「東海道は御年400歳」
 物は試し、インターネットで「東海道」を検索してみて下さい。
 驚くなかれ、八千余りのページが見つかりますよ。
 それもそのはず、今年は、徳川家康が東海道の宿場・天馬制度を制定してから四百年目 に当る記念すべき年なのです。
 昔に返って旧東海道を徒歩でたどってみようという「東海道ウォーキング」もけっこう人気を 呼んでいると聞きます。
 実は今から七年前、私も東海道を部分的に歩いた経験があります。  私の曽祖父が明治十八年にお伊勢参りに行った時の旅日記を元に、本誌に連載した 「今よみがえる明治の旅日記」の取材のためでした。
 とにかく昔の旅人の健脚振りには恐れ入りました。一日に平均十里(四十キロ)は歩くのですから。  昨今のウォーキングブームなんて、チャンチャラおかしいと、鼻先で笑われそうです。
 彼らにとって歩くことは、趣味なんかじゃなく、生活そのものなのですから。  当時の旅は苦労も多かったでしょうが、反面喜びも大きかったに違いありません。  それに引き換え、現代の旅は便利になりすぎた分、充実感や達成感が少ないように思われ ます。あそこへも行った、ここも見てきたとか自慢げに話すことは出来ても、それは単なる記録 であって、心の記憶にはなっていなのではないでしょうか。
 よく考えてみると、昔といってもたかだか百十数年前のことなんです。
 当時十一泊十二日かかった東海道五十三次(百二十六里)は、いまや新幹線のぞみに乗れ ばたったの二時間十八分。
 この国の交通は異様なスピードで発展しました。確かに効率は良くなりましたが、速くなった 分、物をじっくり見ることが出来なくなってしまいました。スピードと印象は反比例するのかな?
 鉄道作家の宮脇俊三氏は自作の中で次のようにおっしゃっています。
 「旅には原則としてカメラを持参しない。カメラを持っていけば《眼》がおろそかになる」  まったくもって、耳が痛い、  私なんかもカメラに頼りすぎてしまうくちですから。本来なら自分の目、いや心に焼き付ける べきなんですよね。  これは何も旅に限らず、現代の生活全般にも当てはまる気がします。  バブルの時代、人々は辛抱とか苦労とかいう言葉を忘れてしまいました。  しかし、苦労と言えないまでも、努力して手に入れたものにこそ愛着が湧くというものです。  簡単に手に入ったものは粗末にしがちですから。
 東海道を歩いてみようと考える人が増えたことは、いい傾向ではないでしょうか。  たまには、歩く速さで物を見、考えてみませんか。
 いままで見落としていた何かが見えてくるかもしれませんよ。