「待ち遠しい春」

 「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものである。
 この頃になると、どこかしら空気が柔らかくなったように感じられる。
 家の近くの馬事公苑では、恒例の世田谷園芸市が開かれた。
 我が家のベランダも冬枯れで、花らしい花はなくなったところなので、
友人と連れ立って出かけてみた。
 公苑のけあき並木の両側に出店が並んでいる。まるでそこだけに春が舞い降りたかのようである。 色とりどりの草花や野草の類、そして庭木が所狭しと並んでいる。見ているだけで幸せな気分になってしまう。
 良く見ればお客のほとんどは家族連れである。老夫婦が沈丁花の品定めをしている。なかなかいいものだ。
 また、子供連れの若夫婦はパンジーの色の好みで意見がわかれているようだ。 ベンチで肩を寄せ合い休んでいる恋人同士らしいカップル。なんとのどかな光景だろう。
 これは売られているものが植物のせいだろう。草花は人の心をなごやかにする力を持っている。
 世界中が草花や樹木に満たされたら、醜い争いもなくなるだろうか。
そんな想像もここでは途方もない夢だとは思えないから不思議である。
 人々はもうすっかり疲れきり、心のどこかで安らぎを求め始めているのではないか。
 「癒し」という言葉がここ数年のキーワードとなっているのもうなずける。
 ミュージシャンの息子は、最近カルチャースクールでゴスペルを教え始めた。
 ゴスペルというのは、黒人霊歌、つまり黒人たちが歌った賛美歌である。
そこには強烈なリズムがあり、体全体で魂を表現する独特の魅力があるらしい。
 生徒さんの大多数は女性、若いOLだそうだ。
 高い月謝を払い、ゴスペルを習おうとする動機はどこにあるのか息子に聞いてみた。
 「ストレスの発散。それに、みんな救われたいと思っているんじゃないのかな」 そうかもしれない。
 会社の中では、まだまだ男女差別がまかり通っている。
 そんな中で、生きぬくために頑張っている女たち。どこかでストレスを発散しなければ身が持たない。カラオケも飽きたし、クラブで踊っていてもどこか虚しい。そんな女たちが集まってきているのではないかと思う。
 おなかの底から声を出すのはもっとも効果的なストレス発散方法だ。
 声を合わせて歌うコーラスにはワンランク上の充足感があるにちがいない。 リズムに乗って体を動かし、うまくハモった時の快感、それがたまらないのかもしれない。 ともあれ、春の花を大量に買い込み我が家に戻った。
 黄色や紫、ローズ色のパンジーを植えかえるとベランダが一段と明るくなった。
 アザレヤとサイネリヤが、華やかを添えてくれた。黄色のエニシダは大きくなるのが楽しみである。可憐な雲間草はお気に入りの花だ。
 草花と言葉を交わし、心を通わせるこの作業が、私のストレス解消法かもかもしれない。 間もなく桜の花便りが届くだろう。心浮き立つ春が待ち遠しいこの頃である。