大江戸線界隈探検隊

読売文化センター講座(新宿・金町教室)

第15回 蔵前〜上野御徒町(2003/6/12)

蔵前界隈の土地は、元和6年(1620)浅草鳥越神社の丘を切り崩し、隅田川西岸の奥州街道沿い、現在の柳橋二丁目、蔵前一.二丁目にかけての地域を埋め立てて造成した。江戸中期から幕末までの前側を「御蔵前」といい、蔵米を扱う米問屋や札差の店が立ち並んでいた。現在も使われている「蔵前」という町名が生まれたのは昭和9年のことである。収納された米は幕府の備蓄米と、旗本や御家人の給料米で、幕府の侍達は年三回に分けてこの米蔵に俸禄米を取りに来たといわれている。しかし米の受け渡しに手間と時間がかかったため、代理人としてこれを受け取り米問屋に売り払いその手数料を得る商人が出て、その人たちを「札差」と呼んだ。

蔵前神社 浅草御蔵前書房 楫取稲荷神社 蔵前水処理センター

五代将軍、綱吉が元禄6年(1693)山城国・男山より石清水八幡宮を勧請したのが始まり。以来江戸城鬼門除の守護神並びに徳川家祈願所として篤く崇拝されてきた。また、この神社は相撲と深い関係があり、江戸時代には境内で勧進相撲が行われていた。

蔵前名物、知る人ぞ知る古書店。店内は本が山積みになり、いまにも崩れ落ちそうである。相撲関係の古書や、江戸幕府の諸資料から庶民芸能のオリジナル資料、古文書・和本・草稿・書簡・書籍・雑誌・錦絵・版画などなどが、所狭しと置いてある。 ちょっと見落としてしまいそうな路地にあるこの神社,楫取(かじとり)という名前が示すように、舟にまつわる話が伝えられている。なんでも、嵐にに遭った舟が
奇跡的に助かったことから感謝の意味を込めてこの地に建てたものらしい。
昭和30年から59年までここには蔵前国技館があった。その広大な跡地に写真のような立派な東京都の下水道局の建物が建っている。
まだまだ工事中のところもあって、いずれはここに、下水処理場ができるらしい。
蔵前水の館 浅草御蔵跡 首尾の松 鳥越神社
この白壁の建物が地下への入り口になっている。地下30メートルを流れている下水道を初めて見学するが、やはり独特の臭気には少々参った。日夜ここで働く人のことを思えば、頭が下がる。どの分野にも縁の下の力持ちの存在は欠かせない。
下水道料金の使い道をこの目で見て、納得がいった。
みなさんも一度見学に行かれたらどうでしょうか。
浅草御蔵は、江戸幕府が全国に散在する直轄地すなわち天領から年貢米や買い上げ米などを収納、保管した倉庫である。五十万石(約62万5千表)を収納できたといわれている。 大阪、京都二条の御蔵とあわせて三御蔵お呼ばれ、特に重要なものであった。浅草御蔵は、倉庫は67棟354戸で、50万石収納できたといわれている。 かつては川面に腕を伸ばすように枝をを張出し、隅田川を上り下りする舟人の目印になっていた松である。名前の由来は、寛永年間、隅田川氾濫の折に阿部忠秋が三代将軍徳川家光の前で、松から対岸まで馬で乗り切り首尾よく将軍の勘気がゆるされたからという説。もうひとつは、吉原通いの粋人たちが、猪牙舟からその日の首尾を思って眺めたからだという説。

平安時代後期頃までは、このあたりは白鳥村と呼ばれており、日本武尊が東国平定のためにしばらくこの地にとどまったことがあり、村人が白鳥明神を奉祀したのが鳥越神社のはじまりといわれている。「鳥越の夜祭」や「茅の輪くぐり」の神事が行われることで、有名である。

おかず横丁 お惣菜や 下谷神社 鈴乃屋「きもの美術館」
この町は元々町工場が多く、共働きの家庭が多かったため、この通りでおかずを買い求め、家ではご飯を炊きさえすれば食事が出来るというスタイルをとっていた家庭が多かったのだとのこと。通りの両側は、昔懐かしい商店が並んでいて、郷愁をそそられる。 隊員たちはこの店で、夕ご飯のおかずを買い求めていた。肉じゃがや煮豆、佃煮や梅干など。この辺りに住む人々にとっては、ありがたい店に違いない。ここで時間オーバーしてしまったので、予定の下谷神社は残念ながら省略することになった。 この写真は、事前に取材した折のものです。下谷神社は、730年京都の藤森稲荷を勧請して創建されたと伝えられている。5月11日の大祭には「お化け神輿」の異名ととる約4トンの神輿が練り歩く。 上野広小路、松坂屋の向かいにある「鈴乃屋」の本館の7階が「きもの美術館」になっている。この日は「歌舞伎衣装展」が開催されており、6代目市川歌右衛門着用の数々の衣装を、目の前で拝見することが出来た。
どぶの臭いに始まって、最後は豪華絢爛の歌舞伎衣装で終った。先日見てきた三井家のきもの展とは違い、金糸銀糸の刺繍は立体感があり、またその色使いも舞台で映えるためのものであるから派手である。これらの衣装を生み出す技術には目を見張るものがあった。日本の伝統文化を支えるこの技を絶やしてはならないと強く思った。
来月は大江戸線の終点・光が丘界隈を歩く予定です。