「巨大な墓石」
「大変よ!ニュース見てる?」友人からの電話で慌ててテレビをつけた。ワールドトレードセンターの南棟に、今まさに飛行機が突っ込もうとしている映像が、目に飛び込んできた。
 初めは何が起きたのか理解できなかった。が、次の瞬間頭の中が真っ白になり、身体がぶるぶると震え出した。
 実はこの日、息子は仕事でニューヨークにいたのだ。
 ホテルの電話を聞いておかなかったのが悔やまれた。
 「嫁は、嫁はどうなったのだろう?」
 嫁の乗った飛行機は、今頃アメリカの上空を飛んでいるはずである。嫁はNYで息子と合流し、遅い夏休みを過ごすはずであった。
 どうしよう。一瞬最悪のシナリオが頭の中をよぎった。
 この時、私の脳裏には八年前のマンハッタンの風景がまざまざとよみがえっていた。
 あの日も快晴であった。
 私は対岸のスタッテン島へ渡るフェリーの甲板にいた。
 マンハッタンの高層ビル群がまるで巨大な墓石のように見えたのだ。友人に出した絵葉書にも確かそう書いた。
 その時に今日の惨事を予想できるはずもないのに。その符合に自分でも驚いていた。
 もしかしたら息子はパソコンを持っていったかもしれない。祈るような気持でメールを送った。
 しかし、一時間たっても二時間経っても返信も無ければ、電話もかかってこなかった。
 その間、テレビでは繰り返し突入の映像が流され、同時多発テロの全容が次第に明らかになっていった。
 不安は募るばかり、日頃不信心な私も神に祈った。神は都合の良い奴めと思われたかもしれないが、そんなことはかまっちゃいられない、この時私には祈るしか方法がなかったのだから。一生で一番長い夜になってしまった。十二日の午前一時二分、やっと息子からメールが届いた。
 「無事です。妻の飛行機の着陸先はまだわかりません。状況がわかり次第メールをします」
 助かった!安堵のあまり私はその場にへたりこんでしまった。
 結局、嫁の飛行機はアンカレッジに緊急着陸、その後ロスアンゼルス、アトランタと、転々と移動しニューヨーク入り出来たのは十六日。
 その日、息子は仕事の都合で嫁には会えずに帰国。まるで「君の名は」である。
 無事帰国した息子にそう言うと「君の名はって、なに?」、と言われてしまった。無理もない、その頃息子は影も形もなかったのだから。嫁もその三日後に帰国できた。どんな理由があるにせよ、もうこれ以上人が死ぬのは見たくない。
 ブッシュ大統領宛の報復攻撃反対の嘆願書にサインしたのだが、とうとう空爆は始まってしまった。それにしても私はあの時、何の神に祈ったのだろう。いい加減は承知しているが、神の名の基にテロを起こすよりましだろう。