「定年後の日々」(2003/5月) 

「スローライフ」という言葉が、いま話題になっていますが、退職してしばらくはまさにその通りの生活になりました。
 何といっても嬉しかったのは、好きなだけ朝寝が出来るようになったこと。夜型人間の私にとって早起きは最大の敵。
 会津磐梯山のふもとに生まれたわたしですから、朝酒こそやりませんが、朝寝は得意。加齢とともに早起きになるというのはうそですね。自慢じゃありませんがいくらでも寝られます。
 しかし、好奇心旺盛な私がじっとしていられるはずがありません。「スローライフ」もそう長くは続きませんでした。
 あれもこれもと、やりたいことが頭の中を駆け巡ったとき、タウン誌に載っていた「3ヶ月無料着付け教室」という記事が目に留まりました。無料というのが嬉しいじゃありませんか。着物も箪笥の肥やしでは可哀想、そろそろ日の目を見せてやらねばと思っていたところでした。
 しかし、只ほど高いものはないとはよく言ったものです。その教室で展示してあった訪問着がどうしても欲しくなり、これまで働いてきた自分に対するご褒美だからいいかなんて、言い訳しながらとうとう買ってしまいました。
 次に、学生時代にしていたクロッキーの勉強を再開し、好きなパッチワークや小物作りも始めました。
 また、退職の直前に「明治十八年の旅は道連れ」(源流社刊)を出版した関係から、俳句の主宰にめぐり合い、句会に入れていただきました。
 「風流」を絵に描いたような方々に交じって、「粋な」会話を楽しんでおりますといいたいところですが、俳句は奥が深く、うんうん唸りながらひねり出しているのが実情です。その中で主宰にお褒めの言葉を頂いたのが、次の一句です。

「通い禰宜ひとり庭掃く神の留守」

句会にはもちろん着物で参加、着付けの勉強も無駄ではなかったというわけです。
 さらに、これも出版したお陰で、カルチャースクールの講師の仕事が舞い込んできました。野外講座「大江戸線界隈探検隊」の隊長として、月一回、東京の名所旧跡を案内して回っています。 
 今のところ生徒は14人、みなさん私より年上なので「先生」などと呼ばれると「誰のこと?」と思ってしまいます。現在二年目に突入、生徒さん同士も仲良くなり、4キロ三時間のコースを楽しみながら歩いております。
 実は、昨年の十一月から私にはもうひとつの顔が出来たのです。驚かないでください、この年でウェブデザイナー学校の生徒になってしまいました。ホームページ製作のプロになるためのコースですから、周りは二十代、三十代の若者ばかりです。
 私の年で入学したのは前代未聞らしいのですが、そこは年の功で、図々しく質問をしまくっています。
 あるときは先生、あるときは生徒と、まるで昔観た映画「七つの顔を持つ男」の多羅尾伴内の様な生活が続いております。
 というわけで、「スローライフ」はしばらくお預けとなりました。