆとりも無くしているのだろうか。

「仙人になりたい・・・」と言うのが口癖の友人がいる。

彼に言わせると、今の世の中、誰もが目的に向かって突っ走っているように思える。そんなに急いで、いったい何が楽しいのか。何の目的もなく、ただ何となくボーッと生きていったっていいのではないかと。そういう彼自身、いろんなことに手を出しているのだから、あくまで彼の願望として私は拝聴しているのだが・・・。

ついこの間、帰郷してみてわかったのだが、東北新幹線からローカル線に乗り換えたとたん、時間の流れがはっきりと違って感じられた。

時は実にゆっくりと流れ、車窓から見える磐梯山は少しずつその雄姿を変えて行く。水田の青々とした広がりも懐かしく、そこで働く人々、農家の軒先に風になびいている洗濯物を見れば家族構成や暮らしぶりまで、手にとるようにわかる。

スピードを上げるということは、その便利さと引き換えに、何かとても大事なものを見落としてしまっているのではないだろうか。

東京の暮らしも、はや30年となり、東京のリズムが当たり前になってしまった私。

確かに便利だし、このスピード感は時には快適でもある。身体も頭もこのリズムにどっぷりとつかってしまった私には、もう抜け出すすべもない。

それでも、時には時間を止めて、捨て去ってきたものを思い出し、ゆっくりとした時間の流れの中に心を漂わせて見ようと思った。

私の甥も、あと一年もすればすっかり東京人になってしまうのだろうか。頼もしくもあるが、ちょっと寂しい気がしないでもない。