大江戸線界隈探検隊

読売文化センター講座(新宿・金町教室)

第17回 青山1丁目〜六本木(2003/8/8)

 六本木という地名の由来は、その名の通り6本の松の木があったからとか、あるいは、上杉、朽木、高木、青木、片桐、一柳という樹の名の大名屋敷が6つあったからとか様々な説がある。江戸時代、六本木ヒルズがある場所は毛利家支藩長州府中藩の上屋敷が在った所。元禄赤穂事件の時に、岡島八十右衛門以下10名赤穂浪士が切腹した場所でもある。また、乃木希典が嘉永2年(1849)藩邸で生まれ、現在の毛利庭園と呼ばれている池のほとりの井戸で産湯につかたと言い伝えられている。 戦前は、軍事施設として利用されていたので、殺風景な街にすぎなかったが、 戦後、赤坂、麻布一帯は米軍に接収され、米国人向けのバーやカフェ、ナイトクラブ、ホテル、レストランなどが増え、洋風の街並みが形成されるにいたった。

カナダ大使館 大使館4階のテラス 高橋是清翁記念公園 高橋是清翁銅像
4階と地下2階は新しい日加交流の場として一般に公開されている。日本とカナダとは明治維新直後から貿易を開始していたが、当時の主な輸出品は緑茶、カナダからは丸太や石炭などが輸入されていた。 長いエスカレーターで4階へ上がると回廊式のカナダ・ガーデン。カナダの大西洋岸から日本に至るまでの風景が彫刻、滝、庭園などによって表現されている。 高橋是清 (1854〜1936) 首相、蔵相の私邸跡を、公園として昭和16年6月公開したもの。しかし、空襲によってゆかりの建物は焼失したが焼け残った母屋は「江戸東京たてもの園」に移築された 11歳の時横浜ヘボン塾で英語を学び、14歳で米国へ留学した。明治元年に帰国。官吏、日銀総裁を経て政界へ入り、大正12年を初めに満州事変以後歴代内閣の蔵相を務めた。昭和11年2.26事件の時ここで暗殺された。
乃木神社 乃木希典旧居 厩舎 六本木ヒルズ
乃木神社は、明治天皇に殉死した軍人、乃木希典陸軍大将を祀る神社。第二日曜には骨董市が開かれることで有名である。この市は昭和52年(1977)に始まり、現在に至っている。 希典が妻静子と共に、この私邸で自刃したのは大正元年(1912)六十四歳の秋で、終生敬愛した明治天皇の死に殉じたものだった。 住まいは実に質素なものだが、この煉瓦造りの立派な廐をみても、希典がいかに馬を大事にしていたかがうかがえる。。愛馬には、壽号、璞号、轟号、英号、雷号などがいた。 手前の丸い建物は、メトロ・ハット、うしろにバベルの塔のようにそびえるのが、森ビル六本木ヒルズタワー。
シンボル「ママン」 ヴァージン・シネマ 毛利庭園 シティー・ビュー
広場のあちこちにオブジェが置いてあるのも、ここの特徴である。蜘蛛をモチーフにしたこの彫刻は、情報を紡ぐ、つまり発信基地としてのヒルズの象徴でもある。 ロードショー館からミニシアターまで大小取り混ぜて11の映画館が集まっている。 ミュージアム・コーンから覗くと、庭園が真下に見える。
かつて毛利屋敷があったところで、庭園だけが残された。もちろん誰でも無料で散策が出来る。
森ビルの52階「東京シティビュー」から見た風景。東京が360度見渡せる。ただし入場料1500円がかかる。
夜景はまだ見たことがないが、想像するだけでもわくわくする。
暑い日だったので、ヒルズの屋内に入ったときの涼しさが心地よかった。でも、53階の東京シアターで映画を見ているときは、みんな寒くて震えていた。温度管理はどうなっているのだろう。エネルギーの無駄遣いじゃないの?
さて、来月は新しくなった汐留界隈を歩きます。