「読書のすすめ」
 このところ、幼児虐待事件が新聞に載らない日はないといってもよい。  いったい、世の中どうなってしまったのだろう。
 この世に生を受け、幼い命をあろうことか自分の親に絶たれてしまった幼子のことを思うと、 痛ましさで胸がいっぱいになる。
 事件を起こすのはほんの一握りの人達だと思うが、こう立て続けに起きると何だか不気味な気が する。
 虐待は四つに分類されると聞いている。
  1. 身体的虐待
  2. 保護の怠慢・養育拒否(ネグレクト=愛情はく奪症候群)
  3. 性的虐待
  4. 心理的虐待
  このうち発覚する虐待のほとんどが、身体的虐待事件である。
 その痕跡が明らかにわかるので発覚しやすいのがその理由だが、他の三つについても実態が掴め ないだけで、もしかしたら水面下でかなり増えているのではないだろうか。
   むしろ、こっちの方が子供が受けるダメージは大きいのかもしれない。    虐待行為は継承されることがあると聞いている。誰よりも嫌だと思う事を、気がついたら自分の 子に対して行っていたなんて、なんと悲しくてやりきれない話だろう。  もちろん虐待の継承によるものばかりではないと思う。    育児ノイローゼや、孤独感、周囲からの孤立、夫の育児協力のなさなど、さまざまな原因が上げ られるだろう。
 少年犯罪事件の時も思ったが、その原因の一つは、若い人たちの想像力の欠如にあるような気が してならない。
 相手の立場に立ってものを考える習慣がついていない。
 自分中心にしか思考が働かない。つまりは想像力がないということである。  わたしの独断と偏見だが、若者の読書離れと密接な関係があるのではないかと思っている。
 今の若者は生まれたときからテレビのある世代で、映像文化で育ったといっても過言ではない。
 映像は確かに解りやすい。想像力を働かせなくともすんなり解ってしまう。  読書は、そうはいかない。  たとえば川端康成の「雪国」の有名な書き出しの一節、 “国境の長いトンネルを抜けると雪国であった”  この短い文章から読者は色々なことを想像する。  もくもくと煙を吐いて疾走する蒸気機関車の姿、この列車にはどんな乗客が乗り合わせていたの であろうか。車内は混んでいたのか空いていたのか。トンネルを抜け出したときの驚き、一面の銀 世界に主人公はどんなにか感動しただろうとか。読書には行間を自分なりにイメージする作業が不 可欠なのだ。それが読書の醍醐味でもあるのだが。
 つまり、本を読むことで想像力が養われ、他者 の立場になって物を考える習慣をつけることができる。
 若者よ、もっともっと本を読んで欲しい。