「介護の極意」
 先ごろ、大学のクラス会が開かれた。
 子育ても一段落し、時間的にも経済的にも多少の余裕があるだろうということで、温泉に一泊す ることになった。
 私たちのクラスは、他の学部に比べて人数が少なかったせいか、やたら旅行に行った記憶がある。ガイダンス旅行に始まり、関西研修旅行、ヨーロッパ旅行、卒業旅行など、先生も含めて寝食を 共にする機会が多かった。それゆえ親密度は半端じゃない。
 この日も、すっかり修学旅行の気分である。久しぶりにお目にかかったクラス担任の先生のおぐしは 真っ白に変わっていらしたが、とても七十歳とは思えないほど若々しい。
 毎日、学生相手に過ごされているせいだろうか。
 当時、新進気鋭の助教授だった先生も、来年の三月で退任なさるという。  月日が経つのは早いものである。
 「君らはできの悪い学生だったが、面白かった。何をやらかすかわからない可能性が感じられた ね。ところが今の学生は、勉強はきっちりやるが、個性がない。一人一人の印象が薄いんだよね」  誉められているのか、けなされているのかわからない。
 三十四年経っても、一人一人を覚えていて下さっているところをみると、私たちは相当手のかか る学生だったにちがいない。
 そういえばよく怒鳴られていたような気がする。用もないのに研究室に入り浸って、 先生を相手に生意気な議論を吹っかけたり、一緒に芝居や映画を観に行ったり、先生もよく相手を して下さったものだと、今になれば感謝あるのみである。
 何年たっても、皆と会えばすぐに学生の頃の気分にもどってしまう。同級生とは不思議なもので ある。夢多き青春時代を共に過ごした仲間同士でなければ得られない特権かもしれない。
 クラス会に出席できなかった人たちの大半は、親の介護のためであった。  そして、出席したクラスメートの三分の一も、ただいま介護中だという。
 これから少し楽ができるかなと思ったら、親の介護という重責を担う年回りになってしまったの だ。
 現実は厳しいものだとあらためて実感させられた。
 と言う訳で、二次会はもっぱら介護情報の交換会と化してしまった。
 「介護は長丁場なんだから、何もかも一人でやろうと思わないこと。自分がつぶれてしまったら 元も子もないわよ」
 もう二十年も痴呆症の親を介護している友人の言葉は、重みがあった。  「自分の時間や楽しみを持つことを後ろめいたいと思っちゃ駄目。人間気持ちに余裕がないと、 優しくなんてできないから」
 彼女がそこに到達するまでには、相当の葛藤があったことは容易に想像できた。  学生時代から趣味で彫刻をやっていた彼女は、今でも年一回の展覧会に出品するのを励みにしている という。
 私たちは、夜のふけるのも忘れて、先生の部屋で話し込んだ。
 そして最後に、先生の最終講義を皆で聴講しようと話がまとまった。 今からその日が楽しみである。