大江戸線界隈探検隊

読売文化センター講座(新宿・金町教室)

第14回 豊島園界隈(2003/5/8)

豊島区でもないのに「豊島園」とはこれいかに。そのわけは中世に遡ります。ここ練馬は練馬城(豊島城ともいう)石神井城が築かれ豊島氏が支配していた。豊島城の築城は鎌倉時代とされ、石神井城主豊島泰経の弟景村の居城といわれています。豊島一族の結束はかたく、長尾景春らと画策して守護上杉氏と家宰太田氏の分断をはかったが後年に太田道灌の攻撃を受けて落城、豊島氏の滅亡を早めることとなりました。豊島城跡は、明治後期に豊島公園となり、そして大正15年に「豊島園」が着工し、全面開園は昭和2年の4月です。豊島城の冠を付け、「豊島園」と命名したそうです。

豊島園 向山庭園 向山庭園・池 十一ヶ寺
お子さんが小さいときに1度は来たことのある場所ですね。何十年ぶりという人がほとんどでした。このとなりに「庭の湯」を建設中。天然温泉だそうですよ。オープンは6/28です。

昭和55年5月1日に開園した練馬区立の日本庭園です。かつてこの場所は昭和4年から6年にかけて濱口内閣の鉄道大臣を務めた江木翼氏の邸宅があったといわれています。

この池は豊島城の外堀だったのではないかと考えられています。武蔵野の面影が色濃く残る庭園です。池に突き出ているのは茶室です。 もとは浅草の田島町にあった誓願寺というおおきな寺の塔頭寺院でした。明治以降、各塔頭寺院は本坊の誓願寺から独立。大正大震災のあとに、そのうちの11の塔頭寺院が、ここに移ってきたとのこと。
延命蕎麦喰地蔵 お地蔵様 白山神社 樹齢800年の大けやき
十一ヵ寺のうちの九品院にある。その由来は九品院がまだ浅草にあった当時、浅草広小路にあった「尾張屋」という店に毎晩、高僧がそばを食べにきた。店の主人が不思議に思い、後をつけると地蔵堂の中へ姿を消した。 実は僧は地蔵さまの化身で、その夜の夢枕に現れて、供養してもらった礼に店の主人とその一家を守ることを告げたという。主人はその後も地蔵さまにそばを供え続けたので、一家は無事息災に暮らすことができたとのこと。 白山神社は練馬宿の氏神で、伊邪那美命(いざなみのみこと)を祀り、平安時代に建てられたと伝えられる。1083年源義家が奥州征伐に向かうときに戦勝を祈願してケヤキの苗を植えたといわれる。 源義家お手植えのケヤキは2本あって、いずれも国指定の天然記念物に指定されています。写真は石段の下にあるケヤキです。どうです、この見事な枝ぶりは。
大ケヤキの幹 平成つつじ公園 練馬区役所 武蔵野音楽大学
下の樹の幹周7.5m、樹高は19m。人間の栄枯盛衰を800年も見てきた樹ですから、さすがに風格があります。根なんかまるで岩のようです。この樹の下に立つと、圧倒されますね。 この写真は、取材の時に撮ったもの。8日は残念ながら、半分くらいは咲き終わっていました。
お弁当を広げて、宴会を開いていた市民もいました。
20階の展望室より、眺望を楽しみました。豊島園が目の下に見え、新宿の高層ビル群はそこだけ浮き上がってるような感じでした。横浜のランドマークタワーも見えました。 西武池袋線の練馬駅から桜台まで歩きましたが、途中で雨に降られてしまいました。傘を差しながら武蔵野音大までみんな頑張って歩きました。
ベートーベンホール 楽器博物館 浅間神社 富士塚
校舎の奥に、ベートーベンホールがあり、この裏側に楽器博物館はあります。5000点以上の珍しい貴重な楽器が展示されています。鍵盤楽器のコレクションは見ごたえがあります。 楽器博物館の中は、独特の匂いがします。どれも古いものですから時代の匂いとでもいったらいいでしょうか。美人のお嬢さんが親切な説明をしてくれました。水曜日は一般の方も無料で入館できます。 江古田駅北側に位置する浅間神社。浅間神社境内には、富士塚(通称:江古田富士)があり、国の重要有形民俗文化財・練馬区登録重要有形民俗文化財になっています。一般の人が登拝出来るのは、毎年正月の三が日だけ。この日も入り口の門は鍵がかかっていました。 江古田富士は、江戸時代後期に築かれたとされています。大きさは、高さ約8M・直径約30M、都内でも大きい方。登山道の両側や要所には、富士山の溶岩が配置されているそうです。実際に富士登山できない女性や子供がここに登り、参拝したそうですよ。
今回は初めて雨に降られました。心配しましたが、皆さん頑張って歩いてくださいました。江古田駅前の定食屋さんで食事をして解散。来月は蔵前界隈です。お楽しみに。