大江戸線界隈探検隊

読売文化センター講座(新宿・金町教室)

第11回 牛込柳町〜牛込神楽坂(2003/2/13)
この辺りはかつて牛込城があったところです。ですから当然高台で、そこから四方に坂が伸びていて、足腰を鍛えるためには絶好のコースです。また、昔のままの町名が残っているので、探して歩くのも面白いでしょう。納戸町、細工町、鷹匠町、二十騎町、袋町、払方町などなど。言ってみれば、江戸時代の公務員住宅ですね。お城に近いことからこの辺りに集中したのでしょう。神楽坂は明治から大正にかけて花街として栄えたところです。神楽坂芸者さんも今では少なくなりましたが全盛期には200人もいたといいます。表通りは若者の町のようになってしまいましたが、一歩裏に入ると昔の面影をしのぶ佇まいを見ることが出来ます。何度来ても飽きのこない街です。
幸国寺(日蓮宗) 幸国寺境内のイチョウ 経王寺(日蓮宗) お札と切手の博物館
牛込柳町駅から歩いてすぐのところにある幸国寺。創建は寛永年(1630)。正面に見える門は、徳川将軍家の御三卿・田安家の屋敷門だったもので、明治維新のころ、移設されました。 境内にある樹齢500年の大イチョウ。新宿区最古のイチョウの木です。幹周り5M,樹高16Mといわれています。 山の手七福神のひとつ。大黒天を祀ってあります。慶長3年(1598)創建以来度重なる火災から焼失を免れたことから「火伏せの大黒天」として信仰を集めています。 昭和46年に、財務省印刷局創立100周年を記念して開設された。紙幣や切手の歴史や世界の珍しいお札や切手も展示している。また、一億円がどれくらいの重さか持ってみることができますよ。
二十騎町 宮城道雄記念館 宮城道雄記念館 光照寺(浄土宗)
江戸読みでは<にじっきまち>
なぜこの辺りだけ古い町名が残ったのでしょうか。答えは単純で、住民が反対したからというのです。台東区や墨田区などでは反対しなかったのでしょうかね。
生前道雄氏が住んでいた日本家屋が残されています。中庭から見たところです。この「検校の間」で、数々の名曲が生まれました。
案外こじんまりとして、質素なのでびっくりしました。
中庭から母屋に続く小道。なかなか風情があります。この先のお庭では、枝垂れ梅が満開でした。 牛込城の跡にあるこの寺は、もともとは神田にありました。昔はお寺の移転が頻繁にあったようですね。いろいろ理由はあるでしょうが、なんといっても江戸の火事が大きいと思います。
松山藩主の墓石 善国寺(日蓮宗) 神楽坂メインストリート 旅館「若可菜」
光照寺は出羽(山形県)松山藩主酒井家の菩提寺です。初代忠恒をはじめ歴代藩主一族の墓が並んでいます。さすが大名家の墓石は立派ですね。 山の手七福神のひとつ。寛永5年(1793)に麹町より現在地に移転。
この日は、葬儀が執り行われていため、区指定文化財の毘沙門天像は拝観できませんでした。
この神楽坂は、昔はもっと急坂で階段状になっていたらしいです。その後削られて今の状態になったが、それでも坂上と外堀との標高差はでは20m。 通称「ホン書き旅館」路地の奥にあります。ここに閉じ込められて書かされた作家や脚本家は数知れません。野坂昭如氏が編集者を欺いて逃げ出したというエピソードは有名。
石畳の路地 粋な黒塀 みちくさ横丁 料亭「うを徳」
このような石畳の路地があちこちに伸びています。うっかりすると迷子になりそうなところです。 いまでも一歩奥に入るとこのような黒塀の料亭があります。いかにも芸者さんの着物が映えそうですね。 なにやら怪しげな雰囲気を漂わせている横丁。 明治の文豪・泉鏡花の「婦系図」に登場する魚屋「めの惣」のモデルとなったのが初代のご主人と言われています。
来月は、中井界隈を予定しています。