「桜に寄せて」
 今年の桜は逃げ足が速い。
 桜前線はあっという間に北上し、もう青森まで到達してしまった。
 桜前線という言葉が象徴するように日本人にとって桜は、追いかけても観たい花なのだ。  私などもその一人で、暇とお金があったら、  日本列島を南から北へ桜の追っかけをやってみたいと思っている。
 私にとって桜との最初の出逢いは、たぶん猪苗代の亀ヶ城址の桜だろう。通称お城山と 呼んでいた亀ヶ城址は、小学校のすぐそばにあった。  私のお気に入りのビューポイントは本丸の北側。大きな二本の桜木の間から、秀峰磐梯山 が望まれ、下の方には小学校の校舎が見える。子供の頃から何度この場所に立っただろうか。嬉しいときも悲しいときもこの場所に来て、桜木にもたれ磐梯山を流れ行く雲を飽きずに眺めていたものだ。言ってみれば私の原風景である。
 満開の桜と言えば運動会である。当時、運動会は五月と決まっていた。  
 親たちは城山の土手に陣を取るのを競ったものだ。桜吹雪の中、我が子の走る姿に声援を 送り、お昼には家族でお弁当を食べるのだ。あのときのお寿司の美味しさはいまでも忘れら れない。
 次は、鶴ヶ城の桜である。
 会津女子高等学校に通った三年間、桜の季節には必ず観に行った。
 春知り染めし乙女にとって、豪華絢爛たる鶴ヶ城の桜は明るい未来を予測させた。
 三番目は大学があった世田谷の成城町の桜並木である。成城学園と共に発展したこの町は 碁盤の目のように整然としている。
 町が出来始めた頃に植樹した桜も今は立派な古木となり春には見事な桜のトンネルをつくる。散り行く花びらをこの身に浴びながら歩いた我が青春の町である。
 四番目は現在の住まいの近くにある砧公園の桜である。
 振り返ってみると、私の人生の節目には必ず桜があったことに気がつく。感謝せずにはいら れない。  この春、長い間私のあこがれであった天然記念物「三春の滝桜」を観ることが出来た。  この桜を観ずし死んでなるものかとはちと大げさではあるが、そのくらいこの桜との出逢いを 望んでいた。  細いなだらかな畑の道を登って行くと、忽然と姿を現した滝桜。思わず息を飲んだ。  「おおう!」  樹齢千年の紅しだれの存在感は観るものを圧倒せずにはおかない。
 残念ながら花の盛りは過ぎていたが、その枝振りは風格があり、人の技では及ばないほど 見事な造型美である。
 この古木は、千年もの間、来る年も来る年も花を咲かせて来たのか。
 その気の遠くなるような生命の営みに頭が下がる。千年の歴史を目撃してきた桜を、私たち が失うようなことがあってはならないと強く思った。
 さて、来年はどんな桜に出会えるだろうか。