「厚底サンダルの功罪」
  事件は駅の階段で起った。  私の後ろから駆け下りてきた女の子が足を踏み外して、階段を転げ落ちてしまったのだ。  原因は、高さ十五センチはあろうかという厚底サンダルのせいである。これまでにも、転倒場面 を五回は目撃しているので、あれを履いている女の子を見るたびにはらはらしていた。  履いている当人は格好がいいと思っているのだろうが、傍目にはとても美しいとは思えない。
 私には花魁の道中下駄としか映らないのだが、皆さんはどう思われるだろうか。  道中下駄は、女を商品として扱っていた時代の遺物である。不自由な女の象徴だ。
 若い女性たちが、その存在を知っていて履いているとは思わないが、なぜあれを履きたがるのか 私にはさっぱり分らない。
 あれを履いて颯爽と歩いている女の子にお目にかかったことがない。みんな歩きにくいそうに、 へっぴり腰で歩いている。体に相当負担がかかっているはずである。
 以前、車の中で死んでいる女の子が見つかり、厚底サンダルを履いて転んだときに頭を強く打った のが原因だったという記事を読んだことがある。 そこまで行かなくともいずれ体に悪い影響がでるのではないかと危惧している。
 第一、何かあった時にあれではすばやい行動が取れないではないか。痴漢から逃げるときにどうする のだろう。  友人の小説家が、電車の中で隣り合った厚底サンダルを履いた女の子に、質問をしてみたそうだ。
 「貴方たち、それ歩きにくくないの?」
 「歩きにくいです」
 「転んだことはないの?」
 「ありますよ。何回も」
 「じゃ、どうして履くのかしら?」
 その答えを聞いて私は目からうろこが落ちた。  「だって、これを履くと目線が変わるんだもん。一度履くと止められないのよね」  つまり、その女の子が言うには、いつも男たちから見下ろされている立場の自分が、サンダルの お陰で、対等かあるいは見下ろすことが出来るというのだ。その快感が病みつきとなり、普通の靴 を履く気がしなくなるらしい。
 なるほど、その気持ちはわからないでもない。私だってラッシュの電車の中で大きな男たちの間 に挟まって息も出来ないほど苦しい思いをしている毎日なのだ。
 ごつごつした背中に顔を押されるは、ひじで小突かれるは、足を踏まれるは大変である。 それでも女のたしなみとしてスーツに口紅をつけては悪いと思うから、無理に首をひねって、 首の筋をおかしくしたこともある。
 ああ背が高かったらなと思うのは、そんなときである。
 一度でいいから、頭ひとつ抜け出して、周りを見下ろしながら悠々と息をしてみたいものだ。
   目線が変わる快感も分るが後で必ずつけが回ってくることを忘れてはいけない。  ハイヒールを履き続け、外反母趾というつけを払っている私達がいうのだから間違いない。 美の誘惑に、女は勝てないものらしい。
 だが、あれはどう贔屓目に見ても美しいとは思えないのだが。